世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

靖国神社に参拝しよう(17)

2008-09-28 16:25:54 | Weblog

6.追記・第3章(4)スリム中将の話について

この3章の引用元となった「私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです」の大元の書籍、「世界から見た大東亜戦争名越二荒之助(なごし ふたらのすけ)編が、ようやく手に入った。それを引用して、以下この背景を説明する。

(7)でビルマの独立が1943(S18)年8月1日であることが述べられているが、追い出されたイギリスも黙ってはいない。逐次増強していた東部インドの英軍がビルマへ侵攻する気配を示したため、日本軍はINA(Indian National Armyインド国民軍)と共に、英軍のビルマ侵攻の拠点となるインパールに先制攻撃をかけた。これがインパール作戦「う号作戦」である。この攻略を担ったのが、第十五軍の三十三師団や十五師団であった。これは悲惨な負け戦となったが、イギリス軍東南アジア総司令部司令官(連合軍総司令官、ビクトリア女王曾孫)ルイス・マウントバッテン大将は次のように語っていると言う。

「・・・日本軍はインパールにおいて、また全ビルマにおいて敗れるべくしてついに敗れた。兵理である。しかし、そこには何かが残った。」と。

そして、その何かは「それは史学の権威トインビーが、いみじくも喝破したとおりである。もし、『日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権を我が物顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」と指摘している。

インパール作戦における日本の将兵の死は決して無駄ではなかった、いや「大東亜戦争」も必然性を持ったものだ、こうマウントバッテンは主張しているのです。

このマウントバッテンの下で英第十四軍の司令官を務め、日本軍と戦ったウィリアム・J・スリム中将が日本軍の勇敢さを絶賛しているのです。
「敗北から勝利へ」(陸上自衛隊幹部学校訳)はその彼の著書である。

そして「世界から見た大東亜戦争」のこの項・第2部四項「壮絶なる戦い・玉砕戦」を担当した相澤宏明氏(この書籍の発行元展転社の創立者)は次のように結んでいる。

『インパールで、実際に日本軍と対した敵将のこうした絶賛は、戦争の当事者の声として生々しく私達に伝わってきます。インパールに散った日本の将兵も、これで浮かばれます。もって瞑すべし。』と。

更にもう一言引用したい。

現地の人々は、日本人が軍規粛清で特に婦人暴行が全くなかったことを、常に称賛します。それは、コヒマでもインパールでも同様です。日本軍を追ってここへ来た英印軍は、略奪と婦人暴行が相当ひどかったため、統制のとれた日本軍の姿が心に残ったのでしょう。・・・
しかし人々は、単に日本人一人ひとりが規律正しく勇敢であったことを評価しているわけではありません。インドの少なからぬ識者達が、大東亜戦争中に日本国家が果たした役割について肯定的な発言をしているのです

このことは、この3章の(9)や(10)を見れば分かることである。

(終わり)
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靖国神社に参拝しよう(16)

2008-09-27 23:49:22 | Weblog

国家と言う共同幻想を維持するためには国家としての誇りが必要です。この点、小泉さんはうまく立ち回ったと思います

対米従属ともいえる姿勢を貫いた小泉純一郎首相が5年5ヶ月も政権を維持できたのは、靖国問題をめぐり中国に対して日本のプライドを強く主張することで「内的自己」を満足させたからだと言える。

対して福田首相は、対米従属路線は維持した上で、中国との関係も重視、靖国参拝は見合わせ、毒ギョーザ問題も追及しなかった。国民の「内的自己」を満足させることはできず、支持率が低迷したのは当然のことだったのかもしれない。

・・・・・・・・・
次に誰が首相になろうと、「外的自己」と「内的自己」の葛藤と言う宿命に翻弄されることは間違いありません。

葛藤を解消する道はあるだろうか。

「一番簡単なのはアメリカと戦争をして勝つことです。(笑)しかしそれはあまりに非現実的。今の日本には、アメリカの衰退を待つことしか道がないように思います」】

と言う内容。いわゆる簡単にいってしまえば、「自己主張」がうまくできていない、と考えれば分かりやすいと言うことか。言い換えれば無理難題や意地悪ばっかり言ったりやったりする輩に対して、いかに自己主張をするかと言うことであろう。

