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飴山實を読む(151)

■旧暦1月23日、月曜日、

(写真)無題

今日は、これから胃がん検診。バリウムが憂鬱だな。iPad、ますます眼が悪くなりそう。PCや携帯も含めて、モニターに向かう時間が長くなると、新しい病気が出てきてもおかしくない。iPadが標準になると、利便性も高くなるだろうが、iPadに載らない文学・芸術に俄然興味が行く。たとえば、劇とか、朗読とか、身体表現が前提で、かつ、その場に行かないと、アウラに触れることができないもの。こういう情報化に載らないものの価値が際立ってくるんじゃないだろうか。




ふるまひや火宅といへど餅の花
   句集未収録

■こういうところに實の現実感覚を感じる。ただ、おめでたい俳句を作っていた人ではなく、もともと、社会性俳句から出発し、現存の社会関係を何らかの意味で「問題」と感じる感性を最後まで維持していたのではないか、と思える。イデオロギーやアジテーションを前面に出した句は、人の心に染み透っていかない。ゴダールが言うように、すべてが政治なのだとすれば、實の俳句は洗練された政治性を備えているとも言えるのではなかろうか。



Sound and Vision

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コメント
 
 
 
副業?いや副興味(笑) (長谷邦夫)
2010-03-12 19:44:33
ぼくは、30歳以降、なぜか7~8年ずつの
<ライブ>への関心が強かったのです。

ニュージャズはピットイン山下トリオ
7年半、完璧週に一夜を達成。

のち、小劇場鑑賞が8年余。
特に「青い鳥」の都内公演を全て鑑賞。

この間は、詩の同人誌参加。
「gui」が10年。

若くマンガを描いていた時代は
SF同人誌「宇宙塵」だったなあ。
マンガだけを描いていた~という時代が
非常に少ないですね。
何か漂流していたことが
現在のぼくを作っています。

この辺のことを書いてみようか~とも。
マンガ講師は10年を過ぎましたよ。
 
 
 
拡散と集約 (冬月)
2010-03-13 00:18:22
■年を取るにつれて、興味の範囲が拡散するタイプと集約していくタイプがあるとは、ピアニストのアファナシエフの言葉ですが、ぼくも長谷さんと同じく、興味が拡散していくタイプです。

家人には、よく一つのことに集中したら、とあきれられるのですが、一つのことだけやれと言われると、頭がおかしくなってしまいますね。

 
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