電脳筆写『 心超臨界 』

神は二つの棲み家をもつ;
ひとつは天国に、もうひとつは素直で感謝に満ちた心に
( アイザック・ウォルトン )

戦前・戦後で歴史は断絶していないのである――川島真さん

2009-11-05 | 04-歴史・文化・社会
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 「近代東アジア国際関係の源流」
 東京大学准教授・川島真

  [1] 華夷秩序と冊封・朝貢
  [2] 明治日本と清の力関係
  [3] 最初の歴史教科書問題
  [4] 記念碑の記憶
  [5] 日中の軍事交流の歴史
  [6] 多元的な空間を一元化
  [7] 外国語を話す中国人
  [8] 国際連盟での日中関係
  [9] 歴史力が国の礎に
  [10] 連続性の観点 重要に


「近代東アジア国際関係の源流」――[10] 連続性の観点 重要に
【 やさしい経済学 09.11.04日経新聞(朝刊)】

歴史研究では、一つの史料から一定の範囲内で多様な解釈が生じることを認めている。複数の史料が組み合わされば、その解釈の幅は次第に狭まっていき、一定の歴史事実が形成される。評価は多様でも、史料によって事実認識のブレの幅を狭めることができる。

他方、歴史研究者が現代の社会に生活している以上、現在と無関係でもいられない。現代社会との距離感は個々の歴史研究者によって違う。現代社会と無関係を装う研究者もいれば、現代社会の課題を過去に投影する人もいる。一般的には、過去のある時点での課題を現状とは無関係に虚心坦懐(たんかい)に認識し、それを現代社会に発信し、現状に何かを提言するという姿勢の研究者が多い。

21世紀に入り、中国が軍事、政治面のみならず経済大国ともなり、また朝鮮半島や台湾状況に変化が生じると、東アジアの歴史の描き方は変わるだろうか。例えば、日本を成功者、中国を後発者と見る観点や中国を被害者として描く歴史は低調になる可能性もある。

日中関係でも、近現代150年でみた場合、軍事力の面でも日清戦争以前は清に優位性があり、日清間の軍事交流は相当神経を使って行われていたこと、現代的課題と思われがちな歴史認識問題が戦前来の問題であることなどは、その問題の根深さに気付かせてくれる。また、冷戦期のように東アジア域内の人的・物的交流が制限されていたのはむしろ例外であり、戦前はより往来が活発で、そこには外国人の法的地位の問題が多く発生していた。

東アジアに緊密な関係が形成されようとしている現在、そこに見られる諸問題の多くは、実は19世紀以来の近代国家建設や侵略行為に起源があったり、あるいは、戦前期に類似した体験をしていたりということがある。戦前・戦後で歴史は断絶していないのである。

また、そもそも戦前・戦後という1945年を分水嶺(ぶんすいれい)とする時代区分を共有してくれる国や地域が東アジアでどれくらいあるだろうか。日本で当然視される「客観的」区分が極めて日本的なこともあるだろう。

過去としての歴史から学ぶことは多い。だが、過去・現在・未来それぞれの客観的環境は異なる。歴史に参考価値があるとはいっても、戦争を含めて、歴史は繰り返すというわけではなかろう。歴史の中に様々な可能性が見られるように、未来にも未知の可能性が開かれている。

=おわり

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