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飴山實を読む(204)

■旧暦5月7日、金曜日、

(写真)キッシュ

早くも金曜日か。今日は、一日、鬱陶しい雨だった。梅雨を実感。最近、朝が早いので、腹が減る。家族はみんな寝ているから、食べる物がない。そこで、シリアルを買い置きして、これを食してから仕事を始めている。これなら、牛乳さえ買っておけば、すぐに食べられるし、栄養バランスもいい。ぼくは、牛乳が嫌いで、したがって、シリアルも嫌いだったのだが、最近の牛乳は、味が格段に良くなった。シリアルも、一昔前よりずいぶん進化した気がする。いろいろ、試して、チョコワとグラノーラに最近は落ち着いているのである。



ひとの名を忘れてわかれ大根焚   「古志」平成十二年二月

■情景が目に浮かぶ。最近、ひとの名を忘れることが増えてきた。しかし、そのひとの顔は鮮明に出てくる。画像は忘れないが、言葉は忘れる。なかなか面白いと思う。脳内の画像を言語に翻訳するコンピュータ-というのは、もう出ているのかもしれないが、実用性は高いのではないだろうか。極端な話、言語を媒介せずに、画像を媒介するだけでも、コミュニケーションは成立する。利便性や暮らし向きから文化や精神は発生するから、こういうコミュニケーションは、まったく別の文化を生む可能性もあるだろう。これが現実化しているのが、聾啞の人々のコミュニケーションである手話だろう。人間の老化にかかわる生物学的・社会学的な潜在市場は、考えてみると、なかなか面白味を持っているように思う。
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