半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

今年も3.11

2021年03月11日 | 自分の時間

今年も3.11がやって参りました。

私にとって大きな人生の転機となった3.11です。

もう何度も書いていますが、自分のためにも整理すると、私にとっては津波よりはやはり原発事故が大きかったです。

当時、ネット通販の会社に勤めていましたが、有機農業をやってきた農家さんの野菜に全く注文が入らなくなり、廃棄されていく事態になりました。

それにより「俺らは何も悪いことをしていないのに」と言う農家さんがいたたまれなく、一気に年をとって白髪が増えていったのを今も覚えています。

また、私にとっては子供がまだまだ小さく、「こんな子供達に対してこんな酷い目を合わせている自分がなんと情けないことか」と、今まで原発の問題に意識を向けていなかった自分の生き方を猛省しました。

そして、あの大惨事によって、「将来、子供達が大人になった時、原発事故の際にどうしたか?と問われた時に、恥ずかしくない生き方をしよう」と決めたわけです。

当時はたまたま知り合いの身内が石巻にいたので、そこに野菜を送ったりしていましたが、焼け石に水というのもわかっていました。

そんな時、日本テレビの解説員の橋本五郎さんが、小学生だったと思うのですが、「被災地にボランティアに行けないからといってそれが全てではない。それより、まず自分のするべきこと、例えば勉強やきちんと生活をする、ということをしっかりすることも被災地支援に繋がるんだよ」という言葉が私にも刺さりました。

自分の仕事を全うする、自分の出来る範囲で自分のすべきことをきちんとやる、それはゆくゆくは社会を良くすることに繋がるし、それが被災地支援にも繋がる、という事を自分の中で整理ついた言葉でもありました。

当時の「絆」という言葉も、私にとってはちょっと違和感があったのですが、そういったことも払拭出来る五郎さんの言葉でした。

この10年で、最澄の「一隅を照らす」という言葉を知ることが出来、あのときの言葉はこういったことだったんだ、と更に腑に落ちています。

なので、私の性質もあるのですが、志は大きく、行動は地道に自分の影響を与えられる範囲で、という事でコツコツ生きてきた次第です。

いつもは夜ご飯の際に家族でキャンドルをともすのですが、今回は震災があった時間に在宅できたので、テレビに合わせて黙祷をしました。

今も亡くなった家族のことを思って悲しみに溢れている被災者の方々のお話を聞くと、こちらも涙が止まりません。

ただ、少し思ったのですが、柳田国男の「先祖の話」という本がとてもベストタイミングでNHKの「100分de名著」で取り上げられていまして、「常人の日常」という考え方で、宗教家などは「あの世」といった考え方や「彼岸に還ってくる」という考え方をするが、一般の人にとっては亡き人はあの世にいっているわけではなく、日常でもそこにいるように感じる、何かあったら自分を導いてくれるように感じるものだ、というお話が、3.11にまさに響くな~と思いました。

また、その中でのエピソードで柳田国男がある村でバス停にあった老人から「ご先祖様になるんだ」という話がとても印象的でした。

その老人は頑張って家を建て、子供も5人ぐらい家を建て、孫も生まれ、「私は子や孫のご先祖様になるんだ」と言ったそうなのです。

凄い考えだな~、と思ったら、柳田国男の話では「当時の一般人にはご先祖様になる、という考えは普通にあった。例えば、この子はとても良い子だから良いご先祖さまになるな、と褒めたりした」と言うのです。

私の親からはそういった考えを聞けないのですが、もしそういったことが当たり前に思えるならば、「じいさん、ばあさんはご先祖様になる」という考えが一般常識としてある社会ならば、死というもの、あるいは死者と生者を分けるものは、今の現代とは違った考えであった、ということですよね。

そしてちょっと思い出したのが、「古事記のこころ」という本を書いて講座にも出たことがある小野先生の話では、「あなたも○○主命なんだ、つまりかみさまなんですよ」と、誰にでも伝えていました。

「日本は霊魂は不滅という思いが昔からある。古事記の世界もそうで、天照大神もあなたも同じなのだ」という思想です。

戦後、こういった思想は切り捨てられてしまったのでしょうが、被災者、あるいはコロナ禍などで親しい人を亡くした人にとって、近代的考えからすれば少し古めかしいのかもしれませんが、昔の日本人がもっていた感覚、自分はご先祖様になるんだ、そして神様になって子孫の実りを支える立場になるんだ、という思想は、とても生きていくこと、そして死んで行くことにとても力を与えると思いました。

3.11、亡くなられた方は私の勝手な考えですが、もう未練より生き残った方々の幸せを願っていると思います。

生き残った方々がこれほど亡くなった方々に悲しみを覚え、今も忘れずに生きている、それこそが最大の供養でもあり、昔の日本人の考えでいえば「今も霊魂となって見守っている」という事だと思うのです。

そういう思いを受け止めて生きていくのが生きている私達の勤めだとすれば、とにもかくにも、あの3.11を経て、全ての大人は覚悟をもって生きていかなければいけないな、と思います。

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