葛藤を解消する道は簡単なことである。

1.大東亜戦争の意義を今一度真剣に見直し、再評価すること。

2.「内的自己」の主張を躊躇させる足かせは、WGIPであることを理解し、それが  間違っていたことを大々的に公表・宣伝することである。

3.そして何もいわれても、靖国神社に堂々と毎年参拝すること。

  大東亜戦争を戦った人たちの御霊を慰め尊崇の念をささげるために、少なくとも靖国神社には、毎年参拝すればよい
  それは何も間違ったことではない。堂々と参拝すべきである。

(続く)
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靖国神社に参拝しよう(15)

2008-09-27 00:02:56 | Weblog

5.内的自己実現のため、靖国神社に参拝すべし。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080906/stt0809060758004-n1.htm

の産経ニュース『[eye]福田首相の「客観」と無念「あなたとは違うんです」発言の真意は』に、「なるほどなあ」と言う記述があったのでそれを引用させてもらって、締めとしたい。

【心理学者の岸田秀さんの著作『二十世紀を精神分析する』に魅力的な記述がある。

《日本は1853年にペリーに強姦され、その屈辱感を抑圧したため、強国アメリカに従うしかないとする外的自己と、本当は復讐したいとする内的自己とに分裂し、一種の精神分裂病者になった》

ここで言う外的自己とは「外界と直接関係する領域」内的自己とは「外界との関係から不可侵の領域」と言う意味合いだ。両者の分裂による葛藤は近代日本の宿命だ、と岸田さんは言う。

[内的自己と言うものは、自己流に解釈すれば「本音」と言うべきものなのであろう。「ペリー・アメリカのやろうめ、余分なことをしやーがって、今に見ておれ」と言ったところか。]

「日本は真珠湾攻撃で葛藤の解消を図ろうとしましたが、結果はご存知の通りです。戦後は『内的自己』を抑圧して『外的自己』によって対米関係を維持していく道を選びました。しかし『内的自己』は消滅したわけではありません。日本人の中にずっとうずき続け、ことあるごとに頭をもたげてくる」

歴代首相はこの宿命に翻弄されてきたと言うのが岸田さんの分析だ。

「吉田首相の時代は敗戦のショックもあって国民に『対米従属も致し方なし』と言う諦めがあった。だからワンマンとなりえ、名宰相とうたわれた。ところが復興と共に日本人の中に『内的自己』が頭をもたげ始める。岸信介首相は対米従属の象徴とも言うべき日米安全保障条約をめぐって国民国民的憎悪の対象となってしまった。」

「外的自己」と「内的自己」の対立をもたらす相手はアメリカ一国にとどまらない。対中、対韓、対露・・・外交が複雑化するにつれ、葛藤も錯綜する。


「葛藤が解消されていない以上、日本の首相は適当にごまかしながら職務を遂行する以外に道はない。非常に疲れると思います」と、岸田さんは首相の立場を思いやる。たとえ首相の決断が国益を考え抜いた末のものであっても、それが安易に「外的自己」を優先したように映れば、国民の不興を買う。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(14)

2008-09-26 02:00:31 | Weblog

・アメリカ製「歴史認識」定着

このようにしてGHQは、メディアと公教育を通じてWGIPウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを広め、確かなものとしていった。その結果、日本人はこのアメリカ製「歴史認識」に縛られていった。

