今年、初めての畑のお手伝いは、無農薬で野菜を作っている岡田さんの畑でのお手伝いです。
今日は12時過ぎ~15時ぐらいまでと、2時間半ぐらいの短いお手伝いですが、うちの2歳の子も「畑に行きたい
」と嬉しいことを言ってくれたので、連れて行きました
この時期、畑の野菜の多くは寒さで葉っぱが枯れたり、朝は凍り付いてしおれています。
にんじん畑はこんな感じで、葉っぱは半分しおれてしまっていますが、根っこは地中にあるので凍らずに元気です。
ただ、あまり寒くなると地上に出ている頭の部分が凍ってしまったり、あるいは3月ぐらいになると暖かくなってくると白い細い根っこが出始めてくるので、それまでには抜いてしまいます。

さて、うちの子は久々の畑ですが、がんばってにんじんを抜くのを手伝ってくれました

しかし、さすがに寒いのか、1時間もしないうちに寒さで震えて車でいったん休んで、そしてまた出てきてお手伝いをしてくれましたが、やっぱり寒いようで鼻水たらしながら頑張っていました


岡田さんの一番下の子供は1歳ですが、今日はお母さんがいないため、軽トラックで寝ていたり、起きたら畑にボーっと立っていました。こうやってお父さんの仕事を小さいうちにみながら育つから、3歳にもなると立派な戦力になって手伝ってくれるんですね。
でも、ほんと寒い中、全く動かず立っていたのには驚きでした
寒さに慣れているのかな?

そんなこんなで2時間半ぐらいで今回の収穫は終了
立派なにんじんがたくさん収穫できましたよ

畑に久々に子供を連れていって思い出すのは、うちの2歳の子は、生後2ヶ月で東京から田舎に引越し、しばらく畑が家の前にある生活を送っていたことです。
一昨年の末に成田の今の住居に引っ越した後も、昨年も夏ごろまでは、ほぼ毎週畑に通っていたのです。
今や5歳になるお兄ちゃんの方も、3歳の頃、おばあちゃんに畑で「これは小松菜だよ。これはほうれん草だよ」と説明していたのを思い出します。
今回の畑について、2歳の子に「ちょっと前にジャガイモを掘った畑だよ」と伝えると、子供は覚えていました。(そのときの様子は→コチラ)
また、鼻水たらしながらも収穫してくれたので、「お家に帰ったら、とってくれたにんじんでママに美味しい料理作ってもらおうね
」と言うと、ガチガチ震えながら「うん」とうなづいていました。
そんな子供をみて思うこと。
「小さい時だからこそ、青空と土の手触り、大地の匂いなどを味わせる原体験をさせたい」
こういった想いが、またふつふつと沸いてきました。
この辺りではある程度都会である成田の中心部に住んだことで、生活は非常に便利になり、ママ友や子供の友人のことがたくさんできました。
そんな現状を考えると、畑が無くともこういった生活の方が家族にとっても良いのかな~、と思ってしまうことが多々あります。
でも、そういった生活って、やっぱり、いつでも出来ること。
与えられた環境、与えられたシステムで暮らすのが「街の暮らし」であれば、それは楽なのは当たり前。
本当にそういったところで暮らしているのが幸せなのか?という質問に、心の中ではやっぱりYESとは言えない自分がいます。
だって、私が田舎暮らしをしたいと思ったのは、街の暮らしが「生活している気がしない=自分で生きている気がしない」という感覚から始まったのだから。
子供もそうでしょう。
泥遊び、砂遊びなど好きなようにして、食べるものが畑や田んぼから出来ていることを当たり前に知り、一般的な「まずい野菜」じゃなくて「美味しい野菜」を当たり前に食べ、虫やカエルなどの小動物と当たり前に触れながら「与えられた教育」ではなく、「目の前に広がる青空や大地などの自然」から「好奇心に任せるまま遊ぶ」。
そういった原体験が作る心のスペースが、自然や人や命を思いやれる、豊かな心や人間性を作るのだと思います。
家に帰った後、奥さんが子供が収穫したにんじんで、お好み焼きを作ってくれましたよ

