電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

中国では現在でも歴史が政治に近すぎるといわれる――川島真さん

2009-11-04 | 04-歴史・文化・社会
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 「近代東アジア国際関係の源流」
 東京大学准教授・川島真

  [1] 華夷秩序と冊封・朝貢
  [2] 明治日本と清の力関係
  [3] 最初の歴史教科書問題
  [4] 記念碑の記憶
  [5] 日中の軍事交流の歴史
  [6] 多元的な空間を一元化
  [7] 外国語を話す中国人
  [8] 国際連盟での日中関係
  [9] 歴史力が国の礎に
  [10] 連続性の観点 重要に


「近代東アジア国際関係の源流」――[9] 歴史力が国の礎に
【 やさしい経済学 09.11.03日経新聞(朝刊)】

近代国家は国民統合の一つの道具として国士と国民の歴史を編纂(へんさん)する。そこには、周辺の国や民族が時には否定的に、他者として描かれる。20世紀に、日中は相互に相手側の国家史が自らに敵対的だということを発見し、それが排外的なナショナリズムの基礎にあると認識するようになる。

1932年に満州国ができると、日本は中国政府が発行した教科書に墨塗りをし、新たに日本に都合のいい中国語の歴史教科書を配布した。また、日本本土や朝鮮半島の華僑学校で使用する教科書も、1930年代半ばには内容を変更させ、日中戦争ぼっ発以後は占領地の教科書を改めていった。

教科書以外にも、パンフレットやラジオ放送などの宣伝工作でもおのおのに都合のいい歴史が強調された。日中戦争は思想戦、宣伝戦でもあり、歴史は戦争の大義名分とかかわる一つの焦点だった。1920年代後半に作成され、日本の中国侵略の意図を示すとされる田中上奏文も、1930年代の宣伝戦に用いられた偽書である。だが、戦後中国ではこの文書は事実とされ、現在も教科書に掲載されている。他方、日本占領下の中国の人々が日本の歴史観をそのまま受けれていたわけではない。たとえば、1942年に汪精衛政権の下で製作された「萬世流芳」という映画は、南京条約締結100年を記念してアヘン戦争時の英雄、林則徐を題材として描いた。いわば反英映画である。だが、この映画で飴(あめ)売り娘を演じた李香蘭がその回顧録「李香蘭―私の半生」で記しているように、明らかに日本への抵抗を意識した作りになっている。

戦後、歴史を巡る問題は未決着のまま持ち越された。日本の教科書を修正したのは主にアメリカで、中国ができたのは日本の公文書や出版物から「支那」を除くことぐらいだった。他方、中国では戦争中の宣伝戦で用いられた歴史物語がそのまま戦後も残された。だが、戦後には新たな歴史戦争が発生した。国民党と共産党の争いだった。蒋介石政権は台湾に逃れるに際し、故宮博物院の国宝と共に大量の歴史文書を台湾に運び込んだ。文書を保持し、歴史を叙述することが正統なる中国政府としての一つの証となるからだった。

中国では現在でも歴史が政治に近すぎるといわれる。少数民族問題が起きれば、関連文書の閲覧が制限されたりするのだ。だが、歴史を物語る史料を大切にし、保存して国家の礎とする、歴史力というべきものに注意が払われていることに留意していいだろう。

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