10年近く履いた下駄が5ミリほどまで減って、紐も切れて使い捨てて数週たった。倉光氏から桐の下駄をいただいた。とても気に入っている。昨日は半ズボンと下駄姿で買い物に出た。行きがけに思い出して本を届けるために下関韓国教育院にちょっと寄った。院長以外にあたらしい職員や留学生が紹介され、別れる時民団事務局長を初め数人の見送りを受けた。そのへんを散歩するような姿で失礼してしまい、少し恥かしくもあった。子供の時の「日本人の下駄の音が三千里朝鮮を支配する」という表現を記憶しているように植民地下の当時の韓国人は下駄を日本の象徴としたものである。留学初期私は日本の浴衣と下駄は遠避けたのに今は愛用するようになった。その分私は植民地という意識から完全に解放されたといえる。
1年足らず使った体重器が故障になった。安い中国製の代わりに今度は日本製を買うことにした。10種類ほどのサンプルのどこかに小さくMade in Chinaで表示されていた。Made in Japanを探した。陳列台に「日本製」と赤く、大文字で書かれたものを買った。このような買い物態度はどうなんだろう。韓国人たちも中国製ではない「韓国製」を求めるという同様の話を聞いたことがある。戦後間もないころ韓国政府が「国産品愛用」というキャッチフレーズを出して外国産品を厳しく規制したことを思い出す。「愛国産」はある特定の産業を保護するとはいっても今は「多国産」の時代になっている。私の下駄利用もその時代を象徴するものであろう。
1年足らず使った体重器が故障になった。安い中国製の代わりに今度は日本製を買うことにした。10種類ほどのサンプルのどこかに小さくMade in Chinaで表示されていた。Made in Japanを探した。陳列台に「日本製」と赤く、大文字で書かれたものを買った。このような買い物態度はどうなんだろう。韓国人たちも中国製ではない「韓国製」を求めるという同様の話を聞いたことがある。戦後間もないころ韓国政府が「国産品愛用」というキャッチフレーズを出して外国産品を厳しく規制したことを思い出す。「愛国産」はある特定の産業を保護するとはいっても今は「多国産」の時代になっている。私の下駄利用もその時代を象徴するものであろう。