電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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2005年5月7日、ブッシュ大統領はラトビアの首都リガで演説し、1945年2月のヤルタ会談での米英ソ3ヵ国合意について、「安定のため小国の自由を犠牲にした試みは反対に欧州を分断し不安定をもたらす結果を招いた」と言明し、「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのです。
◆ヤルタ会談は史上最大の過ち
『日本は誰と戦ったのか』
( 江崎道朗、ベストセラーズ (2017/11/25)、p283 )
アメリカは一枚岩ではなく、ルーズヴェルトとスターリンの責任を追及する反共保守派がアメリカに存在している――この厳然たる事実を私が明確に理解したのは、2005年のことでした。
2005年5月7日、ブッシュ大統領はラトビアの首都リガで演説し、1945年2月のヤルタ会談での米英ソ3ヵ国合意について、「安定のため小国の自由を犠牲にした試みは反対に欧州を分断し不安定をもたらす結果を招いた」と言明し、「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのです。
米ソ主導の戦後の国際秩序を定めた「ヤルタ会談」をこともあろうに、アメリカ大統領自身が批判するとはどういうことなのだろうか。驚いた私はインターネットを使ってこのブッシュ演説についてのニュースや論説を調べたところ、アメリカ最大の保守系オピニオン・サイト「タウン・ホール」に、「草の根保守」のリーダー、フィリス・シュラ―フリー女史が2005年5月16日付で「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす(Bush buries the shame of Yalta)」と題して次のような論説を書いていたことを知ったのです(https://townhall.com/columnists/phyllisschlafly/2005/05/16/bush-buries-the-the-shame-of-yalta-n760118)。
ジョージ・W・ブッシュ大統領、ありがとう、時期がだいぶ遅れた
とはいえ、誤った歴史を見直して、フランクリン・D・ルーズヴェ
ルト大統領の悲劇的な間違いのひとつを指摘し、よくぞ謝罪の意を
表明してくれました。
去る5月7日、ラトビアにおいて演説したブッシュ大統領は、大国
同士の談合によって、多くの小国の自由を売り飛ばしたヤルタ協定
は誤りだったと言明しました。ブッシュ大統領は「中央ヨーロッパ
と東ヨーロッパの数百万人を囚われの身」に貶めたヤルタ協定を的
確に非難し、「歴史上、最も大きな誤りのうちの一つとして記憶さ
れるであろう」と述べました。
この発言がなされるまで50年の歳月が経過しましたが、ブッシュ
の発言は、「ヤルタ協定の負の遺産が最終的に今後永遠に葬り去ら
れた」ことを確認したことになります。(『コミンテルンとルーズ
ヴェルトの時限爆弾』150頁)
シュラ―フリー女史はさらに、この協定によって我々アメリカ人は現在、中国の共産主義帝国の台頭と北朝鮮の核開発に苦しまなければならなくなったとして、次のように訴えているのです。
ルーズヴェルトの擁護者は、スターリンを日本との戦いに引き込む
ためにはこれらの譲歩が必要だった、と正当化しようとしました。
ヤルタ文書は、その主張が間違っていたということを証明していま
す。例えば、ヤルタ会談の3ヶ月半前、アバレル・ハリマン駐ソ大
使は、ルーズヴェルトに対して「太平洋戦争に単に参加するだけで
はなく、全面的に対日戦争に参戦するという完全な同意をスターリ
ンから得ている」ことを伝えています。
ロシアは太平洋戦争に必要ありませんでした。そして、ロシアの参
戦は、中国と北朝鮮における共産主義帝国構築への道を開くことに
なったのです。ソ連の参戦は、1950年代の朝鮮戦争と、今日の
北朝鮮共産主義の独裁者の息子による核兵器の恫喝を招いたのです。
(同、150~151頁)
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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2005年5月7日、ブッシュ大統領はラトビアの首都リガで演説し、1945年2月のヤルタ会談での米英ソ3ヵ国合意について、「安定のため小国の自由を犠牲にした試みは反対に欧州を分断し不安定をもたらす結果を招いた」と言明し、「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのです。
◆ヤルタ会談は史上最大の過ち
『日本は誰と戦ったのか』
( 江崎道朗、ベストセラーズ (2017/11/25)、p283 )
アメリカは一枚岩ではなく、ルーズヴェルトとスターリンの責任を追及する反共保守派がアメリカに存在している――この厳然たる事実を私が明確に理解したのは、2005年のことでした。
2005年5月7日、ブッシュ大統領はラトビアの首都リガで演説し、1945年2月のヤルタ会談での米英ソ3ヵ国合意について、「安定のため小国の自由を犠牲にした試みは反対に欧州を分断し不安定をもたらす結果を招いた」と言明し、「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのです。
米ソ主導の戦後の国際秩序を定めた「ヤルタ会談」をこともあろうに、アメリカ大統領自身が批判するとはどういうことなのだろうか。驚いた私はインターネットを使ってこのブッシュ演説についてのニュースや論説を調べたところ、アメリカ最大の保守系オピニオン・サイト「タウン・ホール」に、「草の根保守」のリーダー、フィリス・シュラ―フリー女史が2005年5月16日付で「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす(Bush buries the shame of Yalta)」と題して次のような論説を書いていたことを知ったのです(https://townhall.com/columnists/phyllisschlafly/2005/05/16/bush-buries-the-the-shame-of-yalta-n760118)。
ジョージ・W・ブッシュ大統領、ありがとう、時期がだいぶ遅れた
とはいえ、誤った歴史を見直して、フランクリン・D・ルーズヴェ
ルト大統領の悲劇的な間違いのひとつを指摘し、よくぞ謝罪の意を
表明してくれました。
去る5月7日、ラトビアにおいて演説したブッシュ大統領は、大国
同士の談合によって、多くの小国の自由を売り飛ばしたヤルタ協定
は誤りだったと言明しました。ブッシュ大統領は「中央ヨーロッパ
と東ヨーロッパの数百万人を囚われの身」に貶めたヤルタ協定を的
確に非難し、「歴史上、最も大きな誤りのうちの一つとして記憶さ
れるであろう」と述べました。
この発言がなされるまで50年の歳月が経過しましたが、ブッシュ
の発言は、「ヤルタ協定の負の遺産が最終的に今後永遠に葬り去ら
れた」ことを確認したことになります。(『コミンテルンとルーズ
ヴェルトの時限爆弾』150頁)
シュラ―フリー女史はさらに、この協定によって我々アメリカ人は現在、中国の共産主義帝国の台頭と北朝鮮の核開発に苦しまなければならなくなったとして、次のように訴えているのです。
ルーズヴェルトの擁護者は、スターリンを日本との戦いに引き込む
ためにはこれらの譲歩が必要だった、と正当化しようとしました。
ヤルタ文書は、その主張が間違っていたということを証明していま
す。例えば、ヤルタ会談の3ヶ月半前、アバレル・ハリマン駐ソ大
使は、ルーズヴェルトに対して「太平洋戦争に単に参加するだけで
はなく、全面的に対日戦争に参戦するという完全な同意をスターリ
ンから得ている」ことを伝えています。
ロシアは太平洋戦争に必要ありませんでした。そして、ロシアの参
戦は、中国と北朝鮮における共産主義帝国構築への道を開くことに
なったのです。ソ連の参戦は、1950年代の朝鮮戦争と、今日の
北朝鮮共産主義の独裁者の息子による核兵器の恫喝を招いたのです。
(同、150~151頁)