崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

慰安所日記

2013年08月20日 05時41分40秒 | エッセイ
 昨夜遅くまで「しものせき映画祭」の実行委員会で作品選抜を行った。興行が目的ではなく市民文化として共有するのが、特に大学で行うものには研究を兼ねて意味がなければならない。作品を中心に考えると著作権、解説者、フィルムや会場など条件も検討しなければならない。まず大学での作品として「紅高粱」「狼火は上海に揚がる」「オイディプスの刃」「日中戦争軍人であった小山正夫氏」と決めた。それぞれの作品には解説と全体総合討論を入れることにした。映画研究会に近いものになりそうである。市民会館では「アニメ制作体験教室」「月は上りぬ」「うまれる」と決めた。最終決定の会議を残して夕食もなく9時頃送っていただいた。彼女はJAICAの派遣でカンボディアのテレビ局へ行く予定である。私は若い時の体験として積極的に進める言葉を十分話す前に下りた。
 私は映画祭に日本の芸者や売春業の名画としてサンタカン8番号の「望郷」「さゆり」などを選びたかったが委員たちが私の気持ちに乗ってくれず残念と思った。昨日韓国へ本の編集などの業務に行ってこられた同僚の礒永氏がいま話題の『日本軍慰安所管理人の日記』(韓日両語)の本が届けてくださり、猛暑中「猛読」した。まず解説を読まず本文だけを読んでから解説文を読んだ。それは日記を書いた作者の立場に立つための一番基礎的な読み方であるからである。私も数十年間日記を書いているが、今年からは公開のブログなどになっているが、日記は見せる目的ではない。私のものは自分用のメモに過ぎない。この日記もそうであると感じた。日記を書いた方は慰安所のいわば慰安業をその時代に普通の仕事として行ったメモである。しかしこの日記を読む人は大前提にしているのが慰安業や売春が「醜業」とか「愛国産業」として見ているとはかなり距離のある読み方があるといえる。以前にも触れたように多くの国では売春は醜業というのは職業差別とも言われている。平時にさえそうであり、戦時においてはなおさらである。したがって今、日韓の視線は軍との関係、強制に注目しているのは彼の意図とは焦点がずれたものである。
 最後にこの本の解説文を読んだ。安秉直氏をはじめ数人が研究会などを経て分析的に論じており大変分かりやすくまとめた苦労に感謝である。安氏は私と同時期にトヨタ財団の研究助成金を得て日本植民地研究会を東大で発表した時のことを思い出す。彼はナショナリスト韓国史学者の慎某氏と議論した文も私が読んでいたので客観的に解説してくれると期待した。「日本政府が民間業者に対して単純に関与したものではなく、徴用・徴兵・挺身隊のような戦時動員の一環として慰安婦達を組織的に動員した」といい、「新しい日本軍慰安婦像を提示しようとした」という。40か所弱の慰安所がビルマ、シンガポール、ベトナムなどで広く日本帝国軍との関係は明らかになった。それは戦争と動員に関わった恥の歴史であることは否定することが絶対出来ない。それは日本帝国の戦争責任を問うべきことである。しかしいくら悪い帝国軍であっても国家の軍制にいわば売春を直接組織の中に入れたということはこの日記からはそのように読めない。日本の「醜業史」を踏まえて読めば読むほど慰安所は「遊郭」であり、慰安婦は「売春婦」にしか読めない。広く読者とともに読んで議論したい。