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世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

尖閣諸島問題その2(55)

2012-09-30 12:18:45 | Weblog

少し長くなるが、当ブログなどで言及した「尖閣諸島が日本固有の領土である」事を示している事柄を時系列で並べてみる。「固有の」と言う意味は、それまでどこの国のものでもなかった、と言うことである。これがあれば、馬賊・匪賊国家である中国共産党国家の心理戦・世論戦・法律戦に反論できる。


1561(永禄4)年  明の使節・郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に、尖閣諸島の大正島から琉球となる、書かれている。明代の『石泉山房文集』。(2012.8.31,NO.34参照)
日本では川中島の戦いのあった年で、室町幕府第13代将軍足利義輝の時代。

1683(天和3)年  清の使節・汪楫(おうしゅう)は、漢詩で、台湾の馬祖島を過ぎれば中国領から離れる、と詠んでいる。当然尖閣諸島は中国領ではない。その後編纂された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』は、現在の基隆市が台湾の北東端であるとしている。だから尖閣諸島は中国領ではないのである。(2012.8.31,NO.34参照)
天和3年は、日本では第5代将軍徳川綱吉の時代。

1856年(安政3年)  古賀辰四郎は、製茶業の古賀喜平氏の三男として、福岡市八女市字山内に生まれる(2012.09.21,NO.49参照)。
篤姫で有名な第13代将軍徳川家定の時代、幕末。1868年から明治時代となる。

1879年(明治12年)  古賀辰四郎23才の時、八女茶販売のため沖縄に渡る。そこで夜行貝に目をつけ、高給ボタンの材料として輸出し莫大な財を成す。

1884年(明治17年)頃  から古賀辰四郎は、尖閣諸島などの探検を行い、魚釣島、久場島などでアホウ鳥のもう、綿毛、べっ甲、貝類などの採取を進める。

1885年(明治18年)  古賀辰四郎の借地契約の請求により、明治政府は沖縄県当局を通ずるなどして、再三にあたり尖閣諸島の現地調査を行う。(2012.8.27~28,NO.30~31)

1891年(明治24年)   熊本県の伊沢弥喜太が魚釣島、久場島に沖縄漁民と共に渡り、海産物とアホウ鳥の採集に成功する。その後1893年にも、何回かに分けて30名程度の日本人が魚釣島や久場島に赴くが、長く留まることはなかった。(http://senkakujapan.nobody.jp/page053.html より)

1894(M27)年7月25日~1895(M28)年5月8日 (台湾5月29日~11月30日) 日清戦争

1895(M28)年1月14日  明治政府は、尖閣諸島が無主の地であることを10年にわたり確認したため、日本国の領土に編入する。(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html)

1895(M28)年4月17日  日清講和条約(下関条約)調印、朝鮮の独立・遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲(下関条約第2条)が決まる(尖閣諸島は含まれず)。同年5月8日批准書交換、条約発効、停戦。(2012.8.27,NO.30)

下関条約第3条では、「前条の付属地図の境界線はこの条約批准後直ちに日清両国より各二名の境界画定委員を任命し実地について確定するものとする。」とあるので、尖閣諸島が含まれていないことは確かな事実である。(2010.12.4~12.10,「日韓併合100年」NO34~39を参照のこと。)

1895(M28)年4月23日  露独仏の三国干渉。同年5月5日に三国に遼東半島の放棄を伝える。

1895(M28)年5月29日~1895年11月30日  台湾平定完了(日清戦争完全終了)

1895(M28)年6月10日  古賀辰四郎が「官有地拝借願」を内務省に提出。(Wikipediaより)

1896(M29)年   古賀辰四郎は明治政府より、魚釣島・久場島・北小島・南小島の30年間の無償貸与を受ける。魚釣島に、鰹節工場の建設など開発に着手する。

1897(M30)年~  大規模投資を実施し、魚釣島・久場島に家屋、諸水施設、船着き場、桟橋などを構築し、排水溝など衛生環境の改善、海鳥の保護、実験栽培、植林などを行った。

1904(M37)年  鰹節工場の他にアホウドリの羽加工工場、鳥フン石採掘場などを設けて、魚釣島に古賀村(通称)が出来ていた。

1909(M42)年  古賀村の戸数は99戸を数え、定住者は248人に達した。以上の功績により、古賀辰四郎は藍綬褒章を受章している。

1912(M45)年1月1日  孫文を臨時大総統(大統領代理)として、清国に代わって、中国大陸に中華民国が成立する。

1918(T7)年  古賀辰四郎氏死去。以後息子の古賀善次氏によって、開拓と事業は引き継がれて行く。

1919(T8)年冬  中国福建省の漁民31名が遭難し尖閣諸島魚釣島に漂着する。12月30日に古賀善次氏が見つけ、この時石垣島の村長・豊川善佐、石垣村衛生係・玉代勢孫伴、尖閣諸島の開拓者・古賀善次、与那国島の通訳松葉ロブナストらが尽力して、漁民31名を救助し治療看護し健康を回復せしめた。その上無事中国に送り返している。
(「尖閣諸島の写真と地図集」http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/page020.htmlなどより)

1920(T9)年5月20日  中国漁民31名の救助活動に対して、中華民国駐長崎領事から上記四名へ感謝状が贈られる。現在は 玉代勢孫伴氏宛の感謝状が石垣市八重山博物館に保管されているが、2010.11.28には 豊川善佐氏宛の感謝状が見つかっている。これは当時のままの姿を維持したものである。そこには「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記され、領事氏名の馮冕(ひょう・めん)と共に、「華駐長崎領事」の公印と「中華民国駐長崎領事印」が押されていた。
尖閣諸島を日本領と認めていた何よりの証拠である。(2012.9.3,NO.35)

1927(T15)年  無償貸与の30年が終了したため、1年契約の有償賃借となる。

1932(S7)年3月31日  古賀善次氏に尖閣諸島の魚釣島・久場島・北小島・南小島の4島を有償で払い下げる。(「尖閣諸島の歴史概要」 http://www.seinensya.org/undo/ryodo/senkakushoto/070426history.htm)

1940(S15)年  船舶燃料の確保が困難となり、尖閣諸島から撤収する。以後無人島となる。
(「尖閣諸島今昔」http://pinacles.zouri.jp/bunken/konjaku.htm)

1945(S20)年8月15日  日本国、ポツダム宣言を受諾して、「大東亜戦争」終戦。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(54)

2012-09-28 12:06:06 | Weblog

中国共産党
  「日本解放第二期工作要綱」(A)
     

     A.基本戦略・任務・手段
A-1.基本戦略

          A-2.解放工作組の任務

          A-3.任務達成の手段


A-1.基本戦略

 我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有して
いる国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放
戦に奉仕せしめることにある。


A-2.解放工作組の任務

 日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。

 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)

 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)

 ハ.日本人民民主共和国の樹立
・・天皇を戦犯の首魁として処刑
最終的には、天皇の暗殺・処刑を目標としている。なんとしても阻止しなければならない。

(第三期工作の目標)

 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、上の
第口項、即ち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成するこ
とにある。


