goo

西行全歌集ノート(25)




分きて見ん老木は花もあはれなりいま幾度か春に逢うべき

西行 山家集 上 春

※ 前書きが「古木の櫻のところどころ咲きたるを見て」。この歌の感覚は、よく理解できるように思う。櫻の古木を人と同じように感受している。古木と一体化して、老いた自分もあと何回春に巡り合うのか、と思うからこその「あはれなり」なのだろう。ここには、自分の外の対象と自分との距離がほとんどない。「客観」や「対象」という感覚はないと思う。たとえば、こういう感覚が一般的であったとして、コンビニを作るから、ブルトーザーで、古木を根こそぎにする(どこか、大量殺戮の戦争に通じる)、ということはありえないだろうと思う。社会が、明らかに質的に変わっている。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(967)







雪道に慣れぬ身体の痛みかな






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )