世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日清戦争開始120年に考える。(39)

2014-09-30 00:00:00 | Weblog

安倍晋三首相の場合は、(お馬鹿な)オバマが「失望した」などと言う横槍を入れた来た事が、一つ小泉純一郎の場合と異なっている。アメリカに日本を守ってもらうことになっているから、いくら(お馬鹿な)オバマでもこれは一寸厄介である。

しかしこれも「心の問題」であり、日本人としてどうしても譲る事は出来ないものである。と言うことを手を変え品を変え主張してゆく事である。そしておおっぴらに「核武装」の研究を開始する事を、あらゆるチャンスを通じて、ほのめかして行けば良いのです。

さてもう一つ小泉純一郎元総理の暴露話を紹介しよう。是非次のyoutubeを見て頂きたい。
2004.11月のチリでのAPECに際して、中国は小泉が来年靖国神社に参拝しなければ日中首脳会談を行うと、言ってきた。小泉総理は、来年必ず靖国神社に参拝します、と回答した。しかし日中首脳会談を、中国はOKしてきた・・・と言うものだ。



中国外交の手口を小泉純一郎が暴露!靖国参拝がただの外交カードである事が発言される!
2014/01/08に公開(2004年11月、チリでのAPEC開催に際しての出来事)

小泉元首相が総理時代の中国外交の手口を暴露します。

彼らにとって靖国参拝などどうでもいいのです。

安倍首相は靖国参拝を行いましたが、そもそも中国の外交姿勢を考慮してと言う事自体がナンセンスである事が、十分判ります。
http://www.youtube.com/watch?v=f-LsvvkAP2M



さてこの話は非常に参考となるが、これ位にしておいて本題に戻ろう。

果たして習近平安倍晋三首相との首脳会談を行うのか。

小生の感じでは、応えは「NO」である。今まで紹介した様な事実からの見立てでは、日中首脳会談が持たれると言う可能性は無い。・・・と思っても間違いではないであろう。もちろん立ち話的な会談はあるであろうが、いわゆる安倍・習の会談は持たれる事は無い、と言ってもよいであろう。

それから中国が嫌がっているものを、日本から日中首脳会談をやりたいなどと言う必要も無い、と思うのだが。

もともと中国は、特に習近平も、「反日政策」を掲げて人民の不満を外に向けさせて、中国国内を取りまとめようとしてきているからには、早々に靖国問題を手放すわけにはいかないのだ。それほど習近平の政治基盤は強固でもないようだ。

だから「虎もハエも叩く」などと大それた事を言い出したのだ。
「虎もハエも叩く」とは、米国も日本も叩く、ということと同意義なのであるのだが。

次の論考も参考にすると良い。



【水内茂幸の外交コンフィデンシャル】日中に楽観は禁物 首脳会談実現は「習政権の基盤次第」
2014.8.24 18:00

中国の習近平国家主席(AP=共同)

 中国の対日姿勢は本当に軟化したのかー。先月、中国の習近平国家主席が福田康夫元首相との会談に応じたことで、日本政府内では11月に北京で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での日中首脳会談の実現に期待感が高まっている。ただ忘れてならないのは、日中の距離感は、習氏権力の掌握具合と関係が深いということ。習氏は対日批判国民の不満のはけ口として使ってきたからだが、安倍晋三首相と握手できるだけの政治基盤を身につけたのだろうか。


 福田氏は7月27~29日に北京を訪問。習氏との会談は、外務省など正規のルートを介さずに調整されたという。

 関係者によると、習氏は福田氏との会談で、安倍首相が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定に踏み切ったことについて「行使できるようにして何がしたいのか」と批判。「安倍首相は中国とどういう付き合いをしたいのかが見えてこない」などと不信感も示した。

 とはいえ、習氏がAPECを数カ月先に控えたこの時期に福田氏との会談を受け入れたのは「極めて重要な意味を持つ」(外務省幹部)とされる。首相による昨年12月の靖国神社参拝以降、習氏は日本の要人との接触を断ってきたからだ。

 中国は最近、日本側との対話に柔軟な姿勢をみせている。王毅外相は9日夜(日本時間10日未明)、ミャンマーの首都ネピドーで岸田文雄外相と会談。日中の外相会談は約2年ぶりで、第2次安倍政権発足後初めてのことだ。外務省幹部によると、日中事務レベルの非公式な接触も6月頃から増えているという。

