電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
■超拡散記事『ジャニーズ事務所等日本のタブーの芸能界や在日外国人の凶悪殺人事件を実名報道で斬り込むBBCへ情報提供』
■超拡散NEWSポストセブン記事『《壮観》三浦春馬さんの提灯が靖国神社「みたままつり」にズラリ並ぶ理由「毎年参拝」の意外な縁と今も続く「ファンの熱量」』
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彼らの第4コーナー「 双葉山 」
[1] 地元で愛された「神様」と「人間」
[2] 戦後の混乱 神様から人間へ
[3] 雲の上の人でも親しみやすさ
[4] 最愛の娘の死に悲しみ深く
[5] 人を包み込む温かさの魅力
相撲の神様が、人生を変える宗教と出会ったのは、入門2年目のことだ。粗食から急激に白い米を相撲で食べるようになったことで重い脚気に悩まされた。同門の佐賀錦に誘われ東京・杉並にある日蓮宗の金丸妙正尼の教会へ通う。道場で唱題修行を始めると、みるみる全快、成績も向上していったという。
[2] 戦後の混乱 神様から人間へ
(「彼らの第4コーナー」08.11.09日経新聞(朝刊))
敗戦の年の11月場所を全休して双葉山は引退を表明した。1年後に断髪、「時津風」を襲名した。その双葉山が翌年1月、丸刈り頭に国民服姿であろうことか金沢にいたのである。
新興宗教の壐宇教に入信し、「天壐照妙」をとなえて囲碁名人の呉清源らと市内を練り歩いていた。「世直しのために天変地異が起きる。世界の人口の3分の1しか残らない」。この壐光尊の神示を双葉山は信じ「金をつかむか、泥をつかむか」と一か八かの気持で、新しい信仰の道に飛び込んだようだ。
双葉山がこんな風につぶやいたと呉清源が明かしている。「日本は神国だから戦争に負けないと思っていたのに、負けた。魂の抜け殻みたいになってしまった」と。(桐山桂一著『呉清源とその兄弟』)。不幸な時代の進軍ラッパとともに常勝双葉山はあった。戦争にも敗れ、部屋も空襲で焼け落ちた。「御神前に来たときには、その瞬間に、双葉山は壐光尊の法力にひっかかってしまいました」(同)。
1月21日深夜、金沢玉川署が 壐宇教本部に一斉検挙のため乗り込むと、双葉山は 壐光尊を守り、警官と大立ち回りを演じた。翌日、署を出た双葉山は、友人である朝日新聞の藤井恒男記者らにかくまわれて温泉場で昏々と眠り続けた。悪夢から覚め、友人の温かい言葉にぽろぽろ涙を流したという。
藤井さんは「この事件は土俵を通じて不動の精神を養いつつ日蓮信者として信仰に生きてきた双葉山の盲点をつかれた悪夢の一幕だった」と総括した。
傷心の双葉山が向った先は夫人や長男、約50人の弟子が待つ福岡・大宰府の双葉山錬成道場だった。ここは5千坪強の広大な敷地があり、昭和18年(1943年)10月に開設された。国技相撲を近隣の青少年に指導すると同時に力士が自給自足できる環境になっていた。
この土地は昭和23年に福岡県が取得し「双葉養老院」となった。5年前には社会福祉法人に移管され「養護老人ホーム双葉」として名のみを残す。
相撲の神様が、人生を変える宗教と出会ったのは、入門2年目のことだ。粗食から急激に白い米を相撲で食べるようになったことで重い脚気に悩まされた。同門の佐賀錦に誘われ東京・杉並にある日蓮宗の金丸妙正尼の教会へ通う。道場で唱題修行を始めると、みるみる全快、成績も向上していったという。
身延山に初めて詣でた昭和16年に足が不自由な望月日謙法主の車いすを押した。その時、突然「横綱 右目が悪いのか」と秘密を見抜かれた。信仰心をあつくした要因であろう。
壐光尊事件から数カ月で協会に復帰、10月に理事となる。戦後の混乱の洗礼を受け双葉山も神様から“人間”に戻った。
(編集委員・工藤憲雄)