A-3.任務達成の手段

 本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定
の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。
即ち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使喉者、見えざる
指揮者であらねばならない。以下に示す要領は全て対象者に
なさしめる言動の原則
を示すものである。
すべて対象者を取り込み彼らに行動させよ、としている。

本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかに懸かっ
ている。よって、工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに
工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する。  



何と恐ろしいことか。先に掲げた「2050 極東マップ」は、将にこのことを言っているのである。何も架空の絵空事ではないのである。戦後早くから中国は日本の属国化を考えていたのである。そう思うと、現時点(2012.9.18)の尖閣諸島への中国の侵略は、単なる絶海の孤島への中国のチョッカイだと思ってもらったら大間違いなのである。


尖閣諸島の位置を考えてみるとよい。
 
次の図を見てほしい。これは「http://blogs.yahoo.co.jp/oyihcim_28/archive/2011/10/16」に記載されていたものであるが、九州鹿児島から屋久島、奄美大島、沖縄、そして宮古島、石垣島、西表島、与那国島と続く先島諸島が台湾の近くまで連なっている。これらの島々の連(つら)なりを「南西諸島」と読んでいる。そしてこの余那国島辺りから約150km程北北東よりに行った辺りに、尖閣諸島の魚釣島がある。


2012.9.18のNO.46で言及しておいた福建省の寧徳(ニントー)の秘密基地は空軍の基地であったが、当然そこは三沙湾の奥であるので良好な軍港ともなる。この上図では福州の州の字辺りにあるから、尖閣諸島の目と鼻の先に位置している事になる。尖閣諸島を押さえると言うことは、中国海軍の太平洋への出鼻を押さえることが出来る位置であると言うことである。

だから中国は、「尖閣諸島は古くから中国の領土だ」などと嘘を言っても、略奪したい島なのである。

さてここで今一度尖閣諸島の歴史をおさらいして、日本固有の領土であることを再確認しておきたい。

(続く)
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尖閣諸島問題その2(53)

2012-09-27 00:03:32 | Weblog

次のブログを参照願う。一応その文言を掲げておきました。

暴かれた支那の戦略 Free JAPAN!
ちなみに、このマップ、オリジナルは東側がもう少し長くなっています。
そして、驚いたことに、支那の国境は、日本とハワイの間に引かれています。

2050年にこのマップを実現しようとする支那。

http://blogs.yahoo.co.jp/give_me_your_opinion/7918816.html



やはり習近平は与太者というよりも匪賊の親玉のようだ。天皇陛下はこの日本国を統率され全国民の象徴とされているだけでなく、全世界でも最上位に位置する皇帝なのである。アメリカのオバマ大統領は、さすが米国を代表するだけあって、そのことはちゃんと弁えている。だから天皇陛下に拝謁できたことを感謝し、平身低頭している。それに比べて中国の習近平は、どうか。天皇陛下を見下しているではないか。さすが匪賊・馬賊国家の副主席だけある。こんな奴を、畏れ多くも天皇陛下に合わせるべきでなかったのだ。

これもあの小沢一郎が中国の意を介して、宮内庁に対して無理に無理を重ねてごり押しして無理やり、天皇陛下との会見を設定させてしまったものである。

この小沢のごり押しは小生のブログ、2009.12.14~22の「国慶節に思う(38、45)」を参照願う。

小沢は2009.12.10~13の3泊4日の予定で600人もの集団で中国を訪問している。そして胡錦濤にお願いして、全議員に握手させてもらったのである。そして習近平は、2009.12.15に天皇陛下と会見している。小沢は全日程は中国にはおらずに12/10の1日だけ中国に滞在しただけであった。小沢は2007.12.6~8にも訪中団を率いて、胡錦濤に会いに行っている。小沢は完全に中国の言いなりの人物に成り下がっているのである。

そして、小沢は大訪中団を受け入れてもらったお礼に、習近平が天皇陛下に会見できるように、宮内庁を恫喝したのであった。

習近平の天皇陛下に対する態度を見るにつけ、習は先の「2050 極東マップ」実現のために、日本に攻めて来ると思わざるを得ない。今回(2012.9.14)の中国公船の日本領海侵犯は、習の差し金だと言うではないか。どうする、日本。

今回の習近平の雲隠れは、尖閣諸島の日本政府の国有化に対する習の強硬姿勢を鎮めるための、胡錦濤の習に対する何らかの制限でなかったかとも思えるのである、とこの時までは思っていたがさにあらず、その間習近平は現地に赴き尖閣諸島の領海侵犯や漁船団の侵攻の陣頭指揮を執っていたのだ、とあの黄文雄氏が昨日(2012.9.24)テレビで言っていた。さもありなん、とも思えるのである。(2012.9.25追記)


さて李鵬1995年の「日本消滅発言については、小生のブログ2009.2.27,2009.3.3「バラク・フセイン・オバマ大統領(27,28)」などを参照願う。

だから現在の状況(尖閣諸島の日本領海への中国公船の侵犯)は、将に李鵬の言う通りの事を中国がやりだしたと言うことである。



このこと(日本消滅、属国化)への第1の証拠がこれだ。中国は古く(昭和47年)から「日本を内から占領してしまおう」と言う工作を進めていたのである。その目的は、天皇を処刑して「日本人民民主共和国の樹立である。まことに驚くべきことであるが、中国共産党は早くから日本をして中国の世界解放戦争に奉仕させることを「国是」として、多数の共産党工作員を日本に潜入させている。

現在日本に来ている中国人留学生は、ほとんどが何らかの形で中国共産党の工作活動の一翼を担っていると言われている。だから中国人は、極力日本から排除しなければならなのである。日中友好のために留学生を増やすなどと言った以前の福田首相の物言いは、日本のためにならないと思っているほうがよい。

日本の政治家や文化人、学校・学生、メディア・出版業界などを、金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してでも籠絡させて、中国共産党工作員の意のままに動かせるようにすることである。

その目的は、「日本人民民主共和国」の樹立であり、それによって日本中国の属国とすることなのである。

李鵬の言う「そのうちに20年もすれば日本などはこの地球上から無くなってしまう」と言うことは、将にこのことを意味する。そのために日本に潜入する工作員に対して、きめ細かなマニュアルを作成して教育しているのである。

その工作要領が、中国共産党日本開放第二期工作要綱」である。

それによると、日本に派遣された開放工作員の任務は、「民主連合政府の形成」(「日本人民民主共和国」)の準備工作を完成することである、と記されている。

第二期工作要領とあるから、第一期工作も第三期工作も存在している。
すなわち、

第一期工作の目標は、日本が中国との国交を正常化させることである。これは1972年9月29日に田中角栄と周恩来による「日中共同声明」に調印することで国交が回復している。だから今年は日中国交正常化40周年記念の年となるのである。

第二期工作の目標は、先に述べたように「民主連合政府の形成」の準備工作の完成、である。

第三期工作の目標は、天皇陛下を戦犯として処刑して、日本に「日本人民民主共和国」を樹立することなのである。中国の描くこの具体的な姿が、先に示した「2050極東マップ」の日本の姿なのである。


