もう一冊の近刊の編著『植民地における朝鮮・台湾』に矢内原忠雄について書いた。彼は「国家の理想」という文を雑誌に寄稿したことから戦前の名門である東京帝国大学を辞職せざる得なかった。そのときの文章を私は涙なくては読めないだろうと書いた。その校正文を読みながら、私自身がもう一度感動し涙ぐんだ。それは言論の自由がない時代の出来事であるが、それ自体に関するものではない。彼はキリスト信仰者として大学は世俗社会とは異なった象牙の塔だと思っていたのに、大学も世俗の標本のように感じ失望した。そんな彼が生存していたら今の大学をどのように見るだろうか。
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