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ローザ・ルクセンブルクの手紙

■旧暦5月2日、日曜日、、桜桃忌

(写真)無題

朝から、仕事して、市長選の投票に行く。名前を書かずに、備え付けのはんこで、候補者の上に丸印を付けるやり方に変っていた。記入間違いによる無効票は減るかもしれない。4期も市長をしている現職は、当然、落選させなければならない。利権構造と一体の集票システムが4期を許したのだろう。



ローザ・ルクセンブルク(1870-1919)の『獄中からの手紙』(岩波文庫)を読んでいる。ローザ・ルクセンブルクについて、ほとんど、何も知らなかったが、当時、所属していた社民党が、祖国ドイツを守るという理由で、一次大戦を肯定していく中、最後まで、戦争に反対していたことを知って、もっと知りたいと思った。ローザは、ポーランド系ユダヤ人で、ドイツ人ではなかった。もともとは、ポーランドの民族独立運動から出発している。この獄中から親友に宛てた手紙を読むと、多感な文学少女のような文章の中に、反近代的な感受性と歴史への洞察が垣間見える。ちょっと、驚くのは、俳句にも通じる人生観を持っていたことだ。たとえば、

…すべては、苦悩、別離、そして渇望、この三つに帰着するのです。ひとは、いついかなるときでも、このすべてを甘受しなければなりません。そして、すべては麗しく立派なものです、すくなくともわたしはそうした心構えで生きています。…これこそが生を享ける上に、唯一無二の正しいあり方であると、わたしは直観をもって感じます。ですからわたしは、いかなる境遇に自分が置かれようと、真底からの幸福感を失うことはありません。  『同書』p.30

次の個所などは、一茶の感性とまったく同じだと思う。

わたしには、鳥のことばも、けもののことばも十分理解することができます。もちろん、それはかれらが人間そっくりの言葉づかいをするという意味ではありません。わたしには、かれらの声から、その中にこめられているいろいろな調子や感じを識別するのです。鳥の声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、無頓着な人間の粗雑な耳だけのことです。そのひとが動物を愛し、これに十分な理解をもっているとしたら、動物の意思表示が実に多種多様であることに気がつくでしょう。そしてそれがことばのすべてなのです。   『同書』p.47(訳文は一分変更した)

ここには、もう一つ一茶と似ている点が隠されている。それは、ローザが大変な孤独のうちにあったということである。獄中だからというだけでは、恐らくないだろう。


ごく控え目に推し測ってみても二万年あまりはつづいているとみてよい人類の全文化史は、物質的諸条件のうちに深い根をはっている「人間による他の人間に対する支配」を基盤として成り立っているのですよ。
   『同書』p.48

こうした濁りのない、欺瞞から遠いまなざしは、ポーランド系ユダヤ人というアウトサイダーだから持ち得た、とも言えるかもしれない。アウトサイダーでいることの重要性を、こういう文章を読むと感じる。保守思想というものが、社会のmainstreamの人々によって支えられていることと、欺瞞に鈍感になっていくことには関連性があるのである。

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