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パンデミック・パニックについての雑感





■週刊新潮の4月23日号が、今の状況を恐れすぎてもプラスにはならないという文脈で、阪大人間科学研究科未来共創センター招聘教授の石蔵文信教授の言葉を引用している。石蔵氏は、循環器および心療内科の医師。石蔵氏の発言は次のとおり。

「国内で新型コロナウイルスに感染して亡くなった人は143人(4月13日現在)です。一方、日本では毎年インフルエンザで4000人~5000人が、アメリカでは多い年は6万人が亡くなります。ワクチンや治療薬があっても、これだけの人が犠牲になるのです、でもインフルエンザによる死者を減らすために、アメリカからの渡航を禁止したり、不要不急の外出を控えたりしません」(『週刊新潮』4月23日号p.25)

この石蔵氏の言葉は、「命か経済か」という問題設定が間違っており、「この命もあの命も」という問題になる、という週刊新潮の主張に沿って引用されている。石蔵氏の発言も週刊新潮の主張も、現在の状況をパンデミック・パニック、あるいは集団ヒステリーと見なしているように思える。「この命もあの命も」という問題設定も、パンデミック・パニックという認識も、それ自体は間違いではないと思う。

有効な治療薬もワクチンもまだなく、治療薬の候補はあっても、まだ、システマティックに投与されていない。さらに、生産・消費の世界的なサプライチェーンの中心地の中国で発生し、その影響が世界の生産システムと金融システムに波及している。また医療崩壊の危機が迫り、ほかの病でも命のリスクが非常に上がっている。つまり、パンデミック・パニックになるには、なるような現実が存在している。

パニックになっている全体システムに向かって、「パニックになるな、脅威はインフル以下だ」と言っても、パニックは収まらない。なぜなら、パニックになる現実自体が変わっていないからだ。パニックを終息させるには、新型コロナを前提にした医療・社会体制の再編・構築しかない。つまり、現実を変えるしかない。ここに、社会的リソースを集中するのがベストと思われる。





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一日一句(2457)







窓の翳明るく伸びる皐月かな






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