崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「百年の祭祀」

2012年10月16日 04時58分41秒 | エッセイ
 福岡在住の在日韓国人2世のキム・英子・ヨンジャ氏から短歌集の「百年の祭祀」(短歌研究社)が送られてきた。まず彼女の名前から韓国の映画に明子(韓国)・アキコ(日本)・ソーニャ(ロシア)の3国の名前を持つ主人公の悲劇的な人生を描いた小説を思い出す。キムさんは「金本英子」という通名を持っている。作品に「韓国人と日本人、二つ並んでいるのが自分の姿」と詠っている。この歌集の解説には彼女が韓国と日本の二つの文化・価値・規範と向き合い、悩みながらも、力強く生きると言っておられる。その中の「韓国人」というイメージが私には韓国人ではなく、知韓派の日本人のような在日の生活と外から韓国へと視線向けたものとしての実感が伝わってくる。
 短歌は韻文の詩であり、日本語のニュアンスがまだ身に沁み込んでいない私は完全に鑑賞できない。韻文を散文のように解釈するような書評や解説が多いが、良い読み方には至らない。今まで在日文学も小説や詩などが主であったが、短歌をも含むようにひろがっていることは嬉しい。この短歌は在日文学としての詠みより日本文学として読むべきであろう。私のようなニューカマーは散文では挑戦してみるが、韻文の世界となるとギブアップである。ただ韓国の「時調」における韻の語感と合わせて読む気持で「百年の祭祀」を読んでいる。

「失敗したことを語る国際人」

2012年10月15日 03時34分40秒 | エッセイ
 東京在住の金氏からの電話での話である。彼は高校の先生を辞めて、私より早く日本に来られて貿易などを行い、日本語学校を作って、アメリカにも進出して今はニューヨークの中心マンハッタンに奥さんが住んでいる。彼は80歳代の半ば、引退して東京で一人暮らしを続ける。成功した国際人と言われる人である。私は留学当初から親しく付き合っており、樺太など旅行も一緒にした。彼が語ることはいつも自信満々成功している成功談のような話が主であった。長く話をしても主に私は聞き手になっている。
 昨夜の電話も元気な声であった。アメリカで日本人の非国際性と韓国人の国際性と成功物語りの対照の例を語ってくれた。しかし彼の論調や内容は以前とは少し変わった。自分の人生の失敗を語った。奥さんと子供たち、兄弟はアメリカの国籍をとってよく暮らしているが、金さんは日本に住み続けるためにアメリカの永住権はとっても市民権はとっていない。奥さんは高齢者としてニューヨークの老人施設に入れるが彼自身は入れない。また日本でも永住権しかもっておらず、韓国の国籍ではいろいろと制約されているという。韓国籍で他国の永住権を二つも持っている英語や日本語の達者な国際人として成功した方である。しかし、アメリカの国籍をとっていなかったことなど失敗した部分の人生談を長く語った。成功や失敗は一様ではないはずである。私にとって彼は依然「成功した国際人」である。

「広い書斎」

2012年10月14日 05時45分27秒 | エッセイ
 東アジア文化研究所の内部が一応整った。1万冊以上の本と資料を四面の書架に入れて真中にラウンドテーブルを置いて談話や会議などを行っている。昨日は一般公開文化論講座に続いて映画準備会が夜まで行われた。私は書斎の全部の本が自分の視線に入ってくるようにするのが理想である。教員たちの研究室には整理されていない山盛りの本や資料がいっぱい積まれている所も多い。その人はまず研究室が事務室officeであるのを全くプライベートにしていること、また資料など必要な時すぐ探せない非能率的であるように思われる。プライバシーの保護の話は頻繁に耳にするが私的空間とは無秩序、ゴミ箱のような空間を意味するのではない。私邸が公邸のように考えた方がより楽しいはずである。
 研究所は私の個人的な広い書斎、公の図書室、研究室でもある。大いに利用されることを期待し、いま利用されていることに感謝する。千葉県立病院長で下関田中メモリアルの理事長の平井愛山先生が来られた。櫛田学長を紹介し、立ち話ができた(写真)。楽しい韓国文化論のクラスには学長や民団婦人会長からお菓子の差し入れがあったり、楽しく、活気ある討論など後ろで見ているだけで有難くうれしかった。最後には少しコメントもさせていただいた。昨日は小倉氏、小川裕司氏、金英子氏の詩集、詩画集そしてロンドンからのカードとお菓子などが届き、感謝すべきことが多かった。秋は実りの季節、感謝節も近い。人それぞれ感謝すべきことに恵まれているはずである。それを生かして生きることは美しい。本欄でもすでに触れたように山中伸弥氏が受賞の感想の初口「感謝」を聞きながら賞以上に彼を生き方、人生の勝利者として感じた。

