崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国キリスト教の民族主義への批判

2008年03月26日 07時21分38秒 | エッセイ
 昨日の在日韓国キリスト教会のある牧師たちの民族主義的態度を批判する文を載せたことに批判と賛成意見がが寄せられて嬉しい。「日本でキリスト教を布教する」韓国の民族主義的なキリスト教布教の問題の指摘は同感である。おそらく人種の壁を取り除くオバマ氏の演説には投稿者と本欄の読者の皆が賛同していると思う。問題は私の態度である。韓国出身の牧師たちの発言に消極的であったことにbarrett_hutter氏は「それは人格的円満さの表れかもしれませんが、ある種の欺瞞では無いのでしょうか?」「このような記事を見るたびに、日本人がどれほど怒っているか、崔さんはご理解が及んでないようで、実に無神経なものを感じます。宗教人類学の研究者として、そのような態度は妥当なのでしょうか?疑問を持たざるを得ません」という。それに鍬野氏は私を理解して弁護してくれた。私はこれらの意見に全面的に賛同する。ただ私は基督教の信者であり、社会運動者ではないことを理解して欲しい。しかしながら私は神戸で開かれた日韓宣教大会で韓国の基督教の民族主義的傾向を憂う講演をし、民族主義の批判(『宗教とナショナリズム』世界思想社)などをしている。最近長い間所属した在日教会を離れて日本の教会に転属したのも消極的な反発である。しかし日本の教会にも閉鎖性はあるのはある程度同様である。消極的な態度、卑怯な弁明になるかもしれないが彼に(?)対する答えにしたい。