この中国共産党「日本開放第二期工作要綱」は、小生のブログ2009.4.8(尖閣諸島問題NO.12) ~2009.4.17(同NO.21)で詳細に説明しているので、是非参照願いたいが、次にその冒頭部分を載せておくので、これをご一読後は是非ブログを参照願いたい。




[ (6)中国共産党「日本開放第二期工作要綱」(全文)

なおこれは、国民新聞の下記URLより転載したものである。(昭和47年8月特別号)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html

ここには下記のような前書きがあり、続いて「日本解放第二期工作要綱」の全文が記載されている。尚これによると、究極の目標として、中国共産党は天皇暗殺・処刑も俎上(そじょう)に載せていることが記されている。恐ろしいことだ。しかもそのことは極秘にして行動せよ、と指示している。(→第二期工作の目標は、そのための民主連合政府の設立、天皇制を廃して、共和制への移行準備の完了としている。)


中央学院大学の西内雅教授(故人)が昭和47年にアジア諸国を歴訪した際、偶然、入手した秘密文書。
内容は中国共産党が革命工作員に指示した陰謀で、当時から現在に至る迄、中国の対日謀略は秘密文書の通りに続いているとみられる。
同年8月、国民新聞社は特集記事を掲載し、更に小冊子を発行したが、重要と思われるのでここに再録する。


この工作要綱は現在でも、内容を修正しつつ、有効に機能させていることであろう。北京オリンピックの聖火リレー時における、在日中国人(留学生など)による組織的な暴力行為などは、将にその面目躍如たるものではなかったか。日本の中国大使館より支給されたアルミの大小の旗竿を武器に、暴れまわったあの姿は忘れるものではない。
('08.4.19~長野での聖火リレー、中国警備隊を完全排除せよ、を参照のこと)
((08.5.14~胡錦濤帰国、を参照のこと)


また、自民党のN階議員などは、故郷のW歌山県で露骨に中国よりの施策を実施して、県民よりかなりの顰蹙(ひんしゅく)を買っていたことがあったが、これなど、中国工作員に取り込まれているよい事例であろう。われわれは自民党議員だからと言って、気を許してはいけない。安倍晋三内閣での諸々のスキャンダルの発覚や自身の病気などにも、中国工作員の何らかの働きかけが無きにしも非ず、と言った見方にも一理あると、疑う必要もあろう。何しろ安倍内閣の動きは、この中国共産党の考えている日本開放路線と真逆の方向に向っていたからである。安倍晋三氏にはハード的にも、ソフト的にも、何らかの薬物を盛られていたことは、確かであろう。それ程中国共産党のスパイ・工作員の活躍は、活発に機能していると身構えなければならないのである。


(続く)
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尖閣諸島問題その2(52)

2012-09-26 00:00:38 | Weblog

■小沢一郎 氏に見せてみたい「2050極東マップ 」

ジョージ・ワシントン大学政治学博士にして自由民主党所属の参議院議員である浜田和幸氏が「SAPIO」(2009/12/23・2010/1/4号)に明かしている
「私が初めてこの手の地図を目にしたのは、騒ぎになるよりも前、今から2年ほど前である。
中国に駐在していた経産省の知り合いの官僚が帰国したので、
久しぶりに会って話をしたのだが、
『中国外務省の役人からこんなものを渡された』
と見せられた地図に込められた禍々(まがまが)しい野心に、強い衝撃と怒りを感じたことを今もよく覚えている」

なんと、中国の外務官僚から日本の経産官僚に、この禍々しい地図が渡された、というのだ。
事実であるなら、実に面妖なことである。
単なる戯れなのか、それとも何らかの意図を持った心理的情報操作なのか、それはわからない。

浜田氏の解説によれば、出生率の低下で日本の人口はどんどん減少する。
そこで、列島の西半分に溢れ出た中国人を1億人単位で移住させ、
「東海省」として中国の一部とする。
少数民族となった日本人を、東半分に強制移住させ、
「日本自治区」として、これも中国の版図に組み込む、というわけだ。


櫻井よしこ氏が「中国外務省から流出した"2050年の国家戦略"と題した地図がある」とのべていた。オリジナルは中国語で、日本語に翻訳したものである。

中国の実情、昨今の緊迫をみれば、この地図が冗談では済まされない重みを持つ

日本の周辺国家は、欧米のように理性的で、人権を重んじる、先進国ではない
民主主義もおぼつかない、前時代的国家群である
良識的対応を望むのはムリである
日本の常識・良識は通用しない

国家間には警察もなければ裁判所もない。

(国際司法裁判所は双方の合意なき場合、事実上利用できない)
力と力のパワーゲーム。残酷な結果が待っている

また日本国内で、傷病失業で困窮すれば、国家や自治体から、支援給付を受けられるが、国際社会では期待できない。
開発途上国や最貧国でもなければ、支援などない
国力衰亡を誰も助けてはくれない
国家としては、自力で生きていかねばならない。

現に我々は、チベット・ウイグルで虐待・虐殺が起こっている事を薄々知りながら、助け出すことはおろか、支援も出来ないで居る。

中国の軍部と定期会合に出席している自衛隊幹部OBらは、中国軍部の要求の傲慢ぶりに、うかつに乗れば危ないと警告を発している

日本に来るVIP待遇の中国人たちは、日本の感想を「空気が綺麗で旨い。国土も美しい。もしここが、中国のものになれば、特権階級や富裕層のリゾート地になるだろう」と述べている

こういう事例・発言は多々ある。
日本を飲み込むという思考が彼らには確かにある。

ボヤボヤしていると、日本人がウイグル・チベットと同じように虐殺される日は遠くない。
http://ameblo.jp/hex-6/archive1-201102.html




なおこの「2050 極東マップ」はここ掲げられている部分だけではなかった。この地図は横にもっと大きなもので、ハワイ諸島までもが描かれているという。そして支那の国境はハワイの西側に引かれているのです。2050年までには中国は太平洋をアメリカと2分割していることになっているのです。

しかしこの「2050 極東マップ」は日本で作られた贋物である、と分析している。

簡単に言うと、地図の作者は日本のチベット支援者で、チベットの現状を日本にたとえて説明するとこう言う事だ、と言う内容。

チベットのパンダが中国のものだと説明され日本人は納得しているが、この極東マップによると「奈良・京都」の歴史物などが世界で中国の物だと展示されているのと、同じだと言っている。

小生はパンダが中国のものではなくてチベットのものだと言うことは承知しているし、馬鹿高い額を出してまで中国から借りる必要はない、と思っている。だから真彦だかマッチだか知らないが、義捐金として集めた浄財から億の単位で拠出して、パンダを仙台に呼び寄せるなどと言う悪行には、
絶対に反対である。

詳細は下記を参照願いたい。



「Red Fox 読まずにレッテル貼りをする人は出入り禁止」
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-233.html