ノンフィクション作家の保阪正康氏は次のように述べている。

そこで示された史観の発想やトーンは東京裁判の起訴状や判決文と見事と符合する。戦後のさまざまな昭和史記述の本もこの史観を下敷きに、なぞっている。

戦時中の言論統制もあって「情報」に飢えていた日本人は、GHQが計画的に与えた米国製の「歴史認識」を吸収し、これが「歴史の真実」として間違ったまま定着していってしまった。高橋史朗氏が「マインドコントロール計画」と指摘した通りであった。神道指令なども将にそのためのものであった。次にこの件に関するGHQの動きを時系列にまとめて列記しておく。

昭和20年 9月10日、「新聞報道取締方針」発令、以後続く。
昭和20年10月 2日、GHQ/SCAP一般命令第四号発令
昭和20年12月 8日、「太平洋戦史」新聞連載始る。
昭和20年12月 9日、「真相はかうだ」NHK放送始る。昭和23年1月まで続く。
昭和20年12月15日、「神道指令」通達
昭和20年12月31日、「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」覚書、各授業の
            停止と教科書の回収。
昭和21年 4月 9日、代用教材として「太平洋戦争史」を購入、利用するよう通達。

・東京裁判史観を軌道修正せよ。そして靖国神社に参拝しよう。

この点に関してジャーナリストの櫻井よしこ氏は、日本人が戦後、自らの責任で東京裁判史観を軌道修正できなかったことを反省しつつ、次のように語る。

二度と他国の謀略に敗北し、二度と自国の歴史、文化、文明、価値観、立場を理由なく否定されたり、曲げられたりすることのないように、しっかりと歴史を見ていくことがこれからの課題だと思う

なおこの4章は、
http://kaz19100.hp.infoseek.co.jp/siryo/GHQ1.htmと
http://ja.wikipedia.org/wiki/の(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
を引用している。

その点、小泉純一郎首相の靖国神社参拝は立派だった。全くぶれなかった。将に日本のリーダー。
その在任期間ずっと靖国神社に参拝された、現在も参拝されている。しかし、 大東亜戦争が侵略戦争だと国会で答弁したことは、全くの間違いで、不勉強極まりない。いつの日か反省の弁を聞きたいものだ。

自民党総裁選に立候補した5人の実力者達にも是非投票日には、靖国神社に参拝してもらいたい。それが日本のリーダーたる必須の条件である。靖国神社にお参りしなかった安倍晋三も福田康夫も短命であった。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(13)

2008-09-24 13:58:16 | Weblog

・NHKラジオ「真相はかうだ」の放送

昭和20年12月9日、上記の「太平洋戦史」をドラマ仕立てにした物語の放送を開始した。週1回、日曜午後8時から10回放送された。更に「真相箱」と改変され、更に41週間も続いたと言う。

何れにせよ、内容は「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴取者の心に刻ませる」(CIEラジオ課)と言うもので、一方的な筋書きであった。
原爆投下は当然、日本のリーダーの責任だ。」「戦時中の軍指導者は明らかに戦争犯罪人である。」などなど・・・。

そして「太平洋戦史」は昭和20年(1946年)4月5日、高山書院から単行本として刊行され、ベストセラーとなっている。戦時中は報道管制がしかれ、日本人は情報に飢えていた。そのためこのアメリカ製の歪曲された歴史認識」は瞬く間に、日本人の頭の中に間違ったまま入っていってしまった。

そして更に馬鹿なことに、昭和21年(1946年)4月9日、文部省は国史教科書の代わりの代用教材として「太平洋戦争史」を購入、利用するように通達まで出しているのだ。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(12)

2008-09-23 16:12:43 | Weblog

・新聞に対する検閲

検閲は、極東国際軍事裁判(東京裁判)に関する批判などに対しては、徹底的に行われた。新聞はもとより、各種の雑誌に至るまで徹底的に行われたと言う。岩波の雑誌「世界」に対しても論文の全文掲載禁止処分を受けていたことが、'05.8.3に判明したと言う。('05.8.4産経新聞)

また新聞に対しても徹底した検閲が行われた。
S.20.9.10には、検閲のスタートとなる「新聞報道取締方針」が発令され、
S.20.9.21には、GHQ批判などを禁止する「新聞条例」を発令。
S.20.9.27には、「新聞と言論の自由に関する新措置」で、新聞はマッカーサーの支配下に置かれた。

