久々に撮りためたビデオを見る時間があったので、9月のNHKスペシャルの「決断なき原爆投下」というものを見ました。
原爆はルーズベルトが急逝した後、トルーマンによって落とされたとされています。
その理由は「戦争を早く終わらせ、双方の死者を減らすため。結果、30万人の兵士が死ななかった」という話がプロパガンダとしてアメリカの多くの人には信じられています。
今回、NHKが取材して資料が出てきて初めて明らかになったことがたくさんでてきたそうなのです。
まあ、NHKというのはこういったものを粘り強く交渉して引き出すのですから、いろいろあってもやはりすごいところは凄いと思います。
まず、グローヴスという原爆計画の責任者がいます。
彼は、1944年の12月に、すでに軍内部向けの資料で「1945年7月に1発、8月に1発、その後、順次17発の原爆を作って落とす」という資料を作っています。
1945年、4月にルーズベルトが突然死に、大統領になったトルーマンは、ルーズベルトと一部の者しかしらなかった原爆計画、いわゆる「マンハッタン計画」の資料に目を通そうとせず、グローヴスは「承認された」と思い、原爆計画を進めていきました。
これが今回のタイトルの「決断なき原爆投下」の所以です。
つまり、トルーマンは、突然大統領になって、戦争をそろそろ終結をどうさせるか、という国際的な交渉や軍部のコントロールに「膨大なプレッシャー」を受けていた時期で、「原爆とは?具体的にはどのように落としていくのか?」ということを深く掘り下げていかなかった、出来なかったんですしょうね。
そしてグローヴスは「原爆の破壊効果を測定する」ために、
・人口が集中している都市
・直径5㎞以上の平地がある
・投下予定の8月までに空襲を受けていない、つまり破壊効果を測定する建物がたくさん残っている
といった条件で、東京から佐世保まで17か所をリストアップし、京都が一番良い、という結論をだしました。
理由は
・効果測定ができる上記の条件が整っている
・平地の周りが山に囲まれていて、爆風が収束されて威力がより増す
・さらに、原爆の威力がいかにすごいかを判断できる知的レベルの住民が住んでいる
といったことです。
また時期に当たっては
・6月は梅雨でだめ
・7月はまだあまり天候が良くない
・8月がベスト
・9月はまた天候が悪くなる
といった発言が気象学者から会議で出ています。
もう、こんな資料を見ただけで、世界史上の最大の非人道的行為だ、ということがわかります。
しかし、陸軍長官で京都にも住んでいたことがあるスティムソンが京都に落とすことを反対します。
理由は、「戦争遂行にあたってアメリカがヒトラー以上の残虐行為をしているという批判が、東京大空襲などに対して世界的に高まっていた時期であり、これ以上市民を巻き沿いにした戦争行為はアメリカのイメージを下げ、日本の戦争後のアメリカに対する忠誠心もそぐ」というものでした。
これに対し、あくまでグローヴスは京都にこだわります。
最大の効果測定ができる条件がそろっていたからです。
7月には資料を偽造して「京都駅、紡績工場などに軍事施設がある」という報告書を出します。
それに対し、スティムソンは「軍事的に意味がない、国益を損なう」と反対します。
グローブスは、京都に落とすことを説得するためにスティムソンの所に6回も通ったそうです。
そして、7月16日にニューメキシコで核実験が初めて成功しました。
一方で、日本では各地の都市が空襲で焼かれ、降伏も時間の問題とされていました。
つまり、原爆を日本に落とす意義はもう無くなっていました。
しかし、グローブスとしては、原爆計画責任者として国家予算22億ドルを使い、効果検証が出来なければ議会を説得したり国民を説得したりできないとし、京都に落とすよう軍部内で動いていました。
それを知ったスティムソンが改めて京都に落とすことを却下します。
そして仕方なく選んだのが広島でした。
先ほどの効果検証の条件に当てはまるからです。
しかし、今回明らかになったのは、トルーマンが明確に原爆を推進したり投下を決断したわけではない、という事実だけでなく、本人が「一般市民、特に女性や子供を殺すのは良くない」と思っていた、という事実です。
それが日記や文章や証言テープからわかったのですね。
ところが、グローブスは「広島は日本でも有数の軍事施設が集まっている陸軍都市である」という報告書を出しました。
アメリカの専門家は「グローブスがトルーマンを意図的に欺こうとした資料」とみています。
7.25にスティムソンも「原爆は軍事施設に対して投下するのであって、子供や女性をターゲットにしないように」と伝えます。
7.25にこれを受けて、グローヴスは「原爆投下指令書」を軍に出します。
「広島、小倉、新潟、長崎の1つに落とす。2つ目は準備が出来次第落とす」という指令書なのですが、これをトルーマンが正式に承認した明確な資料は今のところ見つかっていないようです。
つまり、トルーマンは軍部の動きをコントロール出来ておらず、ある意味、明確に「一般市民が住むところを狙うな」という指示を出せていなかったのですね。
