世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

靖国神社に参拝しよう(9)

2008-09-20 11:56:19 | Weblog

「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”と言うのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争---この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼等はこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った負けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、と言うのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたし言うが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼等は英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

(15)ラダ・ビノード・パール 元・極東国際軍事裁判所 判事
(インド、法学博士、昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)

要するに彼等(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分等のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3★~20年、東京裁判の審理機関)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったに違いない。・・・私は1928年(S3年)から1945年(S20年)までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。この中には、恐らく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であると言うことがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分等の子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけには行かない。誤られた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ誤られた歴史は書き換えなければならない

★1928年(S3年)秋に日本の満州経営を視察した米モルガン財団代表ラモントは、「満州は唯一安定し、日本の満州開発は中国の利益となっている。」とオールズ国務長官に報告している。またこの年「張作霖」が爆殺されている。
(続く)
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