崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

時々裏切られた背信感

2015年07月21日 04時32分34秒 | 旅行
 広島大の教え子から今年も忘れずお中元が届き、美味しくいただいた。普段は高くてなかなか買えないものを贅沢に、美味しく、そして感謝して味わった夕張メロンには彼との思い出がある。サハリン朝鮮人の炭鉱労働史を調査した時彼の運転で夕張に寄ったことがある。私の頭には夕張は炭鉱しかなかったが、彼は夕張といえばメロンだと教えてくれた。それで炭鉱に行く途中、車を止め唇が腫れるほど美味しいメロンを飽食した。その後私の頭には夕張というと炭鉱よりメロンと印象付けられている。また昨日は家内が母の味の緑豆のチヂミを作ってくれた。それとメロンは最高の贅沢であった。メロンは子弟関係の強い情の絆になっている。
 一方年を取るにつれて感謝を多く感じながらも時には裏切られ、背信されたという感情も増えていくような気がする。自分に自信がなくなっているのかも知れない。どうしても心に留まっている人たちが浮かぶ。ある人は彼の人生の大きい転換期に私が2回も機会与え、順調に人生を歩んでおり、嬉しく、幸いと思っているが、彼からは有難うの言葉さえ聞いたことがない。もう一人は彼が必要とするところに何度も推薦して彼の希望が叶った。彼は必要な時だけ親しく近づいてくるが、結局私を裏切り、離れていったのである。このようなことはよくある話ではあるが在日や韓国人の中には先輩や恩師を否定的に非難して自分が優れた人になりたい人が多い。私の恩師もある弟子に反論反撃されて悩んだ。私の同年輩からも背信された話をよく聞く。フレジアーが父殺し民俗に注目したように、人間社会には普遍的にあること、ただ加齢によって背信感を強く感じるに過ぎないのかもしれない。

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