「iPS心筋を移植」に疑惑

2012年10月13日 04時10分01秒 | エッセイ
 現在定期購読の4の新聞を朝の短い時間で読むには見出しの対照から始まる。読売新聞の11日朝刊トップに載った「iPS心筋を移植」は特ネタであった(写真)。このニュースは山中伸弥教授のノーベル賞に続くトップニュースであった。私は「初の臨床応用」の快挙と思い、期待されるこのニュースを話題にしたがのってくれる人はあまりいなかった。そしてそれに続く疑惑のニュースに耳を疑った。その後の報道に注意を払っていた。そのニュース源の本人は自称ハーバード大学の森口尚史客員講師であり、彼の長いインタビューを聞いて失望した。希望ではあるが現実ではないようである。
 真実はどうであれ、日本の嬉しいノーベル賞の祝賀の雰囲気に泥を塗られたようなことになり、一方中国へ文学賞受賞の喜びは移って行ってしまったようである。微妙な日中関係の雰囲気の往来が感じられた。前回に触れたようにソウル大学の元教授の黄氏騒動事件と似ている。ただこのような研究は世界的に重要視され、競争していることは確かである。近いうちに本当に良い成果が発表されることを期待する。

「紅高粱」

2012年10月12日 05時25分08秒 | エッセイ
 昨日、今年度のノベル文学賞は中国の莫言氏と発表された。日本では村上春樹氏に期待が大きく失望するような気分の人も多いと思う。しかし私はおめでとうと言いたい。私はテレビで映画「紅高粱」を見た印象が強く残っている。中国山東省高密県東北郷の女性が高密県一の高粱焼酎の酒造小屋に嫁いできて、栄えさせ、抗日運動の支援者として、激しい銃撃戦のさなかで死ぬ、その生涯を描いたものである。その映画で私が関心を持ったのは日本植民地下の生活に関する描写であった。私は今「しものせき国際映画祭」の準備をしており、さる春に中国の映画として「紅高粱」を勧めたが、古い映画だということで賛同が得られずその話は消えてしまったことを残念と思っている。彼のペンネームの「莫言」とは親から「外で喋らない、話さない」ように常に注意されたことから禁言の座右銘から取ったというが、ただ共産党には批判を控えただけ、結局は多作の文学者になった。莫言=多言である。
 昨日のクラスの冒頭で基礎科学の分野で中国や韓国でノベル賞受賞者がいないことを語った。その時はまだ文学賞者の発表はされておらず、私の話は蓄積された伝統を踏まえて創造的発想をしていける教育体制が有効であろうと、やや批判的になったが、来週続きを言わざるを得なくなった。中国のように文学でいうならばシェクスピアやトルストイのような文学的な伝統が薄い国においても世界的なレベル高い文学創作が可能であろう。T.S.エリオットの伝統の詩を暗記したような私の青年時代から伝統文化を尊重したが、今の世界化現象を見ると伝統などは重要ではないのではないかと思ったりする。しかし一方考えると伝統は国や地域に限らず共有しているからではないかとも思う。文学の評価、特にノベル賞は文学内の価値よりは反体制的な政治的なものに与えられてきたのが多かった。しかし莫言の受賞は政治を越えて、伝統を世界的に共有したものとして賞賛すべきである。(写真NYT)

