崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

유학일기

2021年08月08日 05時23分06秒 | 日記
昨日、私の投稿に貴重な書き込みがあった。 その中に次のような文、特に田中先生の日記を翻刻する方、中嶋康博さんの文である。 感謝して、ワクワクする。日本語が全然分からなくて留学に来た私の無理な過去を後悔させる。無銭留学による失敗の連続だった時代だ。多くの人々の誤解を受けた時だった。しかし英文書をテキストにして学友たちと読書会をして、先生たちに一生懸命学んだ。田中先生が私に優しくしてくれた。どんな恥ずかしい記事か心配だ。東京大学の文化人類学グループの支援で準備した学位論文は受け付けられたが、差し戻された。 結局、成城大学での留学は大きな失敗だった。事務室で局長の公な朝鮮人差別的言動にも甘んじて受け入れるだけだった。13年後、筑波大学で博士号を取った。当時、私はどんなにおかしな留学生だったのだろうか。 成城大学では変な留学生であっただろうと思う。あの時代の田中先生の日記を読むのが怖い。そのような過去を今どうしようか。
 어제 나의 투고에 귀중한 댓글들이 올라왔다. 그 중에 다음과 같은 글, 특히 다나카선생의 일기를 번각하는 분 中嶋康博씨의 글이다. 감사하고 설레인다. 일본어를 전혀 모르고 유학을 온 나의 무리한 과거를 후회하게 만든다. 무전 유학으로 인한 실수 실패의 연속이었던 시절이다. 많은 사람들의 오해를 받은 때였다. 영문서를 텍스트로 해서 학우들과 독서회를 하고, 선생들에게 열심히 배웠다. 다나카선생이 나를 잘 대해 주었다. 어떤 부끄러운 기사인지 염려된다. 결국 동경대학 문화인류학 그룹의 도움으로 준비한 박위논문은 접수했다가 반려되었다. 결국 세이죠대학에서의 유학은 큰 실패이었다. 사무국장의 조선인 차별적 언동에도 그냥 감수할 뿐이었다. 13년후 츠쿠바대학에서 박사학위를 받았다. 당시 나는 어떤 이상한 유학생이었을까. 세이죠 대학에서는 별난 유학생이라는 것, 그 시절 다나카선생의 일기를 읽기가 두렵다. 그런 과거를 지금 어찌하겠는가.

初めまして (中嶋康博)2021-08-07 10:27:38
ネット上で個人ホームページを運営し、昔の詩人たちの紹介・顕彰活動を行っております中嶋康博と申します。
このたび先師、故・田中克己先生の戦後日記を翻刻中、度々崔吉城先生の名前が挙がっており、検索しましたところブログを拝見いたし吃驚した次第です。
崔吉城先生の名前は1973年(昭和48年)にも5回、出て参ります。
半世紀前の学生時代のことなど懐かしく思い出して頂けるかと、御一報申し上げたくコメントさしあげました次第です。
昨日facebookひも付きのmessage機能でメールを差し上げましたが、不達でしたでしょうか。
突然のコメントにて失礼いたしました。