そして、8.6、広島に原爆が落とされます。
この時、トルーマンはポツダム会談の帰り道で大西洋の船の上でした。
この時、市民がたくさんすむ市街地に落とされたという認識はなかったようです。
8.8トルーマンはスティムソンから広島の原爆投下直後の写真を見て「こんな酷い破壊をしてしまった責任は、自分にある」と言っています。
つまり、一般市民がいる市街地に落とすということを見逃してしまった責任をここで初めて知ったそうです。
ところが、すでに次の爆弾の準備がされていて、8.9に長崎に2発目が落とされます。
トルーマンはこのことについて「日本の女性や子供達にしてしまった行為に後悔をしている」という手紙を友人に送っています。
8.10に全閣僚を集め、トルーマンはこれ以上の原爆投下を中止するという決定を下しました。
これにより、グローブスが用意していた3発目以降の原爆は、ようやく投下を中止されることになったのです。
以上が、今回の内容でした。
ここからは私の感想。
対ドイツ、そしてドイツ降伏後は対ソ連のために原爆を実験しておきたかったアメリカ。
その実験国として選ばれた日本。
アメリカの中には日本人や日本という国を理解していた人もいますが、大勢は「憎きイエロージャップ」をやっつけるために、原爆は必要だった、ということになっています。
歴史の流れから見ると、東洋人を見下し、日本を目の上のたんこぶとし、最終的には原爆を落とす流れも彼らなりの理論であったのでしょうが、どんな理由があるにしろ、やってはいけないことをやってしまった、というのは事実だと思います。
アメリカにはそれを謝罪を出来ない国際関係、そして国内の問題があるにしろ、一般市民の我々は「やってはいけないことだった」という見解を持つべきだと思います。
我々日本人も単に戦争反対とか、原発反対とか言っているだけでは、また何かあったら「あれは戦争を早く終わらせ犠牲者を少なくするために必要だった」という論理が通ってしまいますからね。
戦争は国家行為であって、国の外交手段の1つでもあります。
しかし、あってはならない、してはならない。
でも、もし、しなければいけない状況になった時にでも、人間として最低ラインの「これだけはしてはいけない」と言うところだけは、軍人も線を引かなければいけないと思います。
無着成恭さんが高柳さんに「人が人じゃなくなるのが戦争」といいますが、中枢にいる人間は、原爆の事を少しでも理解できるのであれば、「してはならないライン」というのを持たなければいけないと思います。
原爆はルーズベルトが急逝した後、トルーマンによって落とされたとされています。
その理由は「戦争を早く終わらせ、双方の死者を減らすため。結果、30万人の兵士が死ななかった」という話がプロパガンダとしてアメリカの多くの人には信じられています。
今回、NHKが取材して資料が出てきて初めて明らかになったことがたくさんでてきたそうなのです。
まあ、NHKというのはこういったものを粘り強く交渉して引き出すのですから、いろいろあってもやはりすごいところは凄いと思います。
まず、グローヴスという原爆計画の責任者がいます。
彼は、1944年の12月に、すでに軍内部向けの資料で「1945年7月に1発、8月に1発、その後、順次17発の原爆を作って落とす」という資料を作っています。
1945年、4月にルーズベルトが突然死に、大統領になったトルーマンは、ルーズベルトと一部の者しかしらなかった原爆計画、いわゆる「マンハッタン計画」の資料に目を通そうとせず、グローヴスは「承認された」と思い、原爆計画を進めていきました。
これが今回のタイトルの「決断なき原爆投下」の所以です。
つまり、トルーマンは、突然大統領になって、戦争をそろそろ終結をどうさせるか、という国際的な交渉や軍部のコントロールに「膨大なプレッシャー」を受けていた時期で、「原爆とは?具体的にはどのように落としていくのか?」ということを深く掘り下げていかなかった、出来なかったんですしょうね。
そしてグローヴスは「原爆の破壊効果を測定する」ために、
・人口が集中している都市
・直径5㎞以上の平地がある
・投下予定の8月までに空襲を受けていない、つまり破壊効果を測定する建物がたくさん残っている
といった条件で、東京から佐世保まで17か所をリストアップし、京都が一番良い、という結論をだしました。
理由は
・効果測定ができる上記の条件が整っている
・平地の周りが山に囲まれていて、爆風が収束されて威力がより増す
・さらに、原爆の威力がいかにすごいかを判断できる知的レベルの住民が住んでいる
といったことです。
また時期に当たっては
・6月は梅雨でだめ
・7月はまだあまり天候が良くない
・8月がベスト
・9月はまた天候が悪くなる
といった発言が気象学者から会議で出ています。
もう、こんな資料を見ただけで、世界史上の最大の非人道的行為だ、ということがわかります。
しかし、陸軍長官で京都にも住んでいたことがあるスティムソンが京都に落とすことを反対します。
