崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

宇垣一成の生家を訪ねて

2013年09月10日 05時02分28秒 | エッセイ
朴正煕氏のセマウル運動と宇垣一成氏の農村振興運動が似ており、影響を主張したことをよりはっきりさせるための研究を続けている中、昨日家内と一緒に宇垣生家を訪ねた。新幹線で岡山へ、山陽線に乗り換えて、万冨駅からタクシーでそう遠くないと聞いていたので、列車を降りてタクシー運転さんに「宇垣生家まで」といったが全く知らないという。今、町毎に町おこしや観光化が進んでいるのにここではそうではないのか、宇垣がその対象人物にはなっていないのか。それでもネットで調べたものを頼りに岡山市瀬戸町大内の生家の前に立つことができた。のどかな田舎である。住民の女性に聞いた。大内は100件ほど家があり、4つのが一つになっており、山の麓のこの2~30戸の中に宇垣の親族は10軒くらいあるとのことである。同族のような印象をうけた。村の中には祖先を顕彰するための宇垣親族の会堂があり、そこには年中行事などが掲示されている。親族は「一成の功績を知って欲しい」という意思、が強いという。
 一成の生家は現在一成の長兄の孫、宇垣和夫さんが住んでいる。顕彰資料室「一如庵」という縦表札と外には洗濯物が干してあり、テレビの音が聞こえているので、ベルを鳴らしたが応答がない。電話を掛けてやっと通じた。和夫氏が資料館を管理してきたが高齢ということで期間限定特別公開以外には閉館中であるので庭に入って自由に見てもかまわないと言われ、入ることができた。「一如庵」は生家を一部改造し1991年に開館してきたが、和夫さんが体調を崩して現在閉館している。書や写真をはじめ、少年期に使用したという勉強机、朝鮮総督就任の際の辞令(複写)、「質実剛健」と綴り地元青年団に送った団旗などを多数展示したという。
 宇垣一成の資料収集と研究は一段落していており、今更新しい資料を集めるために行ったのではない。今地域の人がどう顕彰するか、つまり一般住民が彼についていかなる知識を持ち、意識しているかを知りたかった。戦前の軍人、植民地の総督の人物、今の時代に彼は「すでに消えた英雄であった」と感じた。もちろん彼の名前が韓国で顕彰されることは全くない。しかし私は朴正煕と宇垣、セマウル運動を思う度に宇垣総督の名前を意識している。宇垣が農村で生まれ田舎の小学校の教師をしてから立身出世を遂げ、陸軍士官学校を出て政治家になったことと朴正煕氏が私にはダブって感じられる。私の新しい歴史認識である。