電脳筆写『 心超臨界 』

悲しみは二つの庭を仕切るただの壁にすぎない
( ハリール・ジブラーン )

中庸は「パレートの法則」の応用である――竹内均

2024-05-13 | 03-自己・信念・努力
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デカルトによれば、人々はそれぞれの人生の大目標をもっており、その実現に全力をそそいでいる。しかしその一方で、人々は日常的な生活を生きなければならない。この場合に、その日常的なことがらの一つ一つについて熟考するのは面倒なことであり、頭脳と時間の浪費でもある。こういう場合には、最も常識的で最も穏健な意見にしたがうのがよい。どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。


◆中庸は「パレートの法則」の応用である

「アイデアのつくり方」解説・竹内均
( ジェームス・W・ヤング、阪急コミュニケーションズ、p80 )

昔から中庸が美徳とされ、紀元前5世紀前後の聖人である釈尊も孔子もそれを力説された。中庸を中年のずるい処世術と考えていた若いころの私には、そこのところがいまひとつ理解できなかった。中庸が美徳であることをはっきりと私に教えてくれたのは、くりかえし述べたデカルトの「方法序説」である。

デカルトによれば、人々はそれぞれの人生の大目標をもっており、その実現に全力をそそいでいる。しかしその一方で、人々は日常的な生活を生きなければならない。この場合に、その日常的なことがらの一つ一つについて熟考するのは面倒なことであり、頭脳と時間の浪費でもある。こういう場合には、最も常識的で最も穏健な意見にしたがうのがよい。どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。このように考えると、中庸はいい加減な人生を生きる中年の処世術といったものではなくて、積極的な徳目である。

このことを私は自分の著書の「『修身』のすすめ」(講談社文庫、1984)の中に書いておいた。それを読んで感心してくださった竹下登総理(当時大蔵大臣)が、私に次のような話を聞かせてくださった。竹下さんの政治上の先輩にあたる椎名悦三郎(1898-1979)さんはまさにこのことを「小事省事」と呼び、求めに応じてよくそれを揮毫(きごう)されたという。私をして言わしむれば、中庸および「小事省事」はいずれも「パレートの法則」の応用である。
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