まあある意味、「太平洋を2分割してハワイから西を中国が統治するから、アメリカさんはハワイ以東を管理すればよい」と中国軍の高官が言ったり、中国の言う第二列島線以上の範囲を中国領とするぞと言ったり、、李鵬までもがそのうちに日本はなくなってしまうと言っているから、いくら偽造の地図だと言われても、中国共産党政府が考えていることの一部なのでしょう。小生は中国共産党が考えていることは、こんなものよりもっと過激なことだと思っている。

しかしこの地図は、将に李鵬の言っている通りの地図なのです。だからこの地図が贋物とは言え、この作者は中国の考えていることがよく判っている、と言ってもよいだろう。

この第二列島線については、小生のブログ「年王雑感(6)」2010.6.28を参照願う。中国は2020年までには第二列島線内の制海権を確保して、次の20年間で、即ち2040年までには太平洋をアメリカと2分割して統治してゆくと言う戦略なのである。だから「2050 極東マップ」はそれなりの意味があるのである。

この太平洋2分割統治論についても、小生のブログ「中国覇権主義(11)」 2008.06.17を参照願う。そこでは中国海軍の高官が、アメリカ太平洋軍の司令官ティモシー・キーティング海軍大将に、「アメリカ側がハワイ以東の海域を管理し、中国がハワイ以西の海域を管理する、と言う合意を結びましょう」と、真顔で提案したと言う。末恐ろしいことである。中国はこの「2050 極東マップ」の実現に向けて、真剣に取組んでいるのである。鈍(なまく)らな日本人であってはいけないのである。

(続く)
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尖閣諸島問題その2(51)

2012-09-25 00:01:30 | Weblog

だから民主党政権から自民党政権に、政権交代をしないと駄目なのだ。尖閣諸島を国有化しても、民主党政権は何もせずに現状のままで先送りしてしまうであろう。これでは何も生まれない。民主党政権は、中国政府の意図を何も解っていないか、それほど深刻に考えていない。相変わらず中国から尖閣諸島を攻められるだけだ。中国の意図するところは、日本の属国化である。

それは中国は尖閣諸島だけではなく、日本列島そのものまでも中国のもの、にするつもりのようだ。
これはまことに恐ろしいことだ。次の記事を参照願う。




★総本宮★ HEX大社
2011-02-09 19:48:01    http://ameblo.jp/hex-6/archive1-201102.html

余談ながら.......
中国は工場労働のためと称して、ウイグルの適齢期の若い女性を250万人も強制移住させた。
結果、残されたウイグル人の男性には結婚相手が居なくなってしまう
巧妙な民族殲滅策である
現在ウイグル人の出生率は、日本の1/10である

2009年のウイグル暴動の鎮圧・虐殺の責任者は、習近平国家副主席。

反日教育の申し子と言われ、次期国家主席がほぼ確実な人物。2012年にも就任かと言われる
昨年小沢がらみで国家元首でもないのに、天皇との会見がセットされて物議をかもしたあの人物である

そして同年の、尖閣事件で、元軍人の船長を尖閣諸島に送り込んで体当たりさせた仕掛け人とされる
    
習近平副主席

オバマ大統領 

天皇は、世界的に皇帝と認識されており、国際儀礼上、大統領・首相といった国家元首は勿論、名だたる世界の王族よりも上位とされ、ローマ法王(教皇)と並んで事実上最高位に当たる
儀礼でエリザベス女王より上座に座るのである

どの国家元首も儀礼上天皇が上位になる為、軽く会釈程度は普通である
オバマ大統領は、やや極端すぎたと言う意見もあるが、習近平の態度の異様さはわかるだろう
中国人の反日感情に配慮したものでもあろうが、反日教育を受けて育った習近平の認識が垣間見える

2012年以降の日中関係は厳しさを増す可能性がある。



中国の少数民族に対する抑圧振りは、非情を極める。
チベットやウイグルが他人事だと思ってはいけない。

1995年中国の李鵬首相は「日本など20年も経てば地球上から消えてなくなる」と発言し、物議を醸した。
これは、オーストラリア首相と会談中に述べたもので、李鵬首相は、歴代のオーストラリア首相に対して同様の発言を繰り返している。

この件は参議院でも取り上げられた

参議院 (1996-11-08). "参議院会議録情報 第134回国会 国際問題に関する調査会 第2号
「この前、ちょう どAPECを控えて、我が自民党で御承知のようにAPECの問題でアメリカとオーストラリアに行ってもらったんです。
そのときに、オーストラリアキー ティング首相がこう言ったんです。

中国の李鵬さんと会ったらどう言ったかといいますと、日本とのいろんな話をしたら、いや日本という国は四十年後にはなくなってしまうかもわからぬと、そう言ったというんです。
これはうそじゃありません、これはほかの先生みんな行って言っているんですから。
それくらい軽視さ れているわけです、ある意味では」
(笠原潤一参議院議員)

李鵬は、影で中国を動かし、力を持つと言われる李家の一人とも噂される
李鵬の予言成就まで、あと数年である

中国の領土的野望はいまや明らかになっている

尖閣どころか、10年前から中国の反日運動では、「沖縄(琉球)を返せ!」と叫ばれていて、それを見聞きした日本人の多くは「わが目、わが耳を疑った」と述べている

2009年2月28日、民主党の 小沢代表は、沖縄からの米軍撤収を幾度も発言している
「日本が世界戦略を持ち、もっと役割を分担すれば、米国の役割は減る」
「アジアには米国のプレゼンス(存在)は必要だが、第7艦隊で十分ではないか」
「米軍が引くことで、日本が日本の安全保障の責任を果たしていけばいい」

ところが、後に中国が沖縄に領事館開設を要望していたことが明らかになった。

それを知っての発言であれば、この男は国賊である。国を売る輩。
知らずに述べていたのであれば、無見識の極みである
増して李鵬発言を知らぬはずもない。首をひねらざるを得ない

最近中国で盛んに報道されている内容

沖縄の住民の3/4が、日本からの独立を求めている.......というもの
中国人にとって、沖縄の日本からの独立中国への帰属は当然のことなのである
(続く)
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尖閣諸島問題その2(50)

2012-09-24 00:01:00 | Weblog

さて次には尖閣諸島に石垣市が設置した行政標識の写真を示そう。

これも、「尖閣諸島の写真と地図集」http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/index.html のうちの「地籍標柱・警告文・千早丸遭難の碑」http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/page013.html より引用している。次の写真の標識板の方の銘文は次の通り。

「八重山尖閣群島、魚釣島・久場島・大正島・南小島・北小島・沖の北岩・沖の南岩・飛び瀬、石垣市建之」

昭和44年(1969年)5月10日~11日にかけてこれらの標識は設置されている。(1969.5.10に魚釣島、南小島、北小島、5.11に久場島、大正島に標識を設置している。)

石垣市が建立した行政標識、外務省文化局「尖閣諸島について」16頁・昭和47年


2012.8.27のNO.30のブログでは日本政府の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」を紹介しているが、1895年(明治28年)1月14日に正式に我が国の領土に編入しているが、古賀氏はその翌年に借り受けている。しかしその10年以上も前の明治17年には尖閣諸島を探検しているのである。

以下は
尖閣諸島の歴史概要」(http://www.seinensya.org/undo/ryodo/senkakushoto/070426history.htm)を参照している。

大正15年に30年間の無償貸与期間が終了した後は、1年契約の有料貸与となったが、昭和7年3月31日に日本政府は古賀善次氏(古賀辰四郎氏の子息)に尖閣諸島の四島を有料で払い下げた。そして時が経ち昭和44年に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、この海域に膨大な海底資源があることを発表する。日本政府も昭和44,45年と2度に渡り東海大学に委託して海底調査を行っている。その結果、莫大な石油資源が存在する可能性を確認した。それ以来台湾、中国がチョッカイを出し始めたのである。

しかし昭和53年(1978年)4月に中国の武装漁船団が尖閣諸島の領海をおおっぴらに侵犯する事件が発生したために、日本青年社は自らの手で尖閣諸島の実効支配を強化するために「上陸決死隊」を結成して、昭和53年(1978年)8月11日に魚釣島に上陸して灯台を建設したのである。そしてその翌日日中平和条約調印の日に、建設した灯台に初めて灯をともしたのである。将に「尖閣の灯」であった。

この灯台は平成17年(1995年)2月9日にようやく国有化され官報にも掲載され、同年2月25日に魚釣島灯台が正式に掲載された海図が発売されたのである。

まあようやく国がこの灯台を認めたのであるが、いかにも遅すぎる。17年間も国はこの灯台を無視してきてのである。中国に配慮する必要のないのに、配慮した軟弱外交をやってきたのである。

尖閣諸島を国有化したのであれば、キチンと実効支配をして欲しいものである。



尖閣3島を国有化 政府、地権者と売買契約を締結
2012/9/11 9:31 (2012/9/11 13:11更新)

 政府は11日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島など3島を20億5千万円で購入する売買契約を地権者と交わし、3島を国有化した。これに先立ち、閣議で2012年度予算の予備費から購入費を拠出すると決定した。尖閣諸島の領有権を主張する中国は国有化に強く反発しており、日中間の対立が強まりそうだ。

 日本政府の買い取り対象は、5島と3つの岩礁からなる尖閣諸島のうち、魚釣島、北小島、南小島。購入後は海上保安庁が管理する。中国に配慮して船の待避(船だまり)施設や気象観測所などの建設は見送る方針だ。

 政府と地権者の合意を受け、東京都の石原慎太郎知事は国有化を容認する構えを示している。都が尖閣諸島を購入するために募った寄付金は7日現在で約14億7千万円。寄付件数は約10万2千件に達する。都は具体的な国への寄付方法を検討し、早ければ12月の都議会で関連議案を提出する。

 外務省は11日、尖閣諸島の国有化を中国政府に説明するため、杉山晋輔アジア大洋州局長を北京に派遣した。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1005C_R10C12A9000000/?dg=1



どこからか大分脅かされたのか、それとも借金の返済のためか。石原都知事に尖閣諸島を売却してしまうと、尖閣諸島に船溜まりや灯台を建ててしまうから、中国にとっては極めて都合が悪い。国が所有していれば、さし当たって民主党政権では、中国の言うことをよく聞くから、国が保有することの方が中国にとっては都合がよいと思っているのである。

どうも野田政権は、次のような内容で中国と話が出来ている、と言われている。何と非国民的なことか。だかこんなことでは中国は納得はしないであろう。何せ中国は「日本殲滅」を提案している国であるからだ。元中国国防大臣で退役軍人の遅浩田の論文「戦争が正に我々に向ってやって来る」に、その細部が記述されている。これは小生ブログ2009.5.13~16の尖閣諸島問題(36~39)を参照願う。




尖閣問題で「対日3条件」=現状維持へ「上陸・調査・開発」拒否-中国政府
(2012/08/28-14:58)

 【北京時事】中国政府が沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり、日本政府に対して(1)上陸させない(2)資源・環境)調査をしない(3)開発しない(建造物を造らない)-の3条件を策定し、現状維持を求めていく方針を内部決定したことが分かった。対日問題を担当する複数の中国政府筋が28日までに明らかにした。

 同筋は、反中派として警戒する石原慎太郎東京都知事の主導で都が尖閣諸島を購入した場合、「現状維持は難しく、中日関係は最悪の状態になる」と懸念。「国有化したとしても現状を維持してほしい」として、野田政権が表明している国有化を事実上黙認する一定の柔軟姿勢も示唆している。

 ただ、日本政府が国有化を正式決定した際には、中国外務省は特に国内向けとして強い反対声明を出す予定。一方、現時点では、国有化決定だけの場合、日本との他の交流などに影響を与える「強硬対抗措置」を控え、3条件が守られなかった際に強硬措置を本格化させる方針だという。 

 これに対し、尖閣諸島で領土問題は存在しない立場を取る日本政府は、中国側が3条件を提案してきても、こうした条件に基づいた外交交渉の受け入れを拒否する方針とみられる。

 中国政府は、藤村修官房長官らが表明している尖閣諸島の「平穏かつ安定的な維持管理」という日本政府の立場を重視。日本政府が27日、尖閣諸島購入に向けた東京都の上陸申請を認めないと、都に文書で伝えたことを評価している。

 一方、都は近く尖閣海域で洋上調査を行う方針で、石原知事は10月にも再調査を行い、自らも同行する意向を表明。中国側は、都職員らが19日に尖閣諸島を訪れた地方議員ら10人と同様に上陸を強行する可能性も懸念しているもようだ。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012082800517
(続く)
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尖閣諸島問題その2(49)

2012-09-21 00:01:11 | Weblog

まあ若干理不尽な感じがしないでもないが、今まで中国系の人物なんぞに売却せずに保有していてくれたことを感謝すべきではないか、とも思えるのである。だが普通の日本人なら、どこの馬の骨ともわからない人物にはけっして売らないであろう、と言うことも当たり前のことである。

まあ尖閣諸島の地権者が日本人だと言うことは、尖閣諸島が日本固有の領土であることの、紛れもない証拠なのであるが、あまりにも中国側が「尖閣諸島か中国領土だ」などと言うから、その証拠を見せてもらいたいものである。次の写真などは尖閣諸島が「古くから日本のものだ」と言うことの明確な証拠なのである。

だから我々日本人は、全国民にこのことを知らしめなければならないものである。

これらの写真は「尖閣諸島の写真と地図集」http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/index.html より引用している。


アサヒグラフ・昭和53年5月5日号「特報、尖閣列島波高し・無人島ではなかった」、1908年(41年)5月の写真。(原文・魚釣島全景 10戸あまりの家がひとかたまりになっている。)

(原文・当時の住民達が総出でカツオブシ工場前で記念写真をとった。)これは良く見る写真であるが、別の同じ写真の説明文には「鰹節工場の前で記念写真を撮る古賀商店の面々。」とある。


船着き場での記念写真、この船着き場は古賀辰四郎氏の未亡人の花子さんが、「船着き場を作るのに十年かかったそうです。機械を使わないで硬いサンゴ礁を砕くのですから。」と記者に語っておられると資料もある。とすれば、これが事実なのだろうか。・・・との説明もある。魚釣島の写真にはこの船着き場が良く見える。


