今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

そして元ネタを知る

2018年07月03日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 先日からPYGのベストアルバムを聞いてて結構気に入ってます。アルバム最初のあのギターで出した鐘の音とか、何か凄く深い意味がありそうで。で、今日ラジオで「夜のプレイリスト」の再放送でジョンレノンの「ジョンの魂」がオンエアされてて、あっさり元ネタが判明。「ジョンの魂」が1970年の発売で、PYGの「花・太陽・雨」が翌年4月の発売なので影響受けたのでしょうね。

 上記の例もそうですが、私の場合昔はアイドル歌謡とニューミュージックばっかり聞いてたので、大人になってから「あ、これが元ネタ」とわかることが今でもちょくちょくあります。昔は「すげー、筒美京平先生は天才!」とか思ってて、確かにあの人は天才ですが元ネタあるのが多いですね。「The Dock Of The Bay」はちょこっとあの曲に似てるし、「カリフォルニアの青い空」のイントロから「さらば恋人」を歌い出せないこともありません。あとは南沙織さんが好きだったのですが、40才近くになって初めてリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」を聞いて「あ…」と驚いたりしました。

 あとは筒美先生ではありませんが、キャンディーズ好きだったのでトム・ジョーンズの「Somethin' bout you baby I like」を聞いたときゃ「ハウ!」と言ってしまったり(?)、甲斐バンドが好きだったのでCCRの「Someday Never Comes」を聞いてニンマリしてしまったり、いろいろ鍛えられました。ただし邦楽のポップスがパクリばっかりかというとそういう単純な問題ではなく、洋楽は洋楽同士でパクリあってるということもあるかと。

 今は「オマージュ」という便利な言葉もありますが、パクリとかパロディとかオマージュとか細かいことは気にせずに…とはいえ、元ネタは知っておいた方がいいとは思います。「すげー」と絶賛して友達に聞かせたら実は元ネタありだったと指摘されるとちょっと気まずかったり。

 その昔、中原めいこのキウイパパイヤマンゴのホーンアレンジを聞いて「すげー、新田さん天才!」(こればっか)と思ってたら、ジャズの「That's a Plenty」を聞いて頭の中が真っ白になりました。まぁあれは今でいうオマージュ、当時でいうとパロディでしょうか。

 ちなみに、80年代のアイドル歌謡ではなんの脈絡もなく洋楽ヒットのイントロをそのまま使ったりするのがあって、わかってれば「フフン」てなもんですが知らないと「なんじゃこりゃ?」という感じになったりします。イントロがディック・セント・ニクラウスのマジックと同じで、サビのメロディが渡哲也の「くちなしの花」に似てたので「くちなしのマジック」と言われた曲もあったりしました。ヒットしなかったので知る人ぞ知る。ですが。


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8 コメント

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おじゃまします。 (Windy)
2018-07-04 06:32:04
「さらば恋人」は「カリフォルニアの…」の前の年に発表されています。すなわちこちらが先です。当時の通信状況や日本音楽市場の海外における知名度を考えると直接の引用ではなく、おそらく両者共通のリファレンスがどこかにあると考えられます。

「ローズ・ガーデン」は、南沙織さんのファーストアルバムに収録されています。原語で歌っています。すなわち自ら種明かししているようなもので、昔はそのあたり大らかだったことがうかがえます。

80年代はやれパクリだ、やれ盗作だと少しうるさく言われすぎていたような印象を持っています。重箱の隅をつつくようなはやし立て方を続けたあげく、スカスカの音楽しか現れなくなったという見方はあまり納得してもらえないでしょうか。ポップス音楽に限らず有名なクラシックでも「どこか似ている」はありますし、大きく言えば人類文明の営みはほとんどが先人が表現したもの、作り上げたものの模倣と引用を重ねて独自性を加味したものではありませんか。私はあまり「パクリ、パクリ」と騒ぐのならば日本の歌は「君が代」だけ聴きなさい、今の「君が代」だってドイツだかの楽隊がアレンジしたものですけどね、と言いたいです。

