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西行全歌集ノート(21)




2月6日

花見にとむれつゝ人の来るのみぞあたらさくらの咎にはありける

西行 山家集 上 春

※ これには詞書があって「閑(しづ)かならんと思ひける頃、花見に人々まうで来りければ」

ここに出てくる「人々」や「人」とは誰か。それが気になる。市井の人々なのか、貴族・僧侶といった和歌文化の担い手なのか。西行の時代には、どんな人々が花見をしていたのだろうか。この歌の後には、

花も散り人も来ざらん折はまた山のかひにてのどかなるべし

※ 「かひ」は峡と甲斐の掛け言葉。ここにも、「人」が登場する。この人々は、「むれて」つまり集団で花見に来る。貴族・僧侶などの支配階級が、お伴を引き連れて、花見に来たのではないかと思う。市井の人々の花見は、江戸時代になって、ある程度、生活に余裕が出来てからだろう。そう言えば、クリーブランド美術館展の絵画にも、市井の人々は、ほとんど出てこなかった(鎌倉、室町、安土桃山、すこし江戸・明治)。和歌の美意識と歌枕が重要な絵画のモチーフになっていた。


2月7日

花の下にて月を見てよみける

雲にまがふ花の下にてながむればおぼろに月は見ゆるなりけり

西行 山家集 上 春

※ 日本の美の文法というのがあって、雪月花に代表され、花鳥風月に代表される。それは、そうなる理由があったと思うが、そういう美意識を和歌が形成してきた、言いかえると、貴族と僧侶が形成してきた。その美の文法を破壊しようとした俳諧の革命性というものが、今では見えにくくなっているように思う。伝統も革命も混在している。その二項が必ずしも対立しないで、相互に浸透したり、入れ替わったりしている。西行のこの歌も、一つの典型的な美の文法に則っている。


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一日一句(959)







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