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Marxを読む:「経済学哲学草稿」(5)

■旧暦12月4日、火曜日、

(写真)ひったくりの路地

掃除して終わった。街は、しづか。人出が少ない。グローバリゼーションを進めてきた猿とチンドン屋の倫理的な問題はいっこうに議論にならないが、儲けるときだけ市場主義で、損失は全世界の弱者が負担する「社会主義」じゃ話にならない。




…しかし、労働者は、生きた資本であり、したがって生理的欲求をもつ資本であるので、労働しなくなったとたんに、みずからの利子とともにみずからの生存をも失ってしまうという不幸を背負っている。労働者の価値は資本とみなされて需要と供給におうじて上昇し、彼の生存と生命にしても物質的なものとみなされて、他のすべての商品と同様に商品の供給として理解される。労働者は資本を生産し、資本は労働者を生産する。したがって、労働者はおのれ自身を生産するのであり、労働者としての人間、商品としての人間が、この全運動の産物なのである。労働者以上のなにものでもないような人間、労働者であるかぎりでの人間にとっては、彼の人間的な諸性質が存在するのは、それらが資本のために役立つかぎりでしかなく、しかもその資本は彼にとって疎遠なものでしかない。
  『マルクス・コレクションⅠ』pp.327-328

Der Arbeiter hat aber das Unglück, ein lebendiges und daher bedürftiges Kapital zu sein, das jeden Augenblick, wo es nicht arbeitet, seine Zinsen und damit seine Existenz verliert. Als Kapital steigt [der] Wert des Arbeiters nach Nachfrage und Zufuhr, und auch physisch ward und wird gewußt sein Dasein, sein Leben [als] eine Zufuhr von Ware wie jeder andren Ware. Der Arbeiter produziert das Kapital, das Kapital produziert ihn, er also sich selbst, und der Mensch als Arbeiter, als Ware, ist das Produkt der ganzen Bewegung. Dem Menschen, der nichts mehr ist als Arbeiter, und als Arbeiter sind seine menschlichen Eigenschaften nur da, insofern sie für das ihm fremde Kapital da sind.
「Das Verhältnis des Privateigentums」(『Ökonomisch-philosophische Manuskripte aus dem Jahre 1844』)

■働く人間の本質が、この不況で、だれの目にもはっきりしたと思う。マルクスを読む人間を「左翼」だとか「傾向主義者」だとか、幼稚なレッテルを貼って済ませられた刻限はとっくに過ぎている。




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