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西行全歌集ノート(3)




1月10日

若菜摘む野辺の霞ぞあはれなる昔を遠く隔つと思へば

西行 山家集 上 春

# これも散文的だが、印象に残る。霞の向こうに昔の時空間が広がっているという想像は、目の前にあるものを詠むのだが、それだけでなく、存在の奥行きを醸し出している。蕪村の感性と近いものを感じた。


1月10日

片岡にしば移りして鳴く雉子(きぎす)立つ羽音とて高からぬかは

西行 山家集 上 春

# この歌、感覚的で目立った。片岡は、二つ並んだ丘の片方。歌枕で、奈良県の北葛城郡の丘陵地帯も意味するが、ここでは、前者だろう。雉が一方からもう一方の丘へしばしば鳴きながら飛び移る。その羽音を詠んでいる。その音が春の柔らかに湿った空気の中では、もう高く響かないと詠んでいる。音の響きで春の到来を詠んだ歌だろうと思う。鋭い感覚が感じられる。


1月11日

心せん賤(しづ)が垣根の梅はあやなよしなく過ぐる人とどめけり

西行 山家集 上 春

# 西行と言えば桜だが、梅も詠んでいる。その香が歌の中心であることが多い。この歌の中心は、「あやな」ではないかと思う。「あやなし」のことで、理由がわからない、不思議だ、といった意味。「よしなし」とは、縁もゆかりも無いことで、言わば通りすがりの人。そういう人の足を止める不思議な力を梅は持っているから、心せん、つまり、注意しようと歌っているのだが、これはレトリックで、その秘密は、梅の香の良さにある。この歌の前後には、梅の香をテーマにした歌がある。ぼくが、不思議に思ったのは、「垣根」という言葉。家の領域の内外を仕切るものだが、梅を仕切りしていたことが、現代ではない風習と思う。何本くらい植えていたのだろうか。一本でも仕切りにはなるだろうけれど。また、「賤が垣根」という言い回しは、客観的にみすぼらしい垣根というのではなく、謙遜だろう。自分の住いの垣根だろう。


1月11日

主いかに風渡るとていとふらんよそにうれしき梅の匂ひを

西行 山家集 上 春

# これも、梅の香をテーマにした典型的な歌。主が風に梅が散って隣家へ、花びらが舞うのを嫌がるだろうという。いい香りが行ってしまうから。ちょっと笑える歌である。


1月11日

梅が香を谷ふところに吹きためて入り来ん人に沁めよ春風

西行 山家集 上 春

# 梅は、蕪村や一茶など江戸期の俳諧師の句を読んでいると、むめと表記されていることがある。少し調べてみると、梅は mmeと渡来当時の日本人は発音したらしい。鼻音を軽く重ねた。これを文字に起すとむめとなり、これが mume と発音されて、頭のm が取れたようなのである。ただ、諸説あって、確定的ではない。ただし、始め、軽く鼻音を重ねたというのは、むめという表記や方言にのこっているから、ほぼ確かだろう。



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一日一句(934)







天上に冬日をあげて屋根一つ






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