GHQはこのように日本の新聞報道や各種の書籍を検閲し、自身の支配下に置きアメリカの歴史認識に合致したニュースや論文だけを報道させた。

用語狩りも徹底していて「大東亜戦争」と言う用語は、徹底的にマークされすべて削除させられた。大東亜共栄圏と言うテーマが欧米列強にとっては真に都合の悪いものであった証拠である。このことは昭和20年12月15日神道指令通達によることを、先にも述べている。

・アメリカの歴史認識の押し付け「太平洋戦争史」の掲載

アメリカの「歴史認識」の日本人への刷り込みは徹底していた。真珠湾攻撃から4周年目の昭和20年(1945年)12月8日、全国の新聞に「太平洋戦争史」を連載させた。これもGHQの例のCIE民間情報教育局の提供によるものであった。

連載は10回にわたり、満州事変(昭和6年・1931年9月18日柳条湖鉄道爆破)から終戦に至るまでの「日本の悪行」を強調・宣伝する内容であった。

この連載で日本軍の行動を「侵略」と位置づけ、侵略を周到に刷り込んでいった。更に在りもしない「南京大虐殺」の暴行沙汰などが盛り込まれ、中国共産党政権に散々利用されることになる。

言っておくが、南満州鉄道は日露戦争で勝利した日本が日露講和条約(ポーツマス条約)で、満州におけるロシアの権利・財産として、清国政府の承諾をもって、移転譲渡されたものである。そしてそれに並行する鉄道を建設しないと言う条約が締結されているにも拘らず軍閥の張作霖が平行線を建設し始めたため起こった衝突などから、満州事変は始っている。

そして米国の「歴史認識」の刷り込みには、NHKラジオの放送も動員された。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(11)

2008-09-23 01:39:44 | Weblog

ここに何気なく記載されていた「軍国主義者の責任」と言う言葉を、そのまま鵜呑みにしそうになったのも、このWGIPの活動の効果だったのかもしれない。恐ろしいことだ。

そして「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CIEのWGIPは、一応初期の目的を達成したと言ってもよい。その時、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。」とも主張した。そして更に続ける。

軍国主義者と国民との対立と言う架空の図式を導入することによって、国民に対する罪を犯したのも、現在及び将来の日本の苦難と窮乏も、すべて軍国主義者の責任であって、米国にはなんら責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、軍国主義者が悪かったから起こった災厄であって、実際に原爆を落とした米国人には少しも悪いところはない、と言うことになるのである。」

更に明星大学教授の高橋史朗氏は、この主張をそのまま認め、産経新聞'05.8.4で、次のように主張した。

東京裁判が倫理的に正当であることを示すと共に、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし戦争贖罪(罪の償いをする)意識を植えつけることであり、いわば日本人へのマインドコントロール計画だった

このウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは将にその通りのものであり、そのためには「何を伝えさせるか」と言う積極的な活動と、「何を伝えてはいけないか」と言う徹底した検閲などの制限活動の二面でもって進められた。いわゆるすべて「させる」「させない」と言う日本の政治機構への指令であった。

言っておくが、敗れたりとはいえ日本には優秀な統治機構が存在したため、GHQはその統治機構に命令し、監督すればことたりたのである。イラクなんぞの政治と比較できるものではない。日本だからこそ、戦後のアメリカの占領政策はある意味では成功したのである。アメリカは日本の占領活動から何も学ばなかったのである。今から言える事ではあるが、アメリカはクウェートからフセインを追い出すだけで、イラク国内にフセインを押し込めておくべきであった。イラクは日本と違い、万世一系の天皇制などと言う国民すべてが尊崇するものがない。イラク国内をこっぴどく破壊したため、民意を統一して束ねる精神的支柱がもともとなかった国であるため、統治機構そのものも壊してしまった。これではイラク占領政策には苦労するであろう。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(10)