 中国から日本を訪れる観光客も、昨年の急減から一転、今年春頃から増え始めている。厳冬期の日中関係に、日差しが差し始めたのだろうか。

 「まず習氏が権力を確立しない限り、日中関係は駄目だろうな。確立したからといって良くなるかは分からないが、確立しない限りはスタートラインにすら立てないのだから」

 中国に太いパイプを持つ自民党幹部は、都内の小さな居酒屋で、ビールをあおりながらため息をついた。

 この幹部は昨年来、何度も訪中し「チャイナ・セブン」と呼ばれる中国共産党政治局常務委員と会談を重ねてきた。「懸案があるからこそ日中には対話が必要だ」という首相のメッセージの伝達役を務め、そのたびに中国側から手厳しい言葉も浴びてきた。

 「今の中国では、江沢民元国家出席ですら必死だと思う。みずから逮捕されるような事態になるかは別にして、名誉を守れるかどうか、人生をかけたギリギリの状況だと思うよ」

 この幹部が注目しているのは、習氏による共産党幹部への粛清だ。習政権は7月、中国共産党の前政治局常務委員周永康氏の取り調べを発表。弊社の矢板明夫北京支局長の報告では、これまでに周氏の歴代6人の秘書のうち、すでに5人が失脚しており、弟夫婦や、息子の妻の家族からも複数の逮捕者が出ているという。捜査のため、周氏周辺で拘束されたのは、実に約350人にのぼるとされる。

 習氏は「腐敗撲滅」を権力掌握のための重要政策に掲げ、「トラもたたく」と大物政治家への摘発も躊(ちゅう)躇(ちょ)なく手がけてきた。ただ政敵本人だけでなく、一族郎党を根こそぎ摘発する手法や、対象が胡錦濤前国家主席が率いる共産主義青年団派や、江沢民元国家主席の上海閥に偏っていることも国内で批判を浴びている。

 今回の周氏摘発にあたり、習政権は江氏の事前了解を得たといわれる。ただ江氏は、同じ上海閥の周氏が血祭りに上げられていることに、内心穏やかではないはずだ。習氏を中心とした「太子党グループ」と江氏の上海閥による権力争いはまだ続いているのが実情といえる。

 「冷静に振り返れば、中国は首相が靖国参拝した後で、日本に対する態度を硬化した形跡ありません。もともと参拝前でも、日中韓首脳会談の開催を拒否し続けていましたし…。対日批判というのは、中国政府が政権基盤の強化策にずっと使い続けてきたのですから。日中を見続けてきた立場からいえば、首相の靖国参拝の影響はゼロではありませんが、要は首脳会談ができる中国国内の環境が整うかかが最も大切です」

 中国問題に精通する外務省幹部はこう解説する。幹部氏は、APECでの日中首脳会談の可能性について「難しい」と指摘する。

 「今月の日中外相会談でも、王毅氏岸田氏にかなり厳しい言葉をぶつけたと聞きました。元駐日大使の王氏でさえ、日本に対しまだ生やさしい態度を示すわけにいかないのでしょう。裏返すと、習政権がいまだ国内で権力掌握の過程にあるということですよ」

 今年のAPECでホストを務める習氏は、訪中した各国首脳を差別するような言動はできないのでないかー。一部の日本政府関係者は、日中首脳会談の実現に淡い期待を込める。ただし、自民党幹部氏は、やわらかいヒレカツにソースをかけながら、こうした甘い見方を戒める。

 「ホストだからこそ、日本を仲間はずれにできる日程も組めるのでないか。首脳会談は『望みなきにしもあらず』という程度だ」

 日本政府内には別の冷めた見方もある。長期政権が見込まれる安倍政権の地の利を生かし、関係改善を急ぐなという声だ。首相周辺は、会談実現のため、日本側からカードを切る可能性を否定する。

 「日本にとって、急いで日中関係を改善しなければならない案件っていうのは正直少ないんだよね。APECで総理をばかにするのならしたらいい。世界がどう評価するか。長期的にみたら、そちらの方が日本にとって利益になるかもね
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140824/plc14082418000011-n1.htm
(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(38)

