崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

白嶋正人氏の書評

2015年04月08日 05時59分57秒 | 旅行
 拙著が出て3か月半になり読者の感想がネット上かなり貯まっている。地域メディアに献本したが反応は冷淡である。日韓関係を必要以上に懸念するか、言論意識の欠如か。その中でまだ面識のないFB友の白嶋正人氏の書評をネット上見つけ、驚いた。購入して精読して長いコメント、高い批評であり、感謝である。筆者の承諾を得てここに全文を紹介する。

白嶋正人「韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたか」 を読んで2015年4月6日 21:13
 
 先ず、堀まどか氏〔国際日本文化研究センタ-機関研究員〕が書評で述べられている、このタイトルでは誤解を招きやすい、このことよりも僕は、帯に書かれた方に目が行った。長いがすべて書くと〔韓国に日本を責める資格があるのか ? 〕〔故郷が通称「売春村」となった体験を持ち、韓国メデアから「親日派」と猛バッシングを受けた文化人類学者が赤裸々に綴る〕〔「従軍慰安婦」を捏造し、「強制」がなくても「人権」が問題と強弁する韓国がひた隠す性事情〕この長すぎる少しだけセンセーショナルなキャッチコピーについて、おそらく出版社の販促の為であろうが、著者の崔教授に依るものであれば、そういうスタンスであることが分かる。前置きが長くなったが、本書の冒頭の「はじめに」の部分で著者がテーマとして言っている、「韓国人」と「性=セックス」だが、「韓国人」に就いては文化人類学者として研究されてこられた事に依るもの、「セックス」に就いては少年時代に故郷が「売春村」となり間近で売春婦を見て来た事に起因するものと思わされる。 「戦争は絶対いけない」などと言うような反戦倫理などと言うものはなかったと言っているが、それはそうだ、反戦倫理などと言う思考はある程度の知的教育を受けたのち生まれてくるもので、10歳の少年には何故? とは思ってもその思想的背景は理解できないはずだ。むしろ目の前で起こっている事象に対して、辛い、怖い、面白い、そういった錯綜した感情の方が先に立つはずだ。'50年6月- '53年7月, この3年間の間に彼の住む小さな農村が、北朝鮮軍、韓国軍、中共軍、国連軍(米軍)と目まぐるしく変わる姿を少年の目で書いている。この中で、朝鮮、韓国の時代は、同じ民族と言う事もあり38度線設定後のように厳格な統制が為されていなかった為、村内の暮らしも多少の問題が起きたにせよ、普通の暮らしに近いものだった。中共兵については、僕も驚いたのだが、田舎の農村にとってみれば、見た事のない兵隊たちの出現に戦々恐々としているのだが案に相違して、彼らの統制がとれており、恐れていた婦女子に対する暴行がなかったという事だ。中共軍の三つの軍律の中の一つに「民衆からは糸一本針一本取ってはならない」八項注意のなかに「婦人をからかわない」と言う規律があったからだと言っている。このことに関して、この時点では、中共という国も建国して日が浅いため、まだ、軍の規律も保たれていたものと推察できる。次の米軍だが、村民たちは、最初これで平和はやってくると彼らを救世主の様に迎える。子供たちは、米兵に群がり投げられた、ガムや、チョコレートに飛びつく。終戦後の日本と全く同じ様相を呈している。しかしながら疑心暗鬼の気持ちも捨て切れていないため、警戒心から監視は続けられるが暴行は起こってしまう。どういう経緯で売春婦が村にやって来たのか著者は書いていないが、やはり軍隊あるところに兵たちの性処理施設は必要だという事がわかる。彼女たちにより、村民婦女子への暴行もなくなり、間接的には村を潤す結果を生む。この事に就いては、儒教という教えからの倫理観というものは、生存するための選択肢からは除外されるという事だ。日本では連合国占領下の日本政府に依って特殊慰安施設協会という名称の慰安所が一般婦女子の性の防波堤として日本各地に作られた。慰安婦募集には戦時中の仲介業者を通さず、新聞広告に依り行われた。これは、韓国はこの時点では、混乱の最中と言う事で、国家機能がまだ働いていなかった事に依るのかもしれない。