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
■超拡散記事『ジャニーズ事務所等日本のタブーの芸能界や在日外国人の凶悪殺人事件を実名報道で斬り込むBBCへ情報提供』
■超拡散NEWSポストセブン記事『《壮観》三浦春馬さんの提灯が靖国神社「みたままつり」にズラリ並ぶ理由「毎年参拝」の意外な縁と今も続く「ファンの熱量」』
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彼らの第4コーナー「 双葉山 」
[1] 地元で愛された「神様」と「人間」
[2] 戦後の混乱 神様から人間へ
[3] 雲の上の人でも親しみやすさ
[4] 最愛の娘の死に悲しみ深く
[5] 人を包み込む温かさの魅力
相撲の神様が、人生を変える宗教と出会ったのは、入門2年目のことだ。粗食から急激に白い米を相撲で食べるようになったことで重い脚気に悩まされた。同門の佐賀錦に誘われ東京・杉並にある日蓮宗の金丸妙正尼の教会へ通う。道場で唱題修行を始めると、みるみる全快、成績も向上していったという。
[2] 戦後の混乱 神様から人間へ
(「彼らの第4コーナー」08.11.09日経新聞(朝刊))
敗戦の年の11月場所を全休して双葉山は引退を表明した。1年後に断髪、「時津風」を襲名した。その双葉山が翌年1月、丸刈り頭に国民服姿であろうことか金沢にいたのである。
新興宗教の壐宇教に入信し、「天壐照妙」をとなえて囲碁名人の呉清源らと市内を練り歩いていた。「世直しのために天変地異が起きる。世界の人口の3分の1しか残らない」。この壐光尊の神示を双葉山は信じ「金をつかむか、泥をつかむか」と一か八かの気持で、新しい信仰の道に飛び込んだようだ。
双葉山がこんな風につぶやいたと呉清源が明かしている。「日本は神国だから戦争に負けないと思っていたのに、負けた。魂の抜け殻みたいになってしまった」と。(桐山桂一著『呉清源とその兄弟』)。不幸な時代の進軍ラッパとともに常勝双葉山はあった。戦争にも敗れ、部屋も空襲で焼け落ちた。「御神前に来たときには、その瞬間に、双葉山は壐光尊の法力にひっかかってしまいました」(同)。
1月21日深夜、金沢玉川署が 壐宇教本部に一斉検挙のため乗り込むと、双葉山は 壐光尊を守り、警官と大立ち回りを演じた。翌日、署を出た双葉山は、友人である朝日新聞の藤井恒男記者らにかくまわれて温泉場で昏々と眠り続けた。悪夢から覚め、友人の温かい言葉にぽろぽろ涙を流したという。
藤井さんは「この事件は土俵を通じて不動の精神を養いつつ日蓮信者として信仰に生きてきた双葉山の盲点をつかれた悪夢の一幕だった」と総括した。
傷心の双葉山が向った先は夫人や長男、約50人の弟子が待つ福岡・大宰府の双葉山錬成道場だった。ここは5千坪強の広大な敷地があり、昭和18年(1943年)10月に開設された。国技相撲を近隣の青少年に指導すると同時に力士が自給自足できる環境になっていた。
この土地は昭和23年に福岡県が取得し「双葉養老院」となった。5年前には社会福祉法人に移管され「養護老人ホーム双葉」として名のみを残す。
相撲の神様が、人生を変える宗教と出会ったのは、入門2年目のことだ。粗食から急激に白い米を相撲で食べるようになったことで重い脚気に悩まされた。同門の佐賀錦に誘われ東京・杉並にある日蓮宗の金丸妙正尼の教会へ通う。道場で唱題修行を始めると、みるみる全快、成績も向上していったという。
身延山に初めて詣でた昭和16年に足が不自由な望月日謙法主の車いすを押した。その時、突然「横綱 右目が悪いのか」と秘密を見抜かれた。信仰心をあつくした要因であろう。
壐光尊事件から数カ月で協会に復帰、10月に理事となる。戦後の混乱の洗礼を受け双葉山も神様から“人間”に戻った。
(編集委員・工藤憲雄)