崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

2021年02月01日 07時50分32秒 | エッセイ

ネットなどから情報があふれてくる。 テレビについては否定的になりながらも、実はとてもよく見ている。 文化人類学の現地調査が難しい今はテレビは多くの研究資料を提供してくれるといえる。 どのように活用するべきかを考える必要がある。 昨日は長時間韓国の「不朽の名曲」と「日本のカラオケバトル」を見た。 楽しむこと以上だった。
音痴の私が 音楽について話すと笑うだろう。 田舎者が上京して出会った大きな障害は歌だった. 文学少年時代、米公報院USISで行う音楽講座に毎週参加した。 レコードでクラシック音楽を鑑賞する時間だった。  読書や詩を詠むような歌は真実の音楽ではないと、歌詞を無視するようなことを聞いて衝撃を受けた。 音の美しさとは何か。 私も歌詞を詠む詩、詩調、民謡などを無視する態度を持つようになり、 笛や尺八など歌詞のない音楽、そして古典音楽に関心を持つようになり、完全な音痴になった。 本当に大きな偏見だった。 尺八を趣味としながら音の美しさ、パンソリを聴きながら歌詞と音の調和を知った。
  昨日は日韓の歌を比べる時間だった。 演歌トロットより最近の若者たちの歌はもっと歌詞とリズム、メロディーそして声の出し方が多様である。 韓国の歌は声の出し方によって歌詞、ボリュームが大きく伝わり、恋愛を含む家族愛などに集中し、感情を高め強調する。 それに比べて日本の歌はバックミュージックをバックに歌詞を読むメロディーが強調されている感じである。 韓国人は大きく息を吐くようにするのに対し、日本人は少しずつ吐く。 「泣きながら聞く文化」と「静かに考えながら聞く文化」の対照だった。


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