ついでに、古賀辰四郎氏について。

彼は安政3年(1856年)製茶業の古賀喜平氏の三男として、現在の福岡県八女市字山内に生まれる。明治12年(1879年、23才)に八女茶の販売のため沖縄に渡り、当時棄てられていた夜光貝に目をつけ、高給ボタンの材料として輸出することで莫大な財を成す。この資金で明治17年(1884年)頃から尖閣諸島などの探検を行い、明治29年(1896年)尖閣諸島30年間の無償貸与を得る。そして魚釣島を中心にして、鰹節工場やアホウドリの羽加工工場、鳥フン石採掘場などを設けて、魚釣島に古賀村(通称)をつくり当時284人が定住していた。

その後古賀家が尖閣諸島を売りに出していることを知った埼玉の土地持ちの栗原家が、その話に乗ることになる。たまたま栗原家は土地売却で金があったのでその話に乗ったのである。そして栗原家の長男である栗原國起氏(70才)に、1972年に売却されている。どんな形で売却されたかは知らないが、現在テレビなどに顔を出すのは、栗原家の三男で弟の栗原弘行氏(65才)である。

しかし週刊文春2012.9.20日号によると、この栗原弘行氏は相当だらしのない人物のようだ。弘行氏には離婚した元妻に娘が一人いる。と言っても現在41才というが、彼女達の話がこの週刊文春に載っている。それによると、「父は、領土を守る国士のような顔をしてテレビに頻繁に出ていますが、そんな人物ではありません。金と女にだらしなく、虚言癖もあって、一度としてまともな仕事に就いたことがありません。そして私たち家族を苦しめ続けました。・・・離婚の慰謝料もまともに支払おうとしない。わが父ながら恥ずかしいことに、お金のためなら何でもやりかねない人です。
都と国を天秤にかけ、のらりくらりと交渉を長引かせてきたのは、尖閣を高く売りつけるためでしょう。
」この元妻とはいまだに離婚についての揉め事もあるようだ。それに今の妻と子供達には粗末な共同住宅に住まわせいると言う。週刊文春はこの栗原家の2人に取材を申し込んでいるが、実現していないと言う。

また週刊新潮2012.9.20日号によれば、なぜ栗原國起氏が国に売却を決めたかの理由は次のようだと言う。

先ず栗原家には多額の負債があるという。これも三男の弘行氏が事業に失敗した結果だと言う。そのため地権者は尖閣諸島の売値を「吊り上げ」に「吊り上げ」たかったのである。

それに東京都に売った場合には、都としての難しい手続きがありおいそれとは買値は決まらないことになる。それに対して国に売った場合には、閣議決定すればすぐに支払い手続きが取れると言う。それに国の方が交渉に際しては、一枚上手だったようだ。国としては地権者の「あることない事」を調べ上げることが出来るので、それも交渉材料として使うことが出来る。

そんなこんなで栗原國起氏は、石原都知事を踏み台として、国と価格交渉をして「吊り上げ勝ち」となったものだ。しかしこの20億5千万円は、我々の税金から支出されるものである。だからこの尖閣諸島の実効支配は、確実なものとしてもらわなければならないのである。しかしこの週刊文春は、次のような文言を載せている。

国有化という美名のもとに都から奪い取るような真似をしておいて、島には何も手をつけないというのは、つまりは中国と”共同管理”しましょうと言うこと。結局この攻防は、日本人代表の石原さんと、中国の意を受けた野田・玄葉(外相)両人の戦いだったわけです。(田久保忠衛氏)

そのため「中途半端な契約のツケは、隣国の更なる増長という形で回ってきてもおかしくないのだ。」と言う言葉で文を終えている。これでよいのか、日本は。

後ほど紹介するが、中国はこのような状況になるような要求を日本にしていたのだ。

・・・とまあ、尖閣諸島の地権者である栗原家については、いろいろなことが言われている。これらの事を鑑みるに、それほど国の事を思っている御仁とも思えないが、中国系の人物に売却されなくて良かったと思わなければならないのであろう。後は今の民主党政権には期待できないので、早く総選挙をやってもらって自民党政権が誕生することである。そして東京都の寄付金を使って尖閣諸島に船溜まりや無線中継基地などを設置して、実効支配を具体化してもらいたいものである。

(続く)
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尖閣諸島問題その2(48)

2012-09-20 00:40:05 | Weblog

自国を守ることに躊躇するようでは、中国に足元を見透かされてしまう。だから中国は日本を軽く見ているのである。



日本よ、目を覚まさせてあげよう、尖閣問題で中国と争っても勝ち目はない―中国紙
配信日時:2012年7月9日 18時36分

9日、中国共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙、環球時報は「日本が釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題で中国と争っても、全く勝ち目はない」とする論評記事を掲載した。写真は3月、東シナ海を空から巡視する中国国家海洋局中国海洋監督総隊


画像ID: 336899 http://www.recordchina.co.jp/gallery.php?gid=62788
ファイル名: CFP426388285.jpg

2012年7月9日、中国共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙、環球時報は「日本が釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題で中国と争っても、全く勝ち目はない」とする論評記事を掲載した。以下はその内容。

日本の野田佳彦首相は7日、個人が所有する釣魚島(尖閣諸島)を国有化する方針を明らかにした。これにより、両国の争いが激化するのは必至である。単なる選挙対策とみる向きもあるが、中国人にとってはどんな理由であろうと関係ない。日本が中国の我慢の限界を刺激してくるならば、それに真っ向から立ち向かうだけである。

いずれにしろ、日本が釣魚島問題で中国と争っても、全く勝ち目はない。中国には十分な資源と手段があるばかりか、日本と徹底して戦おうという官民の意志もしっかりしている。是非とも互いに報復しあおうではないか。中国は釣魚島が西太平洋の「少々危険な」摩擦ポイントになっても少しも怖くない。

日本政府の理不尽な挑発に対し、中国は積極的に以下の4点を成し遂げるべきである。

1、釣魚島周辺における中国の存在感を高める。巡航などの主権行為を日本側より多く実施する

2、日本側が一歩進めたら、中国側は一歩半でも二歩でも多く進める。日本側に挑発行為がどれほど深刻な結果を引き起こすのかを思い知らせる

3、両岸四地(中国本土、台湾、香港、マカオ)による「保釣」(尖閣諸島を守る)活動を強化させる。台湾当局はあまり熱心ではないが、民意が率先して馬英九政府に呼び掛けていくべきだ

4、釣魚島危機は中日の経済協力に悪影響を及ぼすことになる。だが、我々はあえて傍観しよう。そうすれば、日本側も政策の過ちに自ずと気付くに違いない

中日関係は重要だが、何をされてもじっと黙って耐えるほど重要ではない。日本とやり合う必要があると判断すれば、中国人は必ずやる。中国の主権と団結を守る方が、中日関係を波風立てないようにすることよりもっと重要だからだ。

