電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

悪魔の思想 《 大塚久雄――艶やかな表皮につつまれた毒饅頭/谷沢永一 》

2024-06-20 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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のちに歴史学研究会、通称歴研(れきけん)は、世界史の発展法則、という便利な惹句(キャッチフレーズ)を持ちだして、一世を風靡(ふうび)したものです。この毒饅頭の外側を掩(おお)っている世界史の発展法則という艶々(つやつや)とした薄皮をめくると中には世界革命必然論という黒々とした餡(あん)こが入っているという仕掛けです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p292 )

〈進歩的文化人の原型・大塚久雄(おおつかひさお)への告発状〉
 第13章 近代日本を全否定した国賊

  大塚久雄(おおつかひさお)
  明治40年生まれ。京都帝大卒。法政大教授、東大教授、東大名誉
  教授を歴任。反日感情を前提とした“大塚史学”を確立させる。

  明治以来の日本人が苦心の末に築き上げた近代社会を全面的に否定
  し、近代国家である日本は実は近代社会ではなかったのだと弾劾し
  たのが大塚久雄です。近代の日本人には近代精神がどこにも見出さ
  れないのだと、それほどまでに徹底的にわが国民を侮蔑した例は他
  にありません。日本には近代科学を成立させる基盤であるところの
  合理的思考がなかったと断言するのですから、我が国の近代科学は
  すべて虚構虚偽(うそはったり)だったということになります。この
  ような妄言が生まれた根拠を探ってみようではありませんか。

13-6 艶(つや)やかな表皮につつまれた毒饅頭(まんじゅう)

大塚久雄における言論活動を瞭然と特徴づける第一の志向はこうです。

つまり、どんなことがあってもけっして本音を吐かないほのめかしを主とする朧(おぼ)ろ語法の活用です。自分の心底おくふかくにしまいこんである正味の考えを、あからさまな定言命題のはっきりした用語をもって表現する直面(ひためん)(素顔)を慎重に避けます。社会主義者であり共産主義者である内実は、仲間同士の頷(うなず)きあいと目配せによる交流の場合にのみ、気を許して多少は露呈しますが、そういう正直な無礼講の機会はあまり多くなかったようです。

一般世間に顔出しするときには紳士的に居座(いずま)いを正し、社会主義者であり共産主義者である厳(いか)ついご面相を露呈しないために、近代主義者の仮面をかぶり、自由主義者の衣裳をこれ見よがしにまといます。日本を社会主義化しようなんて無作法な直接話法をもって突出したりせず、社会構造の発展段階について考えてみよう、という風な思い入れの姿勢(ポーズ)をとります。

のちに歴史学研究会、通称歴研(れきけん)は、世界史の発展法則、という便利な惹句(キャッチフレーズ)を持ちだして、一世を風靡(ふうび)したものです。この毒饅頭の外側を掩(おお)っている世界史の発展法則という艶々(つやつや)とした薄皮をめくると中には世界革命必然論という黒々とした餡(あん)こが入っているという仕掛けです。

彼らはいずれ劣らぬ折目ただしい紳士ですから、天皇制打倒、などというなまなましい叫喚(きょうかん)は口が裂けても発声しません。その代わりにもの静かで低音で、民主主義の根幹をなす完全なる平等の理念は検討に値する、という類(たぐ)いの思想的課題を沈思黙考します。

この様式(スタイル)をもってする、どこにも当たり障りのない巧みな言いまわしの工夫は大成功でした。論説家として売りだす営業種目の時宜(じぎ)に適した選択と、世の潮流がどう変わっても責任をとらされる破目にたちいたるような証拠をけっして残さぬ保身の才覚と、つまり+(プラス)と-(マイナス)の電源が見事に一体となって結合しております。

反対側の陣営は、さぞ切歯扼腕(せっしやくわん)したことでしょうね。彼等(あいつら)が共産主義であることは明々白々だから正面切って論難したいと思いたちます。しかし、実際に連中の書いたものを蚤取(のみと)り眼(まなこ)で綿密に読みたどってみたところで、どこにも決め手言葉が見当たらないのだから撃(う)ちようがなく、叩きようがありません。腹立ちの持ってゆきようもない、憎たらしい憤懣(ふんまん)だったと思いますよ。

そしてまた、一般読者にとっても、この種の瓢箪鯰(ひょうたんなまず)は、あまり緊張しないで気安くおつきあいできるという取り柄があったろうと思います。そもそも、わが国民は世間の風潮に無関心でいることができない性向を共有しています。よく大阪人は、せかせかとして焦(い)らちなのは日本民族の全体に共通の特色じゃありませんか。世の中のたえまなく変転する流れに恬然(てんぜん)として、人の世の動きなど自分は知らんと嘯(うそぶ)いている日本人なんて、鉄(かね)の草鞋(わらじ)で探しても見つかりますまい。

好(よ)かれ悪(あ)しかれ、わが国びとは時流にはいささか敏感すぎるほど神経質なのです。もし日本人が社会の動向に背を向けていたら、今日の発展と隆盛はありえなかったでしょう。わが同胞は、いつも人に遅れまいと気をひきしめている、なかなかの五月蠅型(うるさがた)なんですよ。

左翼に独占された戦後出版界 へつづく
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