(続)辺境地と国境

2012年10月11日 04時33分23秒 | エッセイ
私はいま戦前大陸への門戸として発展してきた港町である下関に住んでいる。東京へ行くより韓国ソウルが近く感ずるところである。戦後「港」から「空港」への時代、下関は福岡などへ吸収されるようになり辺境地の港町に戻っている感がする。都や中心地の都会から遠く、国境地、先島、離島などが辺境地であろうか。馬牛は島へ、人は都会へと、都に集まっている。古くから「都志向主義」が定着して土地価は高騰、高層ビルや地下道と地下街が発達し、東京スカイツリーが観光名所にもなっていて東京王国のような時代になっている。今、領土問題になっている島々は争点になるまでは放置されていたという点は反省すべきであろう。
辺境地の人は都を過剰に意識するが、都会の人は辺境地を意識していない。そして地理的により意識的に捨てられているようである。しかし近代国家になると領土、領域へ意識が顕著になる。私は中国の国境を陸路で歩いたことが多い。中露の国境地の万州里など3か所、ベトナムから中国へ、ウラジボストクから中国へ国境を越えたことがある。中国側では比較的に舗装道路など国境地として意識していると感じた。今日本では「実行支配」していても無関心に近かったのではないだろうかと推測する。
尖閣、竹島(独島)、北方四島など全部島に国境問題がある。特に無人島の国境が争点となっている。今は争点になっているが、歴史的には利用性が少なく、あるいは辺鄙なところと思い、無視し、あまり意識しなかったのではないか。これらの島だけではない。人や政治家も辺鄙なところには関心が無かった。
 尖閣が日本、中国、台湾から領土と主張される。それほど重要なところであったとしたらなぜ最近まで放置していたのか。海域が重要であることを意識しなかったのか。自国の領土意識が乏しく、国際化とかグローバリズムを叫ぶのはナンセンスのように聞こえる。それぞれの国家において以前にその地域を代表する議員なども多くいたはずである。学者やマスメディアも触れることが少なく、争点になってから騒動するようになった。ぶれない指導者を求めても「先見の目」のある指導者を求める声はない。領土意識のなかった時代から目下「地理上大発見時代」のフロンティア精神が芽生えているようである。
 理論的には国境地域が国際的であるはずである。実際私は島の人や文化を調査した経験からは島は国際的であると思う。いま争点地になっているこの辺鄙な地域中心に政策をするようにと主張する意味で言うのではない。貧富の格差は問題にしながらも地方までバランスをとる政策、遠くまで目が届くような意識が必要である。今領土問題になっているのは反グローバリズム、反国際化の現象であろう。私はそれぞれのナショナリズムや愛国主義が敵対主義につながるということを警戒して日韓両国で拙著を出したがそれは決して単なる空虚なヤマビコを期待しているのではない。


弟子に会うために遍歴

2012年10月10日 05時05分11秒 | エッセイ
中国杭州地域に広島大学時代の弟子が杭州大学(金在国)、浙江工商大學(金俊、写真は大学)、嘉興大学(李月順)に勤めており、この度浙江工商大學の韓國學研究所創立記念学術会で基調講演をすることになった。今、日中関係に緊張感があり、同行予定の日本人は無理であると連絡があり、私一人で行くことになった。3か所の大学の学生たちへ講演を頼まれたが、山口県韓国語弁論大会の審査など私の日程の関係で基調講演だけすることにした。昨夜その発表文を送った。東アジアは儒教文化と漢字文化の共通な文化圏でありながら日本が引き起こしたアジアへの不幸な歴史によって反日感情が関係を難しくすることが多い。
 政治的なあるいは世間的な緊張関係に関わらず3人の弟子に会うことが嬉しい。韓国の昔話に娘を八道に送り、母が老後に八道江山を遍歴する話がある。本欄では時々たずねてくる弟子に会うことの喜びに触れたが、弟子に会いに遍歴するような気持ちもまた嬉しい。久しぶりにそれぞれに活躍している弟子に会える楽しみと美しい杭州の秋風景を楽しみ、帰りたい。

