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翻訳詩の試み(22)

■旧暦3月16日、月曜日、

(写真)何の花か?

朝、以前のブログを調べていたら、コンサートリーフレットのアファナシエフの詩も大半訳出していたことが判明。午前中、ひとつ訳出したので、残りは一篇のみとなった。

そのときどきの自分の状況が聴きたい音楽を規定してくるということは、確かにあるようで、いっとき、ベートーヴェンしか聴きたくなかったが、今は、不思議なことにモーツァルトとプロコフィエフしか聴きたくない。なぜかはわからないが。




休止

音楽の休止の意味はなんだろう
そもそもなぜ音楽は止まるのだろう
音楽は音楽自身に耳を傾ける必要があるのだ
沈黙のあいだも
音楽は自らを聴いている
けっして止まることはない


PAUSES

What’s the meaning of pauses in music?
Why does music ever stop?
Because it needs to listen to itself.
Even during a period of silence
music listens to itself.
It never stops.




■一遍上人の考え方に近いものを感じる。名号が名号を聞く。人はいない。そこに区別はない。アファナシエフの考える音楽も、これに似ている。そこに聴く人聴かぬ人の二元論はない。音楽は音楽を聴いていないひとにさえすでに届いているのだ。
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