崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ネオ清教徒精神

2012年10月29日 05時22分31秒 | エッセイ
昨夜遅く仁川空港経由してアメリカから8日ぶりに帰宅した。日本が明るく素晴らしい国と改めて感じた。シアトルからバンクーバーまでアメリカ西海岸の大動脈を列車に乗って往復したが、暗く、寒く、遅いなどなど日本の地方線より不便さを感じた。人種が多く言語も多く、私たちも違和感や言葉の不便はそれほど感じなかった。自然の中に豊富な食料などでアメリカは後進国の理想的なモデルかもしれない。今度の経験では西部へ開拓して行ったその清教徒精神、徹底的な実用主義のプラグマティズムの定着を強く感じた。それはそこに多くの多国籍の人々、特に韓国人や中国人が多く移住している。特に韓国人たちはキリスト教の清教徒精神と密着して移住していることが分かった。
 韓国人たちはイギリスから来た清教徒たちのようにキリスト教の教会を中心に開拓して広げているようである。教会は信仰の母胎ではあるが、情報や文化のセンターであり、ネットワークを広げ、結束させる柱である。それが現地適用化と言われる。日本人はそのように見えにくい存在である。
 先日私は教会の数名の指導者たちの前で初めて証らしい証をする機会を得た。日本の教会では信者の前にたつ機会はなかなかなく、またそれを語ることはなかった。ただカクレキリスタン(?)のような信者である。今度久しぶりに語り、途中涙ぐんでしまった。それはいつも語り手のように話したことではあるが結核末期のなか、伝道師のお祈りに感動して教会に出席するようになった、私の人生に大きな転換となったことの話しであった。聞く人が感動するかどうかに関わらず自分でその時代を考えると自然に涙がでてしまう。そのことを話す時はドラマの主人公のように私も泣きそうになる。今度は牧師や神父と信者たちの清教徒精神に私たちの清教徒精神がぶっつけあったようであった。この度の旅行では本音を持って話し合った良い機会であった。この度聖職者たち、聖公会の崔主教と安神父、監理教の姜牧師(讃美歌を歌う夫妻)、長老派の金執事などの家族とは開拓精神、清教徒精神の中での邂逅であった。

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