理由は、「戦争遂行にあたってアメリカがヒトラー以上の残虐行為をしているという批判が、東京大空襲などに対して世界的に高まっていた時期であり、これ以上市民を巻き沿いにした戦争行為はアメリカのイメージを下げ、日本の戦争後のアメリカに対する忠誠心もそぐ」というものでした。
これに対し、あくまでグローヴスは京都にこだわります。
最大の効果測定ができる条件がそろっていたからです。
7月には資料を偽造して「京都駅、紡績工場などに軍事施設がある」という報告書を出します。
それに対し、スティムソンは「軍事的に意味がない、国益を損なう」と反対します。
グローブスは、京都に落とすことを説得するためにスティムソンの所に6回も通ったそうです。
そして、7月16日にニューメキシコで核実験が初めて成功しました。
一方で、日本では各地の都市が空襲で焼かれ、降伏も時間の問題とされていました。
つまり、原爆を日本に落とす意義はもう無くなっていました。
しかし、グローブスとしては、原爆計画責任者として国家予算22億ドルを使い、効果検証が出来なければ議会を説得したり国民を説得したりできないとし、京都に落とすよう軍部内で動いていました。
それを知ったスティムソンが改めて京都に落とすことを却下します。
そして仕方なく選んだのが広島でした。
先ほどの効果検証の条件に当てはまるからです。
しかし、今回明らかになったのは、トルーマンが明確に原爆を推進したり投下を決断したわけではない、という事実だけでなく、本人が「一般市民、特に女性や子供を殺すのは良くない」と思っていた、という事実です。
それが日記や文章や証言テープからわかったのですね。
ところが、グローブスは「広島は日本でも有数の軍事施設が集まっている陸軍都市である」という報告書を出しました。
アメリカの専門家は「グローブスがトルーマンを意図的に欺こうとした資料」とみています。
7.25にスティムソンも「原爆は軍事施設に対して投下するのであって、子供や女性をターゲットにしないように」と伝えます。
7.25にこれを受けて、グローヴスは「原爆投下指令書」を軍に出します。
「広島、小倉、新潟、長崎の1つに落とす。2つ目は準備が出来次第落とす」という指令書なのですが、これをトルーマンが正式に承認した明確な資料は今のところ見つかっていないようです。
つまり、トルーマンは軍部の動きをコントロール出来ておらず、ある意味、明確に「一般市民が住むところを狙うな」という指示を出せていなかったのですね。
そして、8.6、広島に原爆が落とされます。
この時、トルーマンはポツダム会談の帰り道で大西洋の船の上でした。
この時、市民がたくさんすむ市街地に落とされたという認識はなかったようです。
8.8トルーマンはスティムソンから広島の原爆投下直後の写真を見て「こんな酷い破壊をしてしまった責任は、自分にある」と言っています。
つまり、一般市民がいる市街地に落とすということを見逃してしまった責任をここで初めて知ったそうです。
ところが、すでに次の爆弾の準備がされていて、8.9に長崎に2発目が落とされます。
トルーマンはこのことについて「日本の女性や子供達にしてしまった行為に後悔をしている」という手紙を友人に送っています。
8.10に全閣僚を集め、トルーマンはこれ以上の原爆投下を中止するという決定を下しました。
これにより、グローブスが用意していた3発目以降の原爆は、ようやく投下を中止されることになったのです。
以上が、今回の内容でした。
ここからは私の感想。
対ドイツ、そしてドイツ降伏後は対ソ連のために原爆を実験しておきたかったアメリカ。
その実験国として選ばれた日本。
アメリカの中には日本人や日本という国を理解していた人もいますが、大勢は「憎きイエロージャップ」をやっつけるために、原爆は必要だった、ということになっています。
歴史の流れから見ると、東洋人を見下し、日本を目の上のたんこぶとし、最終的には原爆を落とす流れも彼らなりの理論であったのでしょうが、どんな理由があるにしろ、やってはいけないことをやってしまった、というのは事実だと思います。
アメリカにはそれを謝罪を出来ない国際関係、そして国内の問題があるにしろ、一般市民の我々は「やってはいけないことだった」という見解を持つべきだと思います。
我々日本人も単に戦争反対とか、原発反対とか言っているだけでは、また何かあったら「あれは戦争を早く終わらせ犠牲者を少なくするために必要だった」という論理が通ってしまいますからね。
戦争は国家行為であって、国の外交手段の1つでもあります。
しかし、あってはならない、してはならない。
でも、もし、しなければいけない状況になった時にでも、人間として最低ラインの「これだけはしてはいけない」と言うところだけは、軍人も線を引かなければいけないと思います。
無着成恭さんが高柳さんに「人が人じゃなくなるのが戦争」といいますが、中枢にいる人間は、原爆の事を少しでも理解できるのであれば、「してはならないライン」というのを持たなければいけないと思います。