2008-09-21 19:38:45 | Weblog

4.大東亜戦争の意義とWGIP
   ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム


・大東亜戦争の意義

この3章に記載されている諸外国における「大東亜戦争の意義」については、日本国内においては殆ど、知らされていない。そのため日中戦争を含む大東亜戦争については、日本軍国主義の侵略であり、「東南アジアの諸国は大いに被害を受けた」式の風潮が蔓延している。しかし、真実は全くその逆である。

我々は大いに自信を持って大東亜戦争の意義を語り伝え、大東亜戦争を戦った先人達を誇りに思いそして大東亜戦争を戦った英霊に尊崇の念を表し靖国神社に参拝しなければならない

然るになぜ多くの日本人が先の大戦に対して、少なからぬ罪悪感を抱いているのであろうか。歴代首相はもとより、畏れ多くも天皇陛下にまで「先の大戦において…」とか「…苦難を与えた不幸な一時期が…」などと言わせるようになったのか。
もちろん戦争は忌むべきものではあるが、何ゆえこのような大東亜戦争の意義が、語り継がれていなかったのであうか。

それには、GHQ/SCAPのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、略称WGIP)が存在していたからである。

・WGIPウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

WGIPとは、日本を混乱なく占領するためにGHQが巧妙に仕組んだ、日本人に対する宣伝工作である。文芸評論家の江藤淳氏は、これを「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」と呼んだ。

1945年(S20年)10月2日付けのGHQ/SCAPの「一般命令第四号」によるもので、GHQの例のCIE(民間情報教育局)が主体となって実施した。

同命令の趣旨は、
日本国民に敗戦の事実を受容させ、各層の日本人に、彼等の敗北と戦争に関する罪>、現在及び将来の日本の苦難と窮乏に対する
軍国主義者の責任連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」と言うものであった。

江藤淳氏は更に次のようにも言っている。
日本の軍国主義者と国民とを対立させようと言う意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」との間の戦いにすり替えようとする底意が秘められている。

よく考えてみれば、当時「軍国主義者」と言う人種も日本には居なかった。日本を含め東亜を欧米列強の搾取から守ろうとする日本人と日本の軍隊は存在している。しかしその指導者達は軍国主義者ではない。必死に日本を守ろうとした益荒男(ますらお)達ではないか。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(9)

2008-09-20 11:56:19 | Weblog

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”と言うのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争---この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼等はこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った負けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、と言うのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたし言うが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼等は英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

(15)ラダ・ビノード・パール 元・極東国際軍事裁判所 判事
(インド、法学博士、昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)

要するに彼等(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分等のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3★~20年、東京裁判の審理機関)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったに違いない。・・・私は1928年(S3年)から1945年(S20年)までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。この中には、恐らく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であると言うことがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分等の子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけには行かない。誤られた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ誤られた歴史は書き換えなければならない

★1928年(S3年)秋に日本の満州経営を視察した米モルガン財団代表ラモントは、「満州は唯一安定し、日本の満州開発は中国の利益となっている。」とオールズ国務長官に報告している。またこの年「張作霖」が爆殺されている。
(続く)
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靖国神社に参拝しよう(8)

2008-09-19 23:49:34 | Weblog

(12)ジョージ・S・カナヘレ ハワイ日本経済協議会事務局長
    (アメリカ、政治学者)

日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)
インドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

(13)ジョイス・C・レブラ女史 コロラド大学歴史学部教授
 (アメリカ、秀英書房「東南アジアの開放と日本の遺産」、256~257頁)

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

日本の戦後、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に抵抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを、イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍武器を手にし、訓練をつんでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固(ろうこ)たる意志に支えられていた。

(14)朴 鉄柱
 (韓国、平成2年1月逝去・68才、韓日文化研究所、昭和42年10月)

「ソウルから日本を眺めていると、日本が心と言う字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心と言う字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることは出来ない。」
(続く)
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