崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

キジバト

2013年08月23日 05時12分44秒 | エッセイ
 私の隣の研究室の山本達夫准教授がキジの写真を持ってきた。自分の手のビラに米粒をおいて食べさせ、右手で写真を撮ったものである。毎日訪ねてくる二羽に餌をあげるという。キジバトとは森林に生息するが、都市部でも普通に見られるというが、私には縁の遠い鳥である。鳩は平和の鳥として象徴され、よいことであると聞いた。しかし鳥による伝染病の報道で警戒する人も多い。地上から16階にあたる高いマンションの我が階を含む上下の階では鳩駆除騒動のようなことがあった。この階が産卵巣に適当であろうと思ったようである。隣の数か所に鳩が出入りして夜宿にしているのを見つけて、空き箱を伏せ、反射するディスクを垂らしている。この階が鳩の高さにあっているか、我が家の玄関は位置的によくないようで結局鳩は来なくなった。
 今年も原爆記念式では鳩を飛ばした。平和の象徴として恒例的に行う行事である。平和の象徴であり、駆除の対象の鳥でもあることに違和感を感じる。昔、西条に住んだ時目の前の椅子の中から鶺鴒が2年続きで巣立って行ったことを思い出す。バリ島のホテルの食卓に自然の鳥が飛んできて「ここは楽園だ」と思ったことがある。子供の時、人家に近いところで一番親しい鳥が雀である。その時何度か飼ってみたが失敗であった。絶対人を信頼しないし、警戒していることを知った。なるほど。農村では雀群対策として網を張り、雪深い時に檻の下に餌を撒いて獲って焼き鳥をしてきた長い歴史がある。雀はそれらの人間との関係からの敵対しでおり、警戒しているのではないか。鳩が人の前を悠々と歩くのは日本人が優しいというか鳩には害を与えないということから信頼している長い歴史があるからである。平和的な関係を作っていくには長い年月の信頼関係が必要である。