2014-09-29 00:00:00 | Weblog

【質問】 去年、参拝した際は、昇殿をせずに、記帳もしませんでした。今回の参拝では、モーニング姿で、内閣総理大臣と記帳して、昇殿もしたということなんですけれども、その理由についてお聞かせください。

小泉総理】 今、お話したようにね、今日は戦没者の追悼式もありますし、千鳥ヶ淵の戦没者の墓苑にもお参りしますし、その時にはこの服装で行きますしね、私は、きっちりと昇殿、本殿に参拝した方が、今日は皆騒いでいますから、あのような、去年みたいな形でいくと警備の方も大変でしょ。皆さん、大勢の方々が見えてるしね、そういうことも考えて本殿に参拝するのが適切じゃないかなと思いました。

【質問】 2回目の参拝の時の所感の中では、総理は、終戦記念日やその前後の参拝にこだわって、再び内外に不安や警戒を抱かせることは、私の意に反するとしていました。今日の参拝は、その所感と矛盾するのではありませんか。

小泉総理】 矛盾しません。それは過去5年を踏まえて、いつ行っても問題にして、混乱にしようとする勢力があるんです。それは仕方ないんです。そういうことを踏まえて、過去の経験が生きてきたんですね。いつ行っても参拝に、なんとか争点にしようとか、混乱させようとか、騒ぎにしようとか、国際問題にしようとかいう勢力があるんです。これに対してね、いけないと言ったって、それは、日本は言論の自由が認められてるんですから、どうにもなりません。ですから、いつ行ってもこういう騒ぎにしようという勢力があるんですから8月15日に行っても、適切じゃないかなと。

 また、むしろこだわっているのは、毎回、こだわろうという勢力がいるんですよ、私が、今まで靖国神社の問題も、質問された時以外は答えたことがないんですよ。自ら、靖国問題をこうだああだと言ったことはなくて、いつも皆さんの質問に答えて言っているわけです。いろいろな説明や他のことも言いたいんですけれども、一番マスコミが取り上げるのは靖国参拝のことでしょ。そういうのは、やめた方がいいと言っても聞かないですから、マスコミは。いつでもこだわっているのはマスコミじゃないでしょうか、或いは、私に反対する方々じゃないでしょうか。そういうのも踏まえてね、これはいつ行っても同じだなと思いました。

【質問】 来月のご退陣の前に、直接、不戦の誓いと戦没者追悼の意で参拝なさっているんだということを、中国、韓国の首脳と会って、理解を求めるためにご説明する意向はないのですか。

小泉総理】 今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、その考えを伝えてあります、何回でも。いつでも会えば、中国側が、韓国側が、靖国参拝するなと言えば、いつも、中国側、韓国側の考えと私は違うということを説明している、今、お話したような考えを説明しております。これは平行線です外交カードにはしないと、一つの条件をつけられて、これに従うか、従わないか、それで首脳会談をする、しないを判断するというのは、私はよろしくないと思っております。私は、これからも中国、韓国と友好的に発展しようと、未来志向でね、考えた方が良いんじゃないかということを、再三、申し上げております。この考えに変わりはありません。

【質問】 今回は記帳されていますが、総理大臣の立場としての参拝ということでしょうか。

小泉総理】 総理大臣である、人間、小泉純一郎が参拝しているんです。

【質問】 公式な参拝と受け取ってよろしいのですか。

小泉総理】 職務として参拝しているものではありません。

【質問】 今回の参拝が、総裁選に与える影響についてはどのようにお考えですか。

小泉総理】 それは総裁候補自体の考え方と、マスコミの皆さんが争点にしたがっている面が強いですから、それいかんでしょうね。

【質問】 改めて、靖国神社に合祀されているA級戦犯の戦争責任については、どうお考えになるか、お願いいたします。

小泉総理】 それは戦争の責任をとって、戦犯として刑を受けているわけでしょう。それは本人達も認めているし、それはあると思いますが、それとこれとは別です。何回も申し上げているように、特定の人のために参拝しているんじゃないです。戦没者全体に対して、哀悼の念を表するために参拝しているんです。今、言った、主な3点、靖国参拝批判する人、よく考えていただきたい。考えは自由です。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/08/15interview.html



