崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

化粧

2013年09月23日 04時44分54秒 | エッセイ
 私は夏には半ズボンと下駄姿で近所に出かけることが多い。先週歩いている後ろから声を掛ける女性がいた。振り向いて見ても誰かが分からなかった。よーく見ると隣家の奥さんである。化粧のせいで、変装に近く判別しにくかった。「若く変身したね」と笑いながら冗談を言った。私は逆に夏には人がみても分りに難いほど服装を崩しているが、寒くなると整復する。逆に多くの女性は化粧や服装などで変身したような飾り過ぎである。女性の歳は知らなくても良いが、予想がつかない時が多い。それは化粧というよりペインティングのようなものによるものであり、日本も「美人天国」化していくような時代である。
 変装と変身によって人格を代えるのは俳優であろう。一般的に変装はしても人格を変えることはない。仮面劇や落語では両面的に人格を代える。古くから日本人は韓国人や中国人が外貌や外見を重視していると否定的に言う人が多かったが、最近は日本人が平気で「イケメン」「美人、美女」などという。私の長い間の教壇生活から偏見のように、美女は内実が不実であろうというイメージをもっている。つまり「中味、中美」が足りないのではないかと思わされたが最近はそうでもない。生活の中ではパーソナリティが重要である。それが美を超えるからである。名優の力はこのような美を超えるタレント性であろう。今韓国の連続ドラマ「怪しい三人兄弟」を再び視聴している。ストーリーや美女よりはタレントさんの本当の「タレントtalent」パソナりティに魅力を強く感ずるからである。化粧を超える生活美を望んでいる。(写真は東亜大学トータルビューティ学科卒業作品)