電脳筆写『 心超臨界 』

人生は良いカードを手にすることではない
手持ちのカードで良いプレーをすることにあるのだ
ジョッシュ・ビリングス

中村、聞く学問というのもあるぞ。人の話をしていることを聞きなさい――双葉山

2024-02-20 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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彼らの第4コーナー「 双葉山 」
  [1] 地元で愛された「神様」と「人間」
  [2] 戦後の混乱 神様から人間へ
  [3] 雲の上の人でも親しみやすさ
  [4] 最愛の娘の死に悲しみ深く
  [5] 人を包み込む温かさの魅力


中村安章さん(80)が相撲協会の庶務係兼時津風理事長の運転手となった。日本交通のハイヤー部門にいて協会に出入りしていたが、協会の森島事務長に「新理事長、知ってるかい? 双葉山さんだよ。運転手として来てくれるか」と言われ、迷った。給料は半分以下で同僚も「相撲社会は封建的でうるさいよ」と心配する。だが双葉山の名にひかれた。「中村です。運転手として来ました。よろしくお願いします」とあいさつした。双葉山は振り向かない。最初の驚きだった。澄子夫人が気を遣い「よろしく頼みますよ」と返した。


[3] 雲の上の人でも親しみやすさ
(「彼らの第4コーナー」08.11.16日経新聞(朝刊))

昭和32年(1957年)、出羽海理事長(元横綱常ノ花)が協会改革など国会で突き上げられ心労から割腹自殺を図った。時津風専務理事がその混乱の後を理事長として引き継ぐ。

経理に明るく弁も立つ武蔵川理事(元前頭出羽ノ花)を懐刀に組織、運営改革に大なたを振るう。立て続けに月給制や定年制、退職金制度を実施。両国国技館を日大に売却し2億円を基本財産に組み入れるなど今日の相撲業界の基礎を築いた。

大横綱双葉山の威光と決断力があったればこそだろう。

そんな時、中村安章さん(80)が相撲協会の庶務係兼時津風理事長の運転手となった。日本交通のハイヤー部門にいて協会に出入りしていたが、協会の森島事務長に「新理事長、知ってるかい? 双葉山さんだよ。運転手として来てくれるか」と言われ、迷った。給料は半分以下で同僚も「相撲社会は封建的でうるさいよ」と心配する。だが双葉山の名にひかれた。

「中村です。運転手として来ました。よろしくお願いします」とあいさつした。双葉山は振り向かない。最初の驚きだった。澄子夫人が気を遣い「よろしく頼みますよ」と返した。

理事長も難物だったが、車はそれ以上だった。優勝パレードと共用のポンティアックのオープンカーで、ふだんは幌(ほろ)をかけて使う。すき間風が入り、走るとバタバタと大きな音を立てた。理事長の声は低音で、バタバタに遮られてよく聞こえない。一度言って、聞き返すと「もういい」と怒鳴られた。

中村さんの一番の思い出は理事長一家そろっての自動車旅行だった。御宿、鴨川などホテルで宿泊しながら日蓮生誕の地・小湊や修業の寺・清澄寺を巡る房総1週間の旅だった。親子水入らずの旅というのは、最初で最後だったかもしれない。

理事長は目に入れても痛くない娘の博子さんを真ん中に、後部座席の右に座り、左は澄子夫人、長男の経治さんは助手席に乗った。博子さんが横にいるだけで理事長はご機嫌だった。

中村さんは教えられたこともたくさんあったと言う。「中村、聞く学問というのもあるぞ。人の話をしていることを聞きなさい」。新聞記者の夜討ちに理事長は正装して正座で用件に答えた。終わると「一杯いこう」。今度は記者の話を聞く。聞かれる記者は大横綱が聞いてくれるので有頂天で何でも話した。

直々に「中村、飯食ってけ」と家族との食事の席に呼ばれた。「食べろよ、飲めよ」と勧められる。うれしいが雲の上の人を前にのどを通らなかったという。

「言葉は厳しかったが親しみと思いやりがありました」。中村さんは死の直前までそばで仕えた。双葉山の話をすると今もこみ上げてくるものがある。
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