この「主な3点」を、おさらいして見よう。これは冒頭の靖国参拝への三つの批判として、小泉総理が述べたものである。

(1)、中国・韓国は不愉快であると反発しているからやめろという意見。

どこの国でも意見の違いはあるもの。靖国神社の参拝をやめれば、アジア外交がうまくゆくかと言うと、そんな事は無い。靖国神社を参拝しようがしまいが、中韓の文句は止まりません。
されば日本が不愉快に思うことを、中韓は止めてくれるのか。決して止めてくれないでしょう。

(2)、A級戦犯が合祀されているから行っちゃいかんという議論。

特定の人に対して参拝しているのではない、それより圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念をもって参拝している。それが何故いけないのか。多くの戦没者の方々に哀悼の念を表す。二度とこのような苦しい戦争をさせてはいけない、そういう気持ちでの参拝が何故いけないのか。

(3)、憲法違反だから靖国神社参拝しちゃいかんという人がいます。

参拝の趣旨は、二度と戦争を起こしてはいけないと、戦争に行って斃れた多くの戦没者の方々、こういう方々の犠牲を片時も忘れてはいけないと言う事。日本で思想信条の自由があります。
憲法第19条の思想及び良心の自由はこれを侵してはならない、と記されている。
憲法第20条には信教の自由は、何人に対してもこれを保障する、と記されています。
正に心の問題である。日本の首相が日本の施設にお参りする、お祈りする、これも心の問題であり、憲法で保障されたものである。決して憲法違反ではありません。

(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(37)

2014-09-26 00:00:00 | Weblog

さて、小泉純一郎元首相が靖国神社を参拝し続けた事は、まことにすばらしい事であったが、安倍晋三も小泉純一郎氏に(学んではいるであろうが)是非学ぶべきであろう。

アメリカの(お馬鹿な)オバマがなんと言おうが、靖国神社を参拝すればよいのである。

失望した」ことに「大いに失望した」と、言っておけば良いのである。

そして「国の為に殉じた方々に対して、尊崇の念を持って参拝しているのです。そして二度とこのような戦争を起こしてはならないとお祈りしているのです。それが何故いけないのですか。私は特定の人に対して参拝をしているのではありません。」と言えばよいのです。

ですから、(お馬鹿な)オバマに「失望した」などと言われて参拝しないと言う事は、国の為に殉じた方々に対する尊崇の気持ちに反することになります。だから堂々と、靖国神社に参拝すればよいのです。それが日本国の総理としての、当然の道なのです。

それでも(お馬鹿な)オバマがごちゃごちゃ言い出したならば、核武装の研究はおおっぴらに始めればよいのです。

参考までに2006年(H18年)の、小泉総理のインタビューを載せる。




小泉総理インタビュー

平成18年8月15日

【質疑応答】

【質問】 総理、今回はどのような気持ちで参拝されましたでしょうか。

小泉総理】 これは毎回申し上げているのですが、日本は過去の戦争を踏まえ反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。そして今日の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているのではないと。戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の日本というのは今日があると。戦争に行って、祖国の為、また家族の為、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念を持って靖国神社に参拝しております。今年もこの気持ちに変わりはありません。

 今までの過去5年間の私の靖国神社参拝に対する批判をね、よく考えて見ますと、大方、3点に要約されるんじゃないかと思います。まず一つはね中国・韓国は不愉快であると反発しているからやめろという意見。これはどうですかね、私は日中・日韓友好論者なんです。就任以来、現に中国や韓国との友好交流、様々な分野で拡大を続けております。そういう中で、どの国ともね、一つや二つ意見の違い、対立あります。それで、一つの意見の違いがある、不愉快なことあると、それによって首脳会談を行なわないことが良いのかどうかと、私はいつでも首脳会談を行う用意があると言っているんですよ。しかも、靖国神社参拝を条件にしてね、この参拝をしなければ首脳会談を行うと、するならば首脳会談行わないというのが、果たして良いのかどうか。私は、これはよろしくないと思っています。

