電脳筆写『 心超臨界 』

知識が増えるほど不思議が深まる
( チャールズ・モーガン )

活眼 活学 《 東洋的と西洋的――自然と人間/安岡正篤 》

2024-06-22 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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従来の西洋の思想・学問文化というものの本流は、自然と人間というものを対立的に考えてきた。甚だしきは、対立よりも進んで相剋的に考えて、「人間というものは自然から出て、自然と戦って、自然を克服してきた。そして人間独自の、これは他の動物の思い及ばぬ文明文化を作ってきた。人間の自然に対する戦い、人間の自然征服」というようなことが力説された。


『活眼 活学』( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p198 )
[3] 座右銘選話
5 自然と素心規

◆東洋的と西洋的――自然と人間

明治以来、時の勢いというもので、日本人は従来の歴史的・伝統的な思想学問をしばらく押しのけてというか、閑却してというか、新しく非常な興味と情熱とを以て、大急ぎで西洋の思想学問と取り組んだ。そのあげく、このごろになってようやく冷静を取り戻して、再び東洋・日本の歴史的文化を顧みる。そして西洋の思想・学問・文化と照らし合わせて考えるというような余裕あるいは冷静というものを取り返す。あるいはそこへ改めて辿りついたということができる。

そこで、いろいろ東西文化を対照して気がつくことがあるが、その中の一つ、とかく従来の西洋の思想・学問文化というものの本流は、自然と人間というものを対立的に考えてきた。甚だしきは、対立よりも進んで相剋的に考えて、「人間というものは自然から出て、自然と戦って、自然を克服してきた。そして人間独自の、これは他の動物の思い及ばぬ文明文化を作ってきた。人間の自然に対する戦い、人間の自然征服」というようなことが力説された。山を登るにしても、彼らは「アルプスを征服した」とか、「ヒマラヤを征服した」とか、あるいは「フロンティア・辺境・荒野に挑んでこれを克服し、これを開発した。人間の偉大なる勝利」、こういうふうに考えてきた。

ところが、その一番成功したものは科学である。その科学がまた、昨今になってようやく冷静と、あるいは反省を深めて、人間と自然というものは対立相剋するものではない。人間は自然から出て自然を受け継いで、そうして人間独特の使命において自然を発展させてゆくものである。そうなければならないというような、従って自分たちの研究が進めばすすむほど、新たに深い自然の真理というもの、あるいは摂理というようなものを発見して、「人間の原理、文明の原理というものが、自然の理法から非常に逸脱しておるところが多い。これでは人間が自然によって裁かれ、人間が滅びる危険性がある。人間の法則というものは、即ち自然の法則に基づくものである。こういう人と自然との一致、自然の深い摂理の人間による優れた解明、それによって人間が本当の発展をすることができる。誤れる文明というものを今後は大いに是正しなければならん」という段階に来ておる。

しかるに、これはもう古代から東洋民族、日本民族や漢民族のつとに把握しておったことである。そこで西洋の優れた先覚者から、東洋の歴史、その文化というものに、逆に非常な驚異、あるいは畏敬の自覚が現われて、それが非常に日本人と東洋人を驚かす。従って互いに反省されるというようになって、日本人、中国人、東洋人によるところの自己の歴史的文明・文化を新たに見直す、研究するという風がごく最近の顕著な事実である。例えば張横渠の西銘などを読むと、その点実に堂々たるものがある。非常な進歩した権威のある自覚であり、提唱である。
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