崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『ウリ韓国史』

2013年06月14日 03時22分31秒 | エッセイ
 日韓の政治家から「歴史問題は学者へ」という言葉をしばしば耳にすることには以前にも触れたが、学者たちの民族意識、国家意識によって歪んだ歴史観はなかなか変わらない。私は客観的な立場から認識すべきだと一貫して主張してきた。今は多くの人からセマウル運動が肯定的に評価されるが、私は当時セマウル運動に批判的であった。しかし日本留学から帰国して啓明大学に赴任して間もない1980年12月1-6日に第69期セマウル指導者教育を受けなければならなかった。私は6班、大統領警護室の警護官、新聞社社長、牧師、教授ら16名と訓練や研修を受け、分任討議長も務めた。その報告書には80年代韓国は家庭から先進国へ入るために努力しなければならないと書いた。この教育を受けて私はかなり否定的な態度からやや肯定的に変わったようである。
 後にセマウルに関する幾つかの文を書いた。拙稿の「セマウル運動と農村振興運動」はセマウル運動が植民地期において行われた農村振興運動、それを遡ると日本の地方改良、地方更生運動に似ていることを指摘した論文である。それが韓国で学者や評論家によって引用されるようになって嬉しい。ネット上でも数人の論文と評論を見つけたが、具体的な内容はまだ分からない。金ダンテック氏の著書である『わが韓国史(우리 한국사)』に引用されているが、まだ本文は確認していない。序文によると李基白氏の『韓国史新論』を継承するという。序文には

 「本書では民族の優秀性や光栄を表すために努力はしていなかった。民族情を前提にすることは正しい歴史理解の妨げになるのみならず、北朝鮮が主張するような朝鮮民族第一主義からみられるように民族を幸福にするより不幸に落とすのに利用される場合が多いと思うからである。」(拙訳)

 これを読んで私は国粋主義者たちだと思っていた韓国の「国学」者がここまで書いたことに感動した。さらに拙稿が引用されたことは光栄だと思う。時代が流れ、人の考え方も変わるのである。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