それに、沖縄はどうしても日本領である必要があるのだろうか?長い目で見れば、沖縄自身が「日本離れ」を起こしても全く不思議ではない。中国もこの問題を真剣に検討してみよう。もちろん、中国もできればもめ事は起きてほしくない。だが、どんなに友好を願っても日本の態度があれでは仕方がない。中国は実力で日本に目を覚まさせるしかないのである。

日本がどんなに激しく反発しても恐れるな。ギャーギャー言わせておけばよい。何度かやり合ううちに、日本人も深く反省し、分をわきまえるようになるだろう。(翻訳・編集/NN)
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=62788



日本が何も言わないと、また何もしないとますます付け上がる。そのうち本当に人民解放軍が攻めて来るぞ。その証拠に沖縄までもが、中国領だと言っているではないか。だから尖閣諸島海域に軍事演習区を設定せよ、とあの羅援少将がほざけば、中国外務省報道官が「尖閣は中国の神聖な領土だ」と抜かしているではないか。いよいよ中国は国を挙げて、尖閣諸島の強奪を開始しだしている。どうする、民主党政権よ。



尖閣付近に「軍事演習区を設置すべきだ」中国軍人が過激論
2012.7.9 23:27 [中国]
 【北京=川越一】沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権に絡み、中国人民解放軍関係者の中から、同諸島付近に「軍事演習地区を設けるべきだ」との意見が出ている。日本政府の国有化方針に対する反発と同時に、強硬な対抗策を控えている中国政府への不満もうかがえる。
 過激論を展開しているのはタカ派として知られる羅援少将中国軍事科学学会の副秘書長を務める羅氏は、9日付の国際情報紙、環球時報に掲載された寄稿の中で、「釣魚島の主権が中国に属することを、行動で示さなければならない」と強調した。
 その具体例として挙げたのが、同諸島付近での軍事演習区実弾試射区域の設置だ。同諸島周辺海域で操業する漁船に民兵を乗船させることや、中国が建造を進めている空母に「釣魚島号」と命名することも提案している。
 中国外務省の劉為民報道官は7日に「中国の神聖な領土は何人たりとも売買できない。釣魚島および周辺諸島の主権を維持するため、必要な措置を取り続ける」との談話を発表したが、羅氏の目には「空漠なスローガン」としか映っていないようだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120709/chn12070923280004-n1.htm



そうこうしている内に尖閣諸島の持主は、国への売却を契約してしまった。この地権者は、当初は石原都知事へ尖閣諸島を売りたくて、人を介して石原都知事と売却の話が進んでいた。しかしどうした風の吹き回しか知らないが、石原都知事との約束を反故にして国へ売却してしまった。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(47)

2012-09-19 11:41:47 | Weblog

ついでに言っておくが、あの「ソフトバンク」の「孫正義」が流している「白い犬のお父さん」CMも,また違った意味での宣伝工作なのである。詳しくは小生のブログ2010.8.2~8.4の「おのれ!孫正義」を参照願いたいが、韓国では「犬の子」とか「」などは侮蔑とか侮辱を意味する言葉なのである。だからあのCMで、孫正義は「日本の犬畜生め」と言うことを日夜TVで垂れ流しているのである。それに白い犬から始まり、白戸家の白(ホワイト)割引と白づくめなのだが、朝鮮ではこの「白」は白丁を意味しているのであり、この白丁(ペクチョン、ペッチョン)とは、朝鮮では賎民を意味するのである。朝鮮では奴隷制度がありが存在していた。などは最下位の賎民階層に属していたが、その最下位の階層内にも更に階層がありその最下層に位置していたのが白丁であった。

当然この賎民の中には妓生(キーセン)などの娼婦もいた。だから朝鮮は中華帝国の属国として1,500年ほどの歴史があるが、その間ずっと中華帝国へ妓生を贈り続けていたのである。これを「貢女」と呼び、元の時代頃からは身分の高い家柄からの貢女が求めら、わざわざ法律まで作って若い娘達を集めては中国へ献上していたのである。この制度はずっと続き、日清戦争で清国が日本に負けた結果、下関条約でようやく日本がこの「貢女」の制度を止めさせたのである。

これらの白丁などの身分制度は日本によって解消されたのであるが、それは日本が朝鮮にてこ入れしたからである。日韓合邦は1910年であったが、その前年の1909年には韓国統治のために韓国統監府を設置して、戸籍制度を導入している。このときに賎民の身分制度を撤廃させたのである。北朝鮮が韓国に対して今でも大統領の事を「人間白丁」と罵ると、Wikipediaには記されているから、このような階級意識は朝鮮には根強く残っているものと思われる。だから孫正義も白い犬を使っているのであろう。

だからこの「白い犬のお父さん」CMで孫正義は、毎日「日本人の犬畜生目、日本人のこじき野郎め」と言った内容を流して、ほくそ笑んでいるのであろう。それと同時にこの「白い犬」CMや韓流ドラマは、電通のトップの成田豊・最高顧問が韓国のある筋の結託して企画したとも、想像されている。それは嫌韓感情を変えるためのマスメディアを動員した日本への「意識操作工作」であると言われている。

だからこれらのテレビを通じて朝鮮は、在日朝鮮人への宣伝工作と日本人への意識操作工作を続けているのである。そのため李明博の大言壮語も生まれたものと感ぜられるのである。

だから日本人はあの「大東亜戦争」が無駄な戦争であったなどとは思わずに、東亜の諸国を列強の手から開放した「植民地解放戦争」だと評価すべきなのであり、日本が韓国を合邦植民地とは異なる)した結果アジアでは日本に次いで近代化を果たせたのである。韓国は日本人が作ったのである(当ブログ2011.9月~10月の「日韓併合100年」を参照のこと)。

これら植民地解放の事実は小生のブログ「靖国神社に参拝しよう(5~6)」2008.9.15,17も参照願いたいが、その一部を次に引用する。




(6)ククリッド・プラモード 元タイ国首相
(「サイヤム・ラット紙」12月8日、多分2005年頃か、年不明)

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本と言う母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本と言う母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

(7)バ・モウ 初代ビルマ首相
  (バ・モウ著「ビルマの夜明け」より、ビルマは現在ミャンマーと名前を変え、首都ラングーンはヤンゴンに変わっている。)
(http://1st.geocities.jp/cutenao104/biruma.htmのキャッシュより)

「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく1943年(S18年)8月1日に行われたのであって、真のビルマの解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。」

「歴史的にこれをみるならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまた、その開放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。」

(注)ビルマは19世紀初頭よりインドを侵略した英国の圧力を受け続けていたが、抵抗むなしく1886年に全土を英軍に占領され、英領インドに編入されてしまった。大東亜戦争開戦後、アウン・サンは日本軍の「南機関」の支援を得て、ビルマ独立義勇軍を創設。日本軍と共に戦い、1942年7月にイギリス軍をビルマから駆逐する。翌年3月に日本で旭日章を受賞し、この年1943年8月1日にバ・モウを首相とするビルマ国が誕生し、アウン・サンは国防相となる。
戦後イギリスからの完全独立を目指すビルマは、アウン・サンを主席とするビルマ行政参事会代表団と英国政府との交渉の結果、1947年1月、アウン・サン=アトリー協定を締結、アウン・サンはその後ビルマ国内を、英領ビルマ全域を連邦制国家として独立させる方向でまとめる(パンロン協定)。そして1947年12月英国両院でビルマ独立法案可決を経て、1948年1月4日英連邦から離脱した共和制国家として、完全独立を果たしている。しかし現在ビルマにおいてはパンロン協定の内容は実現していない。