人間は、戦争等、極限状態に置かれた時の優先順位に就いて、倫理より生命の生存の方が最上位に位置する。誰もが、頭の中では、理解することだが、実際に経験する人は少ない。それ故、実体験された筆者の「売春は必要悪だ」と言う発言は説得力を持つ。このフレーズは誰でもが思っていることだが、世界的にと言ってもいい位に、従軍慰安婦問題に就いて韓国が活動している効果で、現在の日本では、公に発言はできないようになってしまった。いい例が、'13年に橋本大阪市長が、「軍の規律を維持するには当時は必要だった」 「銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と発言をして内外のバッシングを浴びた事は、記憶に新しいところだ。しかし、筆者の崔教授が、韓国人であるからして、韓国は除いたにしても、こういう発言を公の、しかも活字として著しても日本人が書くよりバッシングを受けることは少ない。韓国での売春問題について現在でも「売春天国」だと言われる事に就いて、「儒教倫理」を上げておられる。この考え方がより強いがゆえに売春婦をもって、一般婦女子の性の防波堤としての、彼女たちを許容するという風潮が生まれたものと思われる。勿論、公言はしないものの、経済的効果もあるという事は言うまでもないことだ。前述したが、崔教授がこういう発言をする意味は、韓国人であり知識人だという事で非常に深く重いものがある。慰安婦はいたが、従軍慰安婦という呼称はなかったという理解から、「いわゆる従軍慰安婦問題」と言っている事に日本人である僕は、教授に感謝の念を覚える。 著者である崔教授は、韓国を隅々まで調査した自分だけでなく、多くの学者からも、いわゆる従軍慰安婦の話を聞いた事がないと言っている。しかし乍ら日本からの発信(吉田清治なる男の著作、それを取り上げて意図的 ? 誤報を発信し続けた朝日新聞) により、 韓国内 では、人権、政治問題と化した。これから述べる部分については、この本には書いてない事ではあるが、関係性があると思うので敢えて書かせていただくと、当時、朝日の ソウル特派員の植村某が、金学順と言う女性に対してのインタビュウ記事の中で誤った書き方をし、また、人権活動弁護士である ? 福島瑞穂氏が、NHKにこの問題を持ち込んだり、彼女(金学順)が日本国に対しての訴訟を起こした時の弁護士の一人となっている事などが、韓国内での問題化に拍車をかけた事は、紛れもない事実であろう。しかし、この問題が、長い間表面化してこなかったのは、何と言っても、韓国における儒教倫理が、ハードルとなっている事と思われる。そして、これを契機に女性人権団体が「慰安婦たちの恥は韓国人全体の恥である」というスローガンを掲げ問題提起した。しかし韓国メディアは、事の本質よりも反日感情を煽り、政治問題化させた。ここで筆者は、大事な事を言っている。それは、日本兵相手の慰安婦と米兵相手の慰安婦の違いだ。日本に対する慰安婦は、征服者に対するもの、米国に対するものは、日本からの解放者、朝鮮戦争時の友軍、これが、決定的に同じ慰安婦問題でも違うところだ。われわれ日本人もこの事(征服者であった事)を念頭に置いて考えなければいけないし、韓国サイドもやたら、民族主義的になり、反日感情を煽るのではなく、人権という本質で、ものを言うべきであろう。ここで、もうひとつ言っておきたいのは、韓国が外国でのロビ―活動で言っているSex slave と言う表現だ。これを日本に対して言うと、じゃあ、現在も行われている米兵相手の売春婦は、どうなんだという話になってくる。この表現だけは、飲めるものではない。これは、私観だが、性暴力は、ある特定的な環境下においては、(例えば戦争)普遍的ともいえる事象と考えても差し支えないだろう。それ故、どの国にあっても、特定の国に対してだけに限定してはいけないという事だ。もう一つ、筆者は、こうも言っている。戦時中に於いては民族的感情から、婦女子に対しての性暴行に関して、相手の名誉、プライドを辱めるという事も行われた。ここで筆者が一番言わんとするところは、日韓の間に於いては、慰安婦と言う言葉だけで、米兵相手と、日本兵相手を一括りにしてはいけないという事であろうと思われる。この問題について、前述したが、日本人が書けば、どうしても判官びいきになることは避けられない。が、しかし、韓国人が書くことに意義がある。それも、どちらのサイドに立つことなくだ。
 ここまででこの本のタイトルにある部分に関しての、ぼくの私観を交えた感想です。やはり日本人も、相手方を誹謗中傷したようなものばかりに目を奪われず、是々非々(なかなかむつかしい事だが)で著されたものにも目を通すべきだと思います。尚、筆者は、シャ-マニズムに関する研究著書も多数著しておられることも付け加えておく。*写真は白嶋氏のFBカーバー写真

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