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蕪村の俳句(113)




■旧暦2月3日、金曜日、曇り。旧暦では、きょうが節分。冬から春に替わるときの節分の意味づけが、体感的に理解される。

今夜、国会前は、まさに、年の神が入れ替わる戦いの場であった。時間の隙間からあふれ出て、これまで長く悪行を重ねてきた鬼を追い出すデモで盛り上がったのである。










蕪村ともあろう人が西行を笑いものにするような発句を作ったのが、どうも納得できないでいた。釈迦の入滅(命日)を詠んだ蕪村の句をきょう見つけて、ひとつわかった気がした。それは、こんな句である。

西行の慾のはじめやねはん像

落日庵句集


浄土宗の僧侶でもあった蕪村は、西行の執着(願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃:望月は釈迦の入滅の日でもある)が、仏教的に見て、我執に思えたのだろう。それを慾のはじめと詠んでいる。では、芭蕉は? 蕪村は芭蕉に私淑し、東山に芭蕉庵を再興したほど入れ込んでいる。芭蕉は俗人とはいえ、禅に造詣が深く、僧形で旅を重ねてきた。芭蕉の最後の旅の句[旅に病んで夢は枯野をかけ廻る]は、そんな自分の執着を相対化しているとも見ることができる。ただ、芭蕉と西行はタイプが近いが、蕪村と西行は、人間が異なるような気はする。蕪村と芭蕉。その違いは、俳画に一番出ているように、わたしには感じられる。



蕪村句集 現代語訳付き     (角川ソフィア文庫)
クリエーター情報なし
角川学芸出版



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一日一句(1427)







火よ水よ三月十日十一日






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