動画サイトが発達している今は簡単に「元ネタ」にたどり着けるようになりました。しかし聴いていると、元の洋楽は確かにメロディーやリズムは同じでも、演奏やアレンジがどこか大味と感じることが少なくありません。日本の曲に戻ると、隅々まで細やかに作られ、耳に心地よく演奏されていることがすぐにわかります。そのあたりが日本歌謡曲が生き残ってきた理由のひとつと考えています。
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全ての創造は模倣から始まる (黒べー)
2018-07-04 21:34:21
私も失礼します。
このテーマもなかなか興味深いですね。
もう手放してしまったのですが、1980年代始めに出版された
「ドロボー歌謡曲」という本を面白がって読んでました。
邦楽と元ネタと思われる楽曲(邦楽、洋楽問わず)を挙げて
「パクリ度」を段階的に評価するものでした。
確かにそうだと思われるのもありますが、いささかこじつけみたい
のもあって、一種のミーハーなサブカルチャー本です。
まあこの本に限らず「パクリ」をあげつらって面白がる風潮が
あの頃に流行っていたような気がします。

ところで最近、タレントのマキタスポーツさんが
「すべてのJ-POPはパクリである?」という本を出しています。
タイトル見ただけは、先の本と同じ趣旨だと思ってしまいますが、
ところがどうして、かなり本格的に楽曲の事を深く掘り下げて
論じており、むしろ「パクリこそはJ-POPの良き文化である」
と主張しています。
詳しい事は本を読んで頂きたいのですが、

 どんなジャンルのどんなに才能ある人でも、
 無から有は生み出せない。誰しも模倣から始めるのだ。
 そして、それを単なるパクリに終始せず自身のオリジナル
 として昇華出来るのが真の才能である。

みたいな事を、マキタスポーツさんが言いたかったのでは
なかろうかと思いました。
(宣伝する訳ではありませんが、なかなか良い本です
 それにしてもマキタさん音楽に造詣深いですね)

そして、Windyさんのコメント

 日本の曲に戻ると、隅々まで細やかに作られ、
 耳に心地よく演奏されていることがすぐにわかります。

成る程そうかと気付かされました。
従来、日本人の仕事は「正確かつ繊細で丁寧」と諸外国から評価されてきました。
ところが「ゆとり教育」なる怪しげなものが普及し、一億総スマフォのネット
時代になるに及んで、その美意識は崩れつつあります。
音楽業界も「パクリをオリジナルに昇華するパワー」が希薄となっている
ようでもありこの先不安ですね。
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さらば恋人とか (ハイパパ)
2018-07-04 22:41:27
>Windyさん

どもです。さらば恋人の方が早かったんですね。ということは、おっしゃるように共通する何かがあったのかも。私は別に「パクリだから」とことさら非難する気はないのですが、まぁ程度というかやり方があるのかなぁと。自分が無知だったので、あとになってまとめてあれこれ判明した際には受け入れるまでに時間がかかったりということはあります。特に同じシンガーソングライターでやたらと元ネタが見えることが多いと「あなたの才能はそんなもん?」と思ったり。筒美京平先生のようにヒット曲を作るための素材にしてるという立場ならわかるのですが。

「ローズガーデン」は私も南沙織さんのアルバムで聞きましたが、「さすがに筒美先生は男らしい!」と思いました。が、「17才」は原曲の「ローズガーデン」にかなり雰囲気が似てますが、カバーの「ローズガーデン」はあんまり原曲に似てなかったり(笑)

ちなみにパクリが指摘され過ぎて、スカスカの音楽しか現れなくなったという感じはあんまり…。やる人は普通に続けてたし、わからんようにやるのも増えたでしょうし。
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ドロボー歌謡曲 (ハイパパ)
2018-07-04 22:47:25
どもです>黒べーさん

「ドロボー歌謡曲」というのは私も見たことあります。多分立ち読みでしたので、私もドロボー並みかも。って、万引きはしてないですが(笑) たしかにこじつけ感とか知ったかぶり感はありましたね。

