韓国のある大学の大幅リストラの話である。この夏休みが教職全員が辞職するような形であり、改めて採用通知が届いた人だけ来学期から出勤するようにということである。その優先順位は大学にとって「人宝」「人財」「不要」と分別されるという。つまり大学への貢献度によって客観的な基準でリストラを大胆に行うという話である。経営者の強い意志により大学が生き残るための対策と思うが憂いも多い。まず能力主義が正しく評価されるだろうか、つまりネポティズム(親戚びいき)などが作用するのではないか。それより大きい問題は構成員にとって職場は共同体であるという一体感を壊すのではないか。特に「不要」な人物への対応が問題であろう。不要な人でも投票権を持っている国家の例を考えると「不要」だという判断さえし難い。
どの企業にも「不要」な人物は存在する。経営者側から見て、協力しない人、反対する人、無能力者などがいるはずである。リストラはその人を追い出すか疎外するかの対策とされている。まず経営者や企業家はこの不要的な人物に講習を受けさせたり賞罰などによって「要」「用」なる人になるように努力すべきであろう。経営者はこのような不要をどう思うのか。格差社会への批判はただ「不要」な人を「楽」にさせることを意味するのではない。「不要」な人を「要、用」へと変える、また変わる努力をする意味を持つのである。
どの企業にも「不要」な人物は存在する。経営者側から見て、協力しない人、反対する人、無能力者などがいるはずである。リストラはその人を追い出すか疎外するかの対策とされている。まず経営者や企業家はこの不要的な人物に講習を受けさせたり賞罰などによって「要」「用」なる人になるように努力すべきであろう。経営者はこのような不要をどう思うのか。格差社会への批判はただ「不要」な人を「楽」にさせることを意味するのではない。「不要」な人を「要、用」へと変える、また変わる努力をする意味を持つのである。
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