電脳筆写『 心超臨界 』

あなたが他人を責めるとき
あなたは成長し変化する自分の力を放棄したことになる
( ロバート・アンソニー )

撮るのはモノではなく“人間”なんだ――長倉洋海

2025-02-14 | 06-愛・家族・幸福
20年に及ぶブログ活動の集大成 → ★仏様の指
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マザー・テレサはボランティアをする人たちに、いつもこう話しかけていた。

「みなさんはいろいろなホームで人々に奉仕しても、何かしてやっているなどと思ってはいけませんよ。確かにこの眼では何かして差し上げているのかもしれませんが、霊の眼で見たら、してもらっているのは私たちの方なのです。むしろ私たちは貧しい人たち、見捨てられた人たち、無力な人たちに、負債を負っているのです。
 あの人たちは足ることを知っています。小さなことでも心に染みるほどに感じ、感謝します。あの人たちは貧しくて、苦しくて、惨めな立場に身を置いて、私たちの愛ややさしさや思いやりを引き出してくれているのです。貧しい人は美しい。どうぞそのことに気づいて帰ってくださいね。ゴッド・ブレス・ユー」

フォト・ジャーナリスト、長倉洋海さんも、この貧しい人の美しさにこそシャッターを切る価値があると考える。


◆撮るのはモノではなく“人間”なんだ

『フォト・ジャーナリストの眼』
( 長倉洋海、岩波書店 (1992/4/20)、p154 )

〈スラムで学んだこと〉

フィリピンではスラムを訪れることが多かった。どうしてスラムに足が向かうのか・・・・・・。紛争地を取材しはじめた頃は、スラムは貧富の格差を象徴するものと考えていた。だから撮らなければならないと、スラムに向かい、貧困を表す写真ばかりを撮ろうとしていた。そして、酔った男にカメラをとられないか、強盗に遭わないかとビクビクし、緊張していた。

それが、いつからか緊張感がなく写真が撮れるように変わっていった。金網で覆われた豪邸街で富を守ろうと不信感で心を閉ざしている人より、心を開いて応じてくれたスラムの人たちといる時の方が、ホッとすることが多かった。スラム・アントニオやスモーキー・マウンテンで、さまざまな人と出会い、彼らと一緒に過ごすなかで、偏見や先入観におおわれた自分の殻が少しずつ壊れていくのがわかった。貧しいスラムをより貧しく撮るのではなく、人々の「暖かさ」や「誇り」にこそ、私はシャッターを切る価値があるとも思った。

写真を発表するだけでなく、撮った写真を撮られた人に見てもらいたいとも思う。写真を手渡し、向こうがよろこんでくれると、こちらもうれしくなる。

カメラマンの中には、相手が嫌がっても“被写体”として暴力的に写す人がいる。私も最初は“被写体”を撮ろうとしていた。しかし、撮るのはモノではなく、“人間”なんだ。当たり前だが、カメラマンとして一番大切なことを人々から教わったような気がする。
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