小倉紀蔵氏から最近著の哲学エッセイ『<いのち>は死なない』が送られてきた。「人は、死んでも消え去らない。そのことを、私たちは経験的に知っているのではないだろうか?」 「〈いのち〉は日々あたらしい」など金言が綴られている。詩的、哲学的ということで難しくと思われるより、本当は「いのちは消え去ってはいない」ということを理解するのが難しい。近代的な科学精神によればいのちは死によって「亡くなる、つまり「無くなる」ことである。人は死んでも生き続けるという思想、信念がある。それは死を否定するか、超越するのかであり、永遠のいのちへの信仰である。キリスト教は復活、とこしえのいのちを信じる。仏教では輪廻思想がそうであろう。
私はクリスチャンの研究者としてこの永久のいのち信仰を受け入れることが難しい。年齢を加えながら「死に至る病」、悩みを日常的に考えるプロセスで少しずつ死んでも「いのちは死なない」に接近するようになるのだろうか。死が無であるならば人間だれでも悲惨な終末を迎えるだろう。本書はこの難しい思考のプロセスを詠っている。
私はクリスチャンの研究者としてこの永久のいのち信仰を受け入れることが難しい。年齢を加えながら「死に至る病」、悩みを日常的に考えるプロセスで少しずつ死んでも「いのちは死なない」に接近するようになるのだろうか。死が無であるならば人間だれでも悲惨な終末を迎えるだろう。本書はこの難しい思考のプロセスを詠っている。