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西行全歌集ノート(11)




1月24日

吉野山梢の花を見し日より心は身にも添はずなりにき

西行 山家集 上 春

※ これを読んだとき「これだ!」と電車の中で小さく叫んでいた。ここに心の最大の特徴が出ているではないかと思った。「梢の花」だから、満開の櫻ではなく、初花に近い枝先の一輪だろう。その初花を見た日から、心が身体を離れてしまった、というのである。離れた心は、どこへ行ったか、「梢の花」へ行ったのである。満開の桜が待ち遠しくて、居ても立ってもいられず、心は、身体を離れてしまった。花に取り憑かれたのである。逆に言えば、心の中に、花が入りこんできて占有してしまったのである。

ロボット化した人々に「心」がないわけではない。アイヒマンを見てみればいい。モサドは、アイヒマンを確認して拉致するのに、アイヒマンが妻の誕生日に花を買ったのを決定的な証拠としている。アイヒマンに心がないわけではない。虚子を見てみればいい。俳句を詠みながら、その俳句は、決定的に「他者」が欠落している。心が共同体内部の存在で占有されているからである。経産省のお役人が短歌を詠む。大いにあり得る。その一方で、原発再稼働を粛々と進める。心がないからではなく、心が一つのことに取り憑かれているからだ。

花狂い、という言葉がある。心は、身体を離れやすく、また、何物かを身体に呼び込みやすい。

心の最大の秘密は、身体を離れて、外部の存在に取り憑き、同化することであり、外部の存在から見れば、身体へと呼び込まれることである。古代の感性、ミメーシスがここにはっきりと姿を現している。ミメーシスこそ、心の最大の秘密と関わっている。梢の初花に取り憑かれた西行。そのとき、西行は一輪の花なのである。



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一日一句(945)







心ゆゑ西行花となる夕べ






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