で、マキタスポーツさんの本は興味あります。「パクリこそはJ-POPの良き文化である」って一言で言われてもなかなか受け入れがたいものはありますが、なかなか深い感じの本ですので探してみるかなぁ。
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お手本 (むつら)
2018-07-05 15:59:12
こんにちは!
パクリと言うと聞こえが悪いので「お手本」と言えばカドが立たないかな?と(笑)。「Some day never comes」は甲斐バンドのどの曲?と知らなくて探してしまいました。ルーリードの「Walk on the wild side」を初めて聴いた時は「新宿」が海外でカバーされたのか‼と思ってびっくりしてしまいましたが。
カバーといえば「吟遊詩人の唄」は甲斐さんがセイヤングで元歌もかけてくれたのでレオセイヤーも好きになりました。
そんなこんなで日本人歌手のカバー(やお手本)で知った洋楽はたくさんあります。フォーリーブスのカタカナ英語で好きになった曲も数知れませんし、、。話がそれてすみません。
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「パクリ」より「どれ聴いても同じ」方が? (Java)
2018-07-05 18:11:35
おじゃまいたします。
皆さんコメントされているように、

 パクリをオリジナルに昇華する才能

にはある意味、「良い音楽を創ろう」というハングリーさが有ります。
つまり様々な音楽を貪欲に聴いてそこから何かを得ようとする姿勢です。
ところが最近は、自分の世界のみに引きこもって、あたかもそれが
オリジナリティーのように思い込んで「分かる人だけ分かれば良い」
みたいな自己肯定的な音楽が多いような気がします。
それも「良いなあ」と納得出来ればまだしも、
「つまらない」「どれ聴いても同じ」だと思ってしまうのです。

筒美京平さん、小室哲哉さんなどヒットメーカーの方々が
その辺と根本的に異なるのは、「売れる音楽を創ろう」
というスタンスを貫いているからだと思います。
現に筒美さんは洋楽、邦楽を問わず、今流行っている音楽を
常にリサーチされていたそうです。
小室さんも全盛期には、まるで受験生が問題集を解きながら
解放パターンを習得するか如く「ヒット曲を創るセオリー」を
ストックしていったのでしょう。

お二人のような卓越した才能でも、これだけ勉強されて
いたのですから、「パクリ = 真似る = 学ぶ」こともしないで、
オリジナリティを主張する才能無いアーティストは私は願い下げです。
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お手本(笑) (ハイパパ)
2018-07-05 23:24:26
どもです>むつらさん

「お手本」は日本語っぽくていい言葉ですね。って、日本語ですが(笑) で、ルーリードの「Walk on the wild side」を初めて聞きましたが、間違いなく「新宿」をパクってますね(?) で、もう一つ思い出したのは「Some day never comes」でお馴染みの「この夜にさよなら」に収録の「ブラッディマリー」というの。あれはロッドスチュワートの「マギーメイ」とイントロとエンディングがよく似てます。

私は子供の頃南沙織さんが好きだったのですが、洋楽カバーをやってるアルバムは買ってなかったので、今あらためて聞くと凄くいいです。当時ちょっと無理してでもあれを聞いてたら、洋楽に興味を持って英語にも取り組んで受験勉強は順調だったかも(笑) ちなみに、英語が苦手でさっぱり成績は上がらなかったということを思い出すのは苦痛です。
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売れる音楽を創る!という (ハイパパ)
2018-07-05 23:36:56
どもです>Javaさん

このテーマでは皆さん色んな意見があるので、思いは様々とお見受けします。筒美京平先生などは「売れる曲を作る」というのが期待されるところだったと思いますし、レコード会社から「こんな感じで、こういうテーマで」と依頼されることも多かったのでしょう。そうやっていろんな音楽を取り入れてヒット曲を世に出してたのは尊敬に値します、

その辺はヒットを出すことを期待される作家と、自分の歌いたい曲を作る前提のシンガーソングライターとでは私の中ではちょっと違ったりします。「自分が歌いたいということがあって曲を作ってるんじゃないの?」と思ったり。何がどうかというと、私の好きな尾崎亜美さんが作る曲はほぼ元ネタが見あたらないということがあったりします。

何事も限度があるでしょうし、昔のフォークソングなどでは「これって替え歌のレベルじゃない?」というのがあって、聞くとびっくりしたり、「いっそのことカバーって言えば良かったのに」と思う事があったりします。まずは自分で曲を作る才能があって、それでもフレーズを借りて膨らませたいという気持ちはオッケーですが何事にも限度があったり。(ああ、まとまらない)
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