 日本の首相というのは、民主的な手続によって選ばれた首相であります。日中間、日韓の間には様々な課題もある。私は今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、未来志向で友好を図っていこうと、お互い、相互互恵、相互依存関係、これを深めていこうと、中国の発展、韓国の発展というのは日本に脅威というよりも、むしろ日本にとってもチャンスなんだという事をはっきり表明して、未来志向で友好、交流を進めていこうということを申し上げているんです。それに対して、私を批判する方、これは、しかし中国が嫌がっていることはやるなと、突き詰めて言うと、中国・韓国が不快に思うことはやるなということでしょ、これについて批判する方をどう思うか。

 もし私が一つの問題で私が不愉快に思う、仮にね、中国・韓国が日本の安保理常任理事国入りに反対しています。これは日本にとっては不愉快だと、だから私は中国・韓国と首脳会談行わないといったらどちらを批判するでしょう。私は中国が反対しても、韓国が反対しても、首脳会談いつでも行いましょうと言っているんですよ。今回もそうですね、私が拒否しているんじゃないんです。という事は、中国の嫌がることは止めなさいというのが靖国参拝批判の一つですね。中国に不快な思いをさせちゃいけません。中国のいうことを聞きなさい、韓国のいうことを聞きなさい、そうすればアジア外交が上手くいきます。私は必ずしもそうじゃないと思いますね。一つや二つ、どの国も意見の違いや対立ありますそういうのを乗越えて未来志向で友好関係を進展させていくのが、日本としても他国にしても大事じゃないでしょうか。

 中にはね、小泉はアメリカと親しいと、アメリカのブッシュ大統領が靖国参拝するなと言えばしないだろうと。そんなことはありません、ブッシュ大統領が靖国参拝するなと私に言ったとしても、私は行きます。もっともね、ブッシュ大統領はそんな大人気ないことは言いませんけどね。

 もう一つはねA級戦犯が合祀されているから行っちゃいかんという議論。これはね、私は、特定の人に対して参拝しているんじゃないんです。この戦争でね、苦しい思いをされ、できれば避けたかった、戦場に行きたくなかった多くの兵士がいるんです。そういう方々の気持ちを思ってね、何という苦しいつらい体験をせざるを得ない時代に生まれたのだろうかと、そういう犠牲者に対してね、心からやっぱり哀悼の念を表すべきだなと、これ日本の文化じゃないでしょうか。特定の人がいるから後の人のことは考えなくていいと、一部の、自分では許せない人がいるから、それより圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念をもって参拝するのが何故いけないのか、私はA級戦犯の為に行っているんじゃないですよ。多くの戦没者の方々に哀悼の念を表す。二度とこのような苦しい戦争をさせてはいけない、そういう気持ちで参拝しているんです。

 それと第3点憲法違反だから靖国神社参拝しちゃいかんという人がいます。これもね、憲法第19条、第20条、これを良く読んで頂きたい。私は神道奨励するために靖国神社行っているんじゃありません、今説明したように。また過去の戦争を美化したり、正当化したりするために行っているんじゃありません。また軍国主義を称揚する、そういうような気持ちで行っているのではありません。今申し上げたように、二度と戦争を起こしてはいけないと、戦没者に戦争に行って斃れた方々、こういう方々の犠牲を片時も忘れてはいけないと、そういう気持ちでお参りしているんです。そして、第19条の思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。これどう考えますか、正に心の問題でしょ。これを日本の首相が日本の施設にお参りする、お祈りする、それを、外国の政府もっともだといって、小泉はいかん、小泉を批判する。これが本当に良い事なのかどうか、今の日本の誰にでも許されている自由という問題をどう考えるのか。

 私は伊勢神宮にも毎年参拝しています。その時には何名かの閣僚も随行しています。別に私は強制していません。そして、皆さんの前で神道形式に則って伊勢神宮に参拝しています。その時に憲法違反という声起こりませんね。何故なんでしょうか。私はこういうことから、賛否両論あっていいんです、日本は言論の自由認められていますから、今までもこういう事を私は答弁なり、普段の話でしているんです。今回も全くその同じ気持ちで参拝しているんです。

【質問】 何故、今回、終戦の日の8月15日を選ばれたのでしょうか。

小泉総理】 これはね、最初、多くの方々が8月15日だけはやめてくれと、様々な方から言ってまいりましたね。そういう方々の意見も聞かなきゃいかんなということでね、敢えて15日を避けて参拝してきました。8月13日、或いは4月、10月、1月と、しかし、8月15日を避けても、いつも批判や反発、そして何とかこの問題を大きく取り上げようとする勢力、変わらないですね。いつ行っても同じです。ならば、今日は適切な日ではないかなと。これから戦没者の追悼記念式典もおこなわれます。私はこれから千鳥が淵の戦没者墓苑にお参りをします。戦没者の追悼式典にも出席します。適切な日だなと判断いたしました。
(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(36)

