崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

中国で「正直」さを身につけるか

2013年09月17日 06時11分35秒 | エッセイ
韓国の大学で日本について教えている弟子からの電話で気になることがあった。釜山地域の名門私立大で日本学科を廃科することになったという。韓国では日本語教育が盛んである(?)が政府の英語と中国語へ方向転換の政策もあって日本留学から英語圏や中国へ向いている。中国政府は韓国の高校の教員まで募集活動し、韓国では高校卒から外国の大学へ留学する人が激増して多くの大学が存立し難くなっていくようである。韓国政府の政策は日本との関係を米国と中国へ転換することは実に私も強く感ずる。北朝鮮と合わせて韓国の国家政策も危険と不安を感じている。先日本欄で韓国が日本を追い越しているように書いたが最近は逆の感を持っている。
 日本側は失策も多くある。北朝鮮とは敵対外交、脱亜政策が続いていると感ずる。政治はもちろんであるが、国民が国内に安住し、国際化やグローバル化は海外旅行などに留まり、海外日本語普及政策が予算削減などにより日本への吸引力が弱まっている。
 私の長い間の偏見というか信念というか、一言許していただければ言いたい事がある。それは韓国の対中国政策を強化することは良くても、若い学生を大量に中国で留学させるのは反対である。それは中国では「正直」を身につけるほどの社会環境ではないと思うからである。正直を教え、日本のように定着させるためには1世紀以上はかかるだろうと非常に悲観的に見ている。そこで大勢の留学生が本国の指導者になった時の韓国社会に憂いがあるからである。私は弟子に言った。社会や大学の状況を超えて学問や研究に没頭したらどうであろうかと。私の日本大学への転出が正解であり、日本から韓国へ転出した人が後悔するという。それは可変的であり、時代に左右されることなく自分の道を切り開いて行くべきである。昨日は下関に来て初めて敬老の日の特別展示を見るために下関水族館の「海響館」でアザラシのショーをみた。敬老の対象になる人とは全く違って若い子供連れの家族や恋人たちがいっぱいで私のような高齢者はただ私だけであった。(写真は私が撮ったクラゲ)