電脳筆写『 心超臨界 』

手本は人を教える学校であり
他からは何一つ学べない
( エドマンド・バーク )

◆切に思うことは必ず遂ぐるなり

2024-07-11 | 05-真相・背景・経緯
§7 心が臨界質量を超える――誇りある日本を取り戻すために
◆切に思うことは必ず遂ぐるなり


  切に思うことは必ず遂ぐるなり、
  切に思う心深ければ必ず方便も出てくるべし
  ( 道元禅師 )


◎切に思うことは必ず遂ぐるなり

志立たざれば舵なき舟、轡なき馬のごとし――アサヒビール名誉顧問・中條高徳
『致知』2007年11号「巻頭のことば」)

◇未だ尾を引く日本罪悪論

筆者が理事を務める(財)日本青少年研究所(千石保理事長)が文科省から度々、青少年の意識調査を頼まれる。日・米・中・韓の比較調査の度に、わが国の青少年の将来への夢があまりにも小さいことに驚く。自分の国に誇りを持ち、国を愛する心も著しく低い。

明日を担うわが国の若者の実態に、筆者はその都度心が痛み、心が騒ぐ。

戦破れて半世紀以上が経(た)った。しかし、戦後六年八か月に及んだ占領政策、とりわけ当初の「ザ・ウォーギルト・インフォーメーション計画(プログラム)」(戦争の罪の刷り込み政策)で日本罪悪論が徹底して刷り込まれ、それが長く尾を引いているのだ。

幕末から明治にかけて先人たちは、ほぼ5世紀にわたって白色人種による地球規模の植民地化が進行していた中にあって、近代国家づくりに成功した。有色人種でありながら世界の五大国に上り得たことは、近現代史におけるわが民族の金字塔であった。それは、先人たちの志が高く、夢が大きかったから成し得たことに他ならない。

そのわが国は、昭和の時代になって大国と戦って敗れた。いまから62年前である。国民は、敗戦というあまりにも大きな衝撃に打ちひしがれたのと、巧妙な占領政策によって、戦争の勝敗の本質にすら気づかなかった。

戦争は、クラウゼビヴィッツが「政治の一手段」と説いた如(ごと)く、双方の国益の衝突なのだ。その勝敗は、正義とはいささかの関係もない。勝った瞬間、「勝者が正義なり」との論理ですべてが支配され。歴史はすべて勝者の手で綴られるという現実さえ理解できなかった。半世紀以上経った現在でも気づかず、国民の多くがいまなお自虐史観に侵されている。

そのような大人たちの「ていたらく」の中で、若者たちが、国を愛し、将来に夢を持つことは至難の業(わざ)であり、志し高く生きるなどできようはずがない。

◇豊かさと引き換えに失ったもの

このような調査の結果を生むもう一つ大きな理由は、この国の豊かさにあると判断される。

いまや資源小国日本も世界トップレベルの富を築いた。65億の全人類が貧困を嫌い、豊かさを目指している。その現実からすれば、豊かさ自体は何らの懸念材料ではない。汗で築いたものであろうが、天与のものであろうが、素直に神に感謝すればいいことだ。

だが、豊かさに酔いしれる日本国民は、世界の識者の声に謙虚に耳を傾けねばならない。「豊かさは全人類の目指す課題だが、不思議や不思議、たどり着いてみると、必ず目指すエネルギーが弱くなり、耐える力が萎(な)える」と説く。目指すエネルギーが弱くなるとは、紛れもなく夢を描けなくなることを意味する。耐える力が萎えるとは、忍耐力が弱くなるとの指摘であろう。先述の調査結果や、政府発表の毎年3万人を超える自殺者、いささかの忍耐力もなく、自分が気に入らない相手をすぐ殺すなどの現象が毎日続くわが国の実相は、世界の識者たちの指摘の通りといえよう。

考えてみれば、戦前の日本は現在と比較しようもないほど貧乏だった。夢を大きく描けなどといわれなくても、当時の若者たちは「憂(う)きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試さん」ぐらいの気概で、東京や大阪に向かったものだ。

その若者を見送る母親たちの中には、文字すら読めない者もいたが、「他人(ひと)さまから後ろ指だけは指されないようにしておくれ」と語りかけていたものだ。成功して、あの母親が痛がっていたアカギレを治してやろうとの志が固かったから、どのような辛(つら)さにも耐え得たのだ。敗戦時、満州(中国東北部)にいた日本人は60万人もシベリアに抑留され、うち6万人が餓死、凍死している。

その犠牲者の慰霊碑がハバロフスクにできた年、11年間も抑留されていた伊藤忠商事元会長・瀬島龍三氏夫妻と筆者は現地に訪ねた。その時、瀬島氏はラーゲル(強制収容所)の前に立って、「どんなこと、どんな辛いことがあろうが、母国の土を踏むのだ」「恋女房に会うまで絶対死ぬもんか」と夢を持ち、固い決意を持たない限り生き抜くことは難しかった。と語ってくれた。それは限りなく切なく、とても重く、そして尊い言葉だった(9月4日早朝、瀬島龍三氏はご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします)。

◇この日本の現状を救うもの

筆者はどん底のアサヒビールを指揮した時、ブラマンクの絵に魅せられたものだ。彼の絵は大抵、泥んこ道や嵐の風景の如き暗い絵が多い。だが必ず絵の右上方から強い光が差している。どん底では、ささやかな光でも求めてやまない。暗闇では一条の光が生きる力を与えてくれる。

かの吉田松陰も「志定まれば氣(き)ますます盛んなリ」と説く。

軍の学校でも「志立たざれば舵(かじ)なき舟、轡(くつわ)なき馬の如し」(王守仁(しゅじん))と教えてくれた。

曹洞宗の創始者・道元禅師も「切に思うことは必ず遂ぐるなり、切に思う心深ければ必ず方便(やり方・手段)も出てくるべし」と教えてくれている。

筆者は、この日本の現状を救うものは、教育・躾(しつけ)をおいて他にはないと固く信ずる。

『致知』の読者よ。筆者の説いてきた古い事例の様々がなくとも、身近な坂村真民先生が96年のご生涯の中で常に「念ずれば花ひらく」「志のあるところ道がつく」と説かれていたではないか。あなたの一隅を照らす光は、必ず千波万波となってこの国を照らし、夢多き、志高い若者たちが陸続(りくぞく)と生まれてくるはずだ。
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