電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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釈尊の悟りの内容は、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)」(草木も国土もみなことごとく仏を成す)の一句に尽きます。ただし、神羅万象が仏であるということではありません。それでは素朴な汎神論となってしまって、釈尊の悟りとはかけ離れてしまいます。そうではなくて、真理は目に見えないけれども、目に見えない真理は、いつでも、どこでも、いたるところに形を借りて現われている、ということなのです。
『人生をささえる言葉』
( 松原泰道、主婦の友社 (2001/05)、p125 )
34 処々全真(しょしょぜんしん)――『碧巌録(へきがんろく)』
真理のまん中で生かされている
「処々」は、ところどころ、ではなく、随処です。随所は時間空間を超えて、どこでも、いつでも、いたるところ、という意味です。
随処ですべての存在が真理の当体そのものであるということ。随処に真理の当体が現れているということです。これは大乗仏教の思想で、法華経では「諸法実相(しょほうじっそう)」と言っています。
谷川の流れの音も、山のたたずまいも、ことごとく真理の表象です。釈尊の悟りの内容は、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)」(草木も国土もみなことごとく仏を成す)の一句に尽きます。
ただし、神羅万象が仏であるということではありません。それでは素朴な汎神論となってしまって、釈尊の悟りとはかけ離れてしまいます。そうではなくて、真理は目に見えないけれども、目に見えない真理は、いつでも、どこでも、いたるところに形を借りて現われている、ということなのです。
私たちは、いつも、真理のまんまん中で生かされているのです。救いのまっただ中にあって、いま、ここで呼吸しているのです。そのことに気づくのを「悟り」といい、気づかないのを「迷い」というのです。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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釈尊の悟りの内容は、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)」(草木も国土もみなことごとく仏を成す)の一句に尽きます。ただし、神羅万象が仏であるということではありません。それでは素朴な汎神論となってしまって、釈尊の悟りとはかけ離れてしまいます。そうではなくて、真理は目に見えないけれども、目に見えない真理は、いつでも、どこでも、いたるところに形を借りて現われている、ということなのです。
『人生をささえる言葉』
( 松原泰道、主婦の友社 (2001/05)、p125 )
34 処々全真(しょしょぜんしん)――『碧巌録(へきがんろく)』
真理のまん中で生かされている
「処々」は、ところどころ、ではなく、随処です。随所は時間空間を超えて、どこでも、いつでも、いたるところ、という意味です。
随処ですべての存在が真理の当体そのものであるということ。随処に真理の当体が現れているということです。これは大乗仏教の思想で、法華経では「諸法実相(しょほうじっそう)」と言っています。
谷川の流れの音も、山のたたずまいも、ことごとく真理の表象です。釈尊の悟りの内容は、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)」(草木も国土もみなことごとく仏を成す)の一句に尽きます。
ただし、神羅万象が仏であるということではありません。それでは素朴な汎神論となってしまって、釈尊の悟りとはかけ離れてしまいます。そうではなくて、真理は目に見えないけれども、目に見えない真理は、いつでも、どこでも、いたるところに形を借りて現われている、ということなのです。
私たちは、いつも、真理のまんまん中で生かされているのです。救いのまっただ中にあって、いま、ここで呼吸しているのです。そのことに気づくのを「悟り」といい、気づかないのを「迷い」というのです。