京都大教授山中伸弥にノーベル賞

2012年10月09日 04時48分43秒 | エッセイ
京都大山中伸弥教授(50)がノーベル賞を受賞した。おめでたいことである。日本では今、日中韓関係が閉塞している中で快挙として喜ばしいことである。新聞号外、特殊インタビュー番組が祝っている。当然主人公の本人のインタビューが一番注目される。「iPS細胞」の説明を聞いても分かりにくい。スポーツをよく知らない人でもメダルだけに歓声をあげ、喜ぶ人が多くいると似てる。私は幸いにソウル大学校のファンウソク元教授の事件記事からiPSへの予備知識を持っている。
 山中教授のインタビューを聞いてみると誠実に、また自然に「感謝」を語っておられる。通例の「皆さんのお陰さまで」式ではなく、数百人の研究者たちの協力、数万人ほどいる競争的な研究者などへの感謝の言葉にはiPSのすばらしさをよく知らなくとも人格賞にも相応しいと感ずる。iPSとは幹細胞を作る初期化(Stem cells, known as induced pluripotent cells, or iPS cells)といい、それが医学へ貢献できるという。
 山中伸弥教授のインタビューを聞きながら京都学派の研究組織と国家の支援のコラボレーションが有効であったことを推測する。幹細胞Stem cells というとソウル大学校の黄禹錫ファンウソク元教授の「サイエンス誌2005年6月17日号」に偽りの報告事件があったことを思い浮かべる。当時の記事では、本人は罷免、研究組織は弱体化されたことを報じているが、それだけではなく信頼を失ったことがもっと残念である。もう一つ山中伸弥氏と対照的な田中慎弥氏の「もらってやる」という生意気インタビューも思い出す。極端に対照的なインタビューを国民が受け入れているのが日本である。
 一人あるいは一つの集団が成し遂げたことでもそこには研究蓄積やさまざまな協力によって大成功が可能であり、その結果を人類全体が受けることになるのである。
 
 Working with mice, Dr. Yamanaka discovered in 2006 that the reprogramming is accomplished by just four specific gene control agents in the egg. The agents, known to biologists as transcription factors, are proteins made by master genes to regulate other genes. By injecting the four agents into an adult cell, Dr. Yamanaka showed that he could walk the cell back to its primitive, or stem cell, form.
Stem cells generated by this method, known as induced pluripotent cells, or iPS cells, could then be made to mature into any type of adult cell in the body, a finding with obvious potential for medical benefits.
Many biologists hope that Dr. Yamanaka’s technique will be the gateway toward generating replacement tissues from a patient’s own cells for use against a wide variety of degenerative diseases. For the moment, that remains a distant prospect. But the cells have already proved useful in studying the genesis of disease. Cells generated from a patient are driven to form the tissue that is diseased, enabling biologists in some cases to track the steps by which the disease is developed.(New York Times)

「純と愛」

2012年10月08日 05時24分09秒 | エッセイ
 NHK朝ドラマ「純と愛」が新しく始まった。ただ歴史を描くものかメッセージ性のあるものか見ているうちに劇中劇、ドラマの中のドラマである。深夜のフロント研修についた純(夏菜)は、営業時間外にルームサービスを受け付けて、コーヒーを届けた純は、客からとても感謝された。ところが翌朝、宿泊部長(矢島健一)たちに呼び出され、ほかのセクションに迷惑をかけるなと叱責される。純は客の都合こそが大切だと訴えたが聞き入れられない。私は作家の大きいメッセージをいただいた。今の日本社会の問題点を象徴的に指摘していると受け取ることができるからである。
 規則や掟を守る社会を作ってきたのは素晴らしいことである。大きい災難の時でも秩序を守る場面は世界的にモデルになっている。しかしそれだけを強調すると宗教の原理主義のようになってしまう。規則内でも外でも人間の命と愛が無視されてはいけない。むしろ人本主義に規則などをうまく適応すべきであろう。中庸思想というものも必要であろう。掟や規則だけのレベルの話ではない。古い制度、因習や伝統を改革した人によって社会は大きく発展してきたのを見ても理解できるであろう。イエスは律法主義から愛を主張し社会を改革しようとした。「純と愛」は今後どう進行していくか楽しみである。

