半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

海の恵み

2020年10月03日 | 素敵な空間・イベント

近くの小川でヨシノボリというハゼに似た小魚を一緒に釣ってから、「今度は海に行こう」となったうちの息子のお友達家族。

コロナが広まってきた3月ぐらいから始まった釣りライフですが、今回はお友達家族も「初」と言う銚子に行ってきました

大潮の日という事で、良く釣れる日だそうで、しかも小さな子供が居ない日だったので、安全な釣り場よりは釣れそうな釣り場を選んだそうです。

4時半出発で、最初は「お月様が見える」と子供も騒いでいましたが、途中からは朝焼けが始まり「なんで空がオレンジ色になるんだろうね~」と話会いながらのドライブも楽しいものです

銚子に入ると、ちょうど進行方向と日の出の方向が同じ道では目つぶしをくらい、「うわっ、凄いな、この道」と急遽サングラスをしながら頑張りましたが、何回か行った旭市の釣り場よりも早く、1時間半かからず6時前には着いてしまって、思いの他、銚子って早朝だと早く着くな~と思いました。

さて、到着すると既にお友達家族が「イワシタイムが始まっています」とのことで、入れ食い状態に。

しかし、釣り糸のサビキが絡みあってしまって、このイワシタイムを逃したのが痛い

また、仕掛けが途中、2個も跳んでいってしまったり、お友達の子供が自腹で買った7000円の釣り竿が、釣り船に絡み取られて流されてしまったことなど、トラブルも結構ありました。

しかし、なんと、うちの子が何か引っかかったと思って引っ張りあげたら、釣り糸が引っかかってきて、「誰かの落とした仕掛けかな?」と思っていたら、その先に釣り竿がついてきて、それがなんと、1時間ぐらい前に釣り船にもっていかれたお友達の釣り竿だったのです

その子は「死んでもいいから鳥になって海に探しにいきたい」と嘆いていたので、大喜び

また、隣のおじちゃんがホイホイ、ハゼをくれるのです。

「食べないから」ということで、単に釣るのだけ楽しんでいる人もいるんですね~。

我が家もハゼが釣れましたし、何より、11時過ぎ、「もういいかな~」という頃合いになってきたときに、ハゼとは思えないような当たりがあって、なんとイシモチが釣れてしまいました

そんなこんなで、再び子供達のモチベーションが上がり、いつもは必ず余る餌のイソメが今回は無くなるまで釣り三昧をしました

結果、隣のおじちゃんがくれたハゼ7匹を合わせると、イワシ34匹、ハゼ14匹、鯖1匹、アジ1匹、イシモチ1匹の計51匹

特にイシモチはカエルのような鳴き声がするのですが、その大きさと姿形にうちの子も「可愛い~」とご満悦。

お友達家族は「ここまで釣れたのは初めてかも」とのこと。さすが銚子です

やっぱり当たり前ですが、釣りって釣れると楽しいものですね~

 

そして帰りは毎年弾丸で行く「島竹水産」にお友達家族も初めて連れていったのですが、「美味い」と喜んでくれて、ご満悦でした

帰りはいつもの通り、子供はスヤスヤ眠る中、私は眠気を押さえてのドライブで帰宅。

いつもは子供が1人で料理してくれますが、10匹ちょっとの下準備で1時間かけているので、今回の量を1人で任すと9時を過ぎてしまうと思い、助太刀に入りました。

さすがに何十匹も裁いていると、だんだんやり方が私もわかってきました。

というか、幼稚園児だった頃、母のイワシ裁きを手伝って、あの腹に指を突っ込んで内臓を取る間隔、久々に思い出しました

いつもは竜田揚げにしているのですが、全てそれをやっているとこれまたとんでもない時間がかかるので、半分は煮物に。

見た目はボロボロでしたが、美味し

特に「ハゼのつみれ」は鶏肉みたいでした

イシモチは、さすがという味です。やっぱり青魚と白身は全く違いますね~。

それにしても帰りの車で思ったのは、「釣りって凄いな~」という事。

というのは、勝手に釣っても誰も怒らないんですよね。

最初、「釣りってどこでどうやるんだろう?」と思っていたのです。

漁業権というのがあるだろうし、勝手によそ者が釣りに来ていたら、その土地の人からすれば「何だお前?」みたいになるだろうし、どこなら出来るのかな~、みたいに思っていたのです。

ところが、お友達家族と行くようになって、「あぁ~、海の人はそんなこと気にしないんだな~」と。

昔、「こつなぎ」という映画を見たのですが、その映画は「山は誰のものか?」、もっと言えば「自然は誰のものか?」というテーマだったんです。

明治時代ぐらいは山はみんなのものでした。

平地は別ですが、大体の集落というのは山裾に出来ていたわけです。

山裾から溢れる水から田んぼをやり、薪や薪、山菜、あけびなど自由に採っていたわけです。

例えば、道端の草も肥だめと混ぜるための肥料になっていたわけですし、落ち葉もそう、茅葺きの茅も茅場というのがあって、そういったところをみんなで共同で頂いて使っていたわけです。

それが明治になって土地は全て「所有権」というのが出来ました。

すると、今まで共有地のように使っていた山に「勝手に立ち入るな」という思想が出来てきました。

特に、「こつなぎ」という映画は、地主と昔から慣習として誰でも自由に入れたムラの人との戦いでした。

今でも自然薯や竹など、自由に立ち入って採っている人はいますが、どちらかというと「勝手にやっているじいさん達」という感じで、あまり良い目で見られません。

しかし、釣りをしている海には漁業権はあるにしろ、ちょっとした釣りなら誰でも自由に出来る。

海川はまだその恵みを誰でも享受出来る習慣が残っているというか、「そこは俺の海だぞ」という発想が無いわけです。

自然の恵み、海の恵み。

あんなに釣って、あんなに泳いでいる魚を釣れる。

あれやこれや世知辛い世の中で、なんとも有り難いことですよね~

コメント
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