崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「絶対悪」

2014年09月08日 05時24分53秒 | 旅行
 私は植民地研究を盛んに行っているということは本欄でも繰り返して言ったとおりである。しかし植民地は「絶対悪」という前提では研究ができないということを念頭におかねばならない。学問の自由とはナショナリズムや愛国主義から脱皮しなければならない。昨日、朝刊毎日新聞で京都大学の学長内定者の山極寿一氏は「大学は単に知識を学ぶ場所ではない。インターネットを開けば膨大な知識にすぐ接することができるからだ。大学とは、教員個人の考え方を通じて、世界の解釈の方法や、知識や技術を実践に移す方法を学ぶ場所である」という。さらに「学問には国境はない」「日本の国益だけを考えていては新しい道は開けない」とも言った。
 植民地研究には禁域やタブーが多くある。研究者たちはそれぞれ巧みに壁を超えないで避けながら研究する人が多い。戦前戦後の独裁体制の中ではその極みであった。私が韓国で教鞭をとった80年代日本研究者はまず日本の悪口を言ってから始まるのが一般的であった。その時流行語が孫子兵法の「敵を知らないと勝てない」という言葉があった。私はそのような態度は卑怯と思い、善悪をともに語っていた。それが私の苦心の始まりであった。残念ながらその状況は変わらず、むしろ日韓関係の惡化により増幅されている。先日インタビューの記事が載った「月刊SAPIO」ではあえて「絶対悪」という大前提を外して話をした。「日本の功績」というタイトルは別として教育、米の品種改良、インフラ整備などに触れた。読者に願うことはタイトルだけではなく、中身を読んでくれること。これは「絶対惡」という前提のタブーを壊すためであることを理解してほしい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