国際シンポでの基調講演「東アジアにおける韓国学」

2012年10月07日 05時03分48秒 | エッセイ
 日中韓が国境問題で緊張している。戦後史を見ると関係が良い時は例外的であった。最近のような緊張関係が長く続くのかと憂いを持っていたが表面的には、平常に戻ったかのようにも感じられる。昨日の「毎日新聞」の世論調査によると韓国では日本への親しみは減っていないという。ただ韓国人の関心が中国へ傾斜していくようである。この緊張関係の中で中国のある大学で11月2日3日に開かれる国際シンポでの基調講演「東アジアにおける韓国学」を頼まれて発表文を考えている。政治的な国家主義ナショナリズムを越えて文化的に対処すべきだと考えている。
 19世紀後半から日本は近代化と西洋化が先進、主導してアジアを侵略あるいは植民地化し、太平洋戦争を起して敗戦した。その日本が経済大国になった。活力のある日本は発展モデルとして注目されてきた。韓国は日本をモデルとして真似たりしていたが、独創的な別の発展モデルを世界的に発信するようになった。韓国人の関心は日本から離れるのではなく、日本も含めて多様化している。日本も日中韓だけではなくひろく脱東アジアから東南アジアへ、北東アジアへ、アフリカへとより強い関心を広げていくべきであろう。

詩画に魂をいれる

2012年10月06日 03時32分12秒 | エッセイ
韓国のシャーマン画伯の季節花氏から電話が掛かってきた。2001年に出版された彼の本に序文を書いたことを覚えている。その時、寄贈してくれた絵が我が家の壁に掛かっている。彼は降神巫であり、儀礼の中で神懸って絵を描く画家である。また詩人であり、この度英文詩画集 <Korean Peninsula World Peace Pilgrimage>を出して、その出版記念会の記事を読んだ。記者は正体不明の神秘的な人だと書いている。一度だけ彼に会った印象では人を引きつける魅力のある方である。言葉に言霊があると言われているように彼にはそれが感じられる。彼の絵からも感ずる。彼はシャーマニズム儀礼の中で詩には「詩魂」、画に「画霊」を入れながら完成させるという。その異様な芸が一般に受けられるようである。
 言霊とは言えなくとも、人の話や文には真心や魂が必要であると思う。一般的に人には魂があると言われているが、魂が感じられない人が多いと思われるこの頃である。魂は死後残ると言うが、本当に死んで残すほど魂を持っているのだろう、見える人も多い。話にも魂(韓国語では精神)を入れるべきである。誠意、真心、魂を持たないと死後に祖霊や祖先になる資格はないだろう。魂を入れる季節花氏から力を得たい。(写真はニュースウェーブから)
 

「自転車のある風景」

2012年10月05日 05時10分49秒 | エッセイ
 平井敏晴氏の紹介で小川裕司氏が訪ねてきた。韓国や日本での私の人脈と多く重なっているので旧友のように話ができた。社会的に活躍して地位のある方なのにこのように初対面でも人を緊張させず、肯定的に受け入れる、それはどうしてだろう。実は成功した人に多くみられる共通点ではないだろうか。飾りのない自然なこと、純粋であるが実は多くの経験とパーソナリティ、人格によるものであろう。改めて名刺を眺めると西日本海運株式会社の代表取締役であり、もう一枚は写真家となっている。彼は花をテーマにして撮ったものも多いという。私は早速コラボレーションを提案した。私も花がとても好きで「花の文化人類学」の出版ができることを願っている。その話で後半を飾った。本の題は「帝国の花:桜とバラ」(仮題)はいかがであろうか。
 今度の東亜大学学園祭で彼が海外取材などで撮った写真の中から「自転車のある風景」の20点を10月20日に展示するという。多くの方々に見ていただきたい。
 