以上、注書きはhttp://www.mekong.ne.jp/directory/history/panglong.htmおよび
http://homepage3.nifty.com/htunktt/index1.htmlより引用。

(戦後の初代ビルマ首相となったウー・ヌらビルマ指導者達の言葉、「同著」より)

「それは言葉では言い表させないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸を膨らませて、いたるところで歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明を挙げ、花を捧げた。僧達は、町中で振る舞いを受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で「万歳」を叫んで、日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセージを東条首相と日本政府に送られた」 ]


だから我々日本人は、あの栄誉ある「大東亜戦争」を勇敢に戦った国民として、胸を張ってよいのである。いまさらあの「War Guilt Information Program」なんぞに騙されてはならないのである。大東亜戦争には負けたけど、東亜の諸国を開放する戦争には勝ったのだ、と胸を張ればよいのである。だから尖閣諸島は絶対に守らなければならない日本の固有の領土なのである。攻めて来れば戦う必要があり、自衛隊が尖閣諸島を守ることは何も後ろめたいことではないのである。堂堂と鉄砲や大砲を撃てばよいのである。
(続く)
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尖閣諸島問題その2(46)

2012-09-18 00:01:22 | Weblog

そこでは「魚政31001」となっていたが、「漁政310」と同じ漁業監視船なのか。「漁政310-01」と言う意味なのか、1号艦と言うことか、これからこの手の監視船を量産すると言うことかは不明である。

そして中国は着々と尖閣諸島の強奪に着手している。中国内での地図のチェックを開始したと言う。もともと尖閣諸島は日本固有の領土であり中国の領土ではないため、中国内で発行されている地図には日本領となっているものがあるようで(当たり前のことであるが)、それらを片っ端からチェックして中国領に変えさせてゆくという。恐ろしいかな、中国。日本もふんどしを締め直して欲しい。



地図で尖閣諸島や南シナ海の領有権明確に=「問題のある地図」をチェック―中国
配信日時:2012年3月27日 8時46分

26日、中国が尖閣諸島(中国名:釣魚島)や南シナ海について、中国の領有権を明確にした地図の作成を指導していく方針を明らかにした。写真は中国の南シナ海艦隊。


画像ID: 321252 http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59907
ファイル名: CFP425527681.jpg

2012年3月26日、中国の国家測量地理情報局や中央宣伝部、外交部など13部門からなる「全国国家領土意識宣伝教育地図市場監督指導グループ」が、尖閣諸島(中国名:釣魚島)や南シナ海について中国の領有権を明確にした地図の作成を指導していく方針を明らかにした。法制日報が伝えた。

指導グループによると、領土意識の宣伝・教育と市場を出回る地図の監督業務は愛国主義教育を強化するために必要なことで、領土の尊厳と完全性の維持のためにも必要なこと。現在、市場に出回っている地図には国境線が間違っていたり、尖閣諸島など重要地域が抜けていたりするものも多く、それらがテレビや雑誌、ネット上や小中学校の教材としても使用されている、と指摘。

こうした「問題のある地図」は国の利益を損なうだけでなく、政治面にも非常に悪い影響を及ぼすとし、「領土主権と海洋権益を損なう問題地図を重点的に検査していく」との方針を示している。(翻訳・編集/NN)
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もう一度言う、けっして中国(と韓国)には気を許してはいけない。中国は共産党の一党独裁国家である。日本などとはけっして相容れない体制を持つ異形の国家である。国家と言うよりも、国家の形をした匪賊の団体である。だから異形なのである。匪賊とは、ある国語辞典によると、「団体をくんで略奪などをする賊」とある。「賊」とは、これまたある国語辞典によると、「どろぼう、国や社会にあだする者。謀反人。」とある。「あだ」とは、敵とか害をなすことを意味する。まさしく中国は、世界的な匪賊・馬賊国家なのである。その匪賊・馬賊国家が核を持っているから、尚更性質が悪い。

その匪賊国家・中国が、東シナ海の有事に備えて福建省に秘密基地を建設していると言う。




中国空軍、東シナ海有事に備え福建省に「秘密基地」建設=尖閣諸島へ12分で到着可―台湾紙
配信日時:2012年5月28日 11時8分

26日、台湾紙は中国が東シナ海のガス田「白樺」(中国名:春暁)や尖閣諸島の有事に備えた「最前線基地」となる軍用空港を福建省にほぼ完成させたと報じた。

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ファイル名: shuimen12052801.jpg


2012年5月26日、台湾紙・聯合晩報は、中国が東シナ海のガス田「白樺」(中国名:春暁)や尖閣諸島の有事に備えた「最前線基地」となる軍用空港福建省にほぼ完成させたと報じた。環球時報(電子版)が伝えた。

記事によると、軍用基地の場所は同省北部の寧徳市霞浦県水門シェ族郷。東シナ海のガス田「白樺」から約200km、尖閣諸島から約380km、台北市からは約246kmというまさに絶好のロケーション。台湾軍関係者によると、「白樺」へは戦闘機が離陸してから約7分、尖閣諸島へは約12分で到着する。

すでに、新型戦闘機「殲10(J-10)」や「Su-30(スホーイ30)」、無人攻撃機、S-300長距離地対空ミサイルなどが配備されたもよう。記事によると、グーグル・アースの衛星写真で最初に空港建設が確認されたのは2009年。台湾軍関係者は位置的に考えて、東シナ海の有事に備えた「最前線基地」であることは間違いないとみている。(翻訳・編集/NN)
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2012.8.10のNO.19で紹介した中国のSu-30戦闘機が尖閣諸島上空まで侵犯した事件は、江西省の空軍基地から飛んできたと言うことであったが、ここに言う福建省寧徳(ニントー)市の秘密基地となるとなおの事、尖閣諸島に近くなる。江西省は福建省の西の内陸にあるが、福建省は台湾と向かい合っている東シナ海に面した省である。中国は着々と準備を進めてきている。日本よ、どうする。寧徳(ニントー)市は三沙湾の奥にあるので、軍港もあるのではないか。


日本国に離島を守ると言う気持ちがない、と言うか守りたい、守るべきだと言う気持ちが表に出ていない。けっして無い訳ではないが、将来を見据えてとか、また周囲の国際情勢を見極めて、日本をどう守って行くか、と言った議論になるととたんにトーンダウンしてしまう。これは戦後60年に渡る「War Guilt Information Program」(敗戦後の日本に乗り込んできたGHQが、日本統治を円滑なら占めるために、巧妙に仕組んだ宣伝工作)の影響なのである。このWGIPについては、小生のブログ2008.9.21の「靖国神社に参拝しよう(10)」などを参照のこと。

(続く)
コメント (1)
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