お風呂上りの子供は、にんじんの収穫を頑張ったことをほめられ、お好み焼きに入ったにんじんをつまんで誇らしげでした

今日は12時過ぎ~15時ぐらいまでと、2時間半ぐらいの短いお手伝いですが、うちの2歳の子も「畑に行きたい


この時期、畑の野菜の多くは寒さで葉っぱが枯れたり、朝は凍り付いてしおれています。
にんじん畑はこんな感じで、葉っぱは半分しおれてしまっていますが、根っこは地中にあるので凍らずに元気です。
ただ、あまり寒くなると地上に出ている頭の部分が凍ってしまったり、あるいは3月ぐらいになると暖かくなってくると白い細い根っこが出始めてくるので、それまでには抜いてしまいます。

さて、うちの子は久々の畑ですが、がんばってにんじんを抜くのを手伝ってくれました


しかし、さすがに寒いのか、1時間もしないうちに寒さで震えて車でいったん休んで、そしてまた出てきてお手伝いをしてくれましたが、やっぱり寒いようで鼻水たらしながら頑張っていました



岡田さんの一番下の子供は1歳ですが、今日はお母さんがいないため、軽トラックで寝ていたり、起きたら畑にボーっと立っていました。こうやってお父さんの仕事を小さいうちにみながら育つから、3歳にもなると立派な戦力になって手伝ってくれるんですね。
でも、ほんと寒い中、全く動かず立っていたのには驚きでした


そんなこんなで2時間半ぐらいで今回の収穫は終了

立派なにんじんがたくさん収穫できましたよ


畑に久々に子供を連れていって思い出すのは、うちの2歳の子は、生後2ヶ月で東京から田舎に引越し、しばらく畑が家の前にある生活を送っていたことです。
一昨年の末に成田の今の住居に引っ越した後も、昨年も夏ごろまでは、ほぼ毎週畑に通っていたのです。
今や5歳になるお兄ちゃんの方も、3歳の頃、おばあちゃんに畑で「これは小松菜だよ。これはほうれん草だよ」と説明していたのを思い出します。
今回の畑について、2歳の子に「ちょっと前にジャガイモを掘った畑だよ」と伝えると、子供は覚えていました。(そのときの様子は→コチラ)
また、鼻水たらしながらも収穫してくれたので、「お家に帰ったら、とってくれたにんじんでママに美味しい料理作ってもらおうね

そんな子供をみて思うこと。
「小さい時だからこそ、青空と土の手触り、大地の匂いなどを味わせる原体験をさせたい」
こういった想いが、またふつふつと沸いてきました。
この辺りではある程度都会である成田の中心部に住んだことで、生活は非常に便利になり、ママ友や子供の友人のことがたくさんできました。
そんな現状を考えると、畑が無くともこういった生活の方が家族にとっても良いのかな~、と思ってしまうことが多々あります。
でも、そういった生活って、やっぱり、いつでも出来ること。
与えられた環境、与えられたシステムで暮らすのが「街の暮らし」であれば、それは楽なのは当たり前。
本当にそういったところで暮らしているのが幸せなのか?という質問に、心の中ではやっぱりYESとは言えない自分がいます。
だって、私が田舎暮らしをしたいと思ったのは、街の暮らしが「生活している気がしない=自分で生きている気がしない」という感覚から始まったのだから。
子供もそうでしょう。
泥遊び、砂遊びなど好きなようにして、食べるものが畑や田んぼから出来ていることを当たり前に知り、一般的な「まずい野菜」じゃなくて「美味しい野菜」を当たり前に食べ、虫やカエルなどの小動物と当たり前に触れながら「与えられた教育」ではなく、「目の前に広がる青空や大地などの自然」から「好奇心に任せるまま遊ぶ」。
そういった原体験が作る心のスペースが、自然や人や命を思いやれる、豊かな心や人間性を作るのだと思います。
家に帰った後、奥さんが子供が収穫したにんじんで、お好み焼きを作ってくれましたよ


お風呂上りの子供は、にんじんの収穫を頑張ったことをほめられ、お好み焼きに入ったにんじんをつまんで誇らしげでした