朝鮮の性と美

2012年10月04日 05時11分31秒 | エッセイ
学習院大学名誉教授の諏訪春雄先生に誘われて京都芸術大学主催シンポジウム「日本の性と文化」に参加して、私が「朝鮮の性と美」について語ったのが含まれた本が新典社選書田口章子編『京都のくるわ―生命を更新する祭りの場―』(執筆者は下記)として出版された。優しく美しいデザインとくるわがコンビした本であり、花街、芸者などの内容が読まれる。しかしシンポの現場においては画像を通して日本と朝鮮の性と美をめぐって討論したが熱意が十分伝えられるの現場であり、記録文との違いが感じられる。
 朝鮮王朝では女性が胸を露出しても性的表現は極めて抑制していた。私が知っている時代、女性は化粧をすると芸者、売春婦と思われがちなので抑制されていた。またミニスカートの丈が問題になり時々取り締まられたこともあった。その韓国の女性が大腿まで露出するようになった。何より話題になっているのが美容整形の一般化であろう。身体を変形させる文化は世界的に多様であった。扁頭、てんそく、抜歯、割礼など身体に人工的に手を加えることはあったが近代的人権思想が一般化されることによって、それらに否定的になったが、最近は骨を削るとか異物を入れるなど変形が盛んになっている。全女性の美女化、ファッション化が、プラグマティズムを抑え外見主義が最高潮になってきている。自然主義に戻れと叫びたい。

《執筆者一覧》(50音順)
井上 八千代 (京舞井上流五世家元)
鎌田 東二 (京都大学こころの未来研究センター教授)
清水 久子 (祇園町廣島家女将)
下野 泉 (民族芸能史研究家)
諏訪 春雄 (学習院大学名誉教授)
田口 章子 (京都造形芸術大学教授)
田中 優子 (法政大学社会学部教授)
崔 吉城 (東亜大学東アジア文化研究所所長)
波木井 正夫 (「祇園 波木井」 主人)
藤澤 茜 (学習院大学非常勤講師)
森谷 裕美子 (京都造形芸術大学非常勤講師)

秋田コマチ

2012年10月03日 05時25分23秒 | エッセイ
 家内の兄から秋田コマチが送られてきた。家内は4男2女の6人兄弟の5番目、次女である。伝統的に長男が家を継承し、墓を守り、農業をしている。両親が生存中は兄弟家族が全員集合して楽しむ機会があったが、今はその機会がなかなかない。私も義父の葬式以来ご無沙汰になっている。長男がただ一人で70坪以上の家と墓を守りながら生活をしている。毎年長兄が弟妹たちに秋田コマチを送り味わせる。美味しく感謝しながら食べる。
 お米をみながら伝統的な家制度の残存、兄弟の友愛を感ずる。私が1980年代韓国啓明大学在職中、民主化デモが激しく辛い時、研究状況が悪く、何度も辞職して秋田で農業でもしようかと思ったことを思い出す。それは実行されず空言になったが、常に信念をもって発言をすることができた。何もすることのない人が農業をするような失礼な思考かもしれないが、当時いろいろな圧力に抵抗しながら排水の陳になったことには感謝している。信念を貫いて生きたその背景には、いつでも家内の実家へ帰ることができると最後の堡壘があったからである。早くも定年した友人たちが農業をしている人も多い。引退して仕事が無いから農業をするのではなく、人生末路の神聖な業務と厳粛に考えるべきであろう。

ホブズボーム氏の冥福を祈る

2012年10月02日 05時40分22秒 | エッセイ
世界的なイギリス歴史家エリックJ.ホブズボーム氏がロンドンで95歳で亡くなった。彼は1939年から1946年まで英国陸軍に勤務したことがあり、後に人生で最も不幸な時期だったと言っていた。大学では経済および社会史を教えた。退職後にアメリカのスタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学、コーネル大学などで教えた。ほぼ死ぬまで文筆活動を続けた。
 日本では『創られた伝統 (The Invention of Tradition)』(共著)が歴史学と文化人類学の分野にまたがった画期的な論文集として愛読されている。古く思われる伝統の多くは比較的新しい時代に創造・構築され、形式的に制度化された「伝統」という認識や論理の内容である。一般的に古く思われるものも古い伝統と異なり、過去を借りたほとんど架空のものだという。この理論はイギリスの歴史を中心に分析されたものではあるが、世界的な普遍性を明らかにしたもので広く参考されてきた。日本にはこの理論を使って多くの論文が出た。私も中部大学大学院で講義テキストにし、当時の学生であった崔錫栄氏が韓国語で『伝統の捏造』を翻訳してさらに広く利用されるようになった。死去のニュースを聞きながら彼の生涯を思い、冥福を祈る。