2014-09-25 00:00:00 | Weblog

■各国取込み機関の「対外友協」会長が来日

中国側が強硬な姿勢を崩さず、対話どころでなくなっているのは、日本側が「解決すべき領有問題は存在しない」とするからだが、これは事実その通りなのだからやむを得ない。

「歴史と現実を直視」せよと要求されても、捏造された歴史を受け容れるわけにはいかないのだ。「強盗」の言い分に対して被害者が理解を示すに等しく、絶対に応じてはならない。

だが、日本という国のおかしなところは、「強盗の主張に耳を傾け、仲良くしよう」と訴える媚中勢力が国内で幅を利かせていることだ。

前出の毎日新聞などの媚中メディアはそれだし、政界にもそんな人物はいくらでも存在する。間違いなくそれらは、裏で「強盗」と何らかの利害関係があるのだろう。

さて中国には中国人民対外友好協会(対外友協)という「民間外交」機関がある。「民間」とはいうが実際には国務院の管轄下で、各国の政界、財界、文化界、地方自治体、民間などを取り込む対外謀略機関である。

そしてそのトップが李小林会長だ。李先念元国家主席の娘で太子党に所属し、習近平氏とは幼馴染対日強硬派で知られ、習近平氏の信頼が厚い劉亜洲国防大学政治委員空軍上将)である。


来日した中国の謀略機関、対外友協の李小林会長。文化交流を訴えながら他国の籠絡を図る

この人物が習近平氏の三月二十二日から三十日にかけてのロシア・アフリカ三国歴訪に同行後の三十一日、「文化活動への参加文化活動への参加」の名目で来日した。

四月二日に東京中国文化センターでの書画展開幕式に出席した模様だが、実際には習近平氏の密使である。


■安倍政権への包囲網で操縦される福田・鳩山元首相

つまり中国が望むところの、日本の譲歩、屈服を前提とした日中関係「改善」糸口を探るためだ。

昨年十二月にも密かに来日し、山口那津男氏の訪中を手引きした。「習近平氏との橋渡しを行った」などとも報じられるが、これではまるで山口氏は、李小林氏の操り人形みたいだ。


山口氏の一月の訪中には李小林氏の手引きがあった。北京で会見する両者。
山口氏は李氏の「尽力」に感謝し、関係改善への努力を誓っている


今回の滞在中も山口氏のほか、鳩山由紀夫元首相、そして福田康夫元首相など、媚中勢力の大物との会見も予定されている。


1月の訪中で尖閣諸島を「係争地」と認め、南京虐殺記念館で謝罪した鳩山元
首相。すでに中国の傀儡になり果てている


ことに福田氏に対しては安倍氏への習近平氏のメッセージを伝えるものと見られる。



「中国の嫌がることはしない」が信条の福田元首相。政界引退後の今日も中
国のために奔走するか

また安倍氏との会見も希望しているが、こちらは実現の可能性は低いとされる。

いずれにせよ、福田、鳩山、山口といった錚々たる政治家(あるいは元政治家)をも操縦する中国対日統一戦線工作が現在日本国内で進行中だ。安倍政権に「中国が求めるまま対話を行い、関係改善を急げ」と圧力を加える包囲網を強化しようと…。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2082.html


中国の意図は、日本に対して、「中国が求めるまま対話を行い、関係改善を急がせる」事である。だから「APECで首脳会談が実現すれば靖国参拝はしない決意だ」などと、福田をして中国側がプロパガンダよろしく流させたものかもしれない。そしてその下工作にたくさんの中国側工作員が日本側に働きかけているものと思われる。だから李小林なんぞが、来日してくるのである。こんな輩は、日本政府は放っとけばよいのである。

そして靖国神社へは、必ず参拝する意味をこめて、「適切に判断する」と言っておけば良いのである。そして小泉純一郎の行動を参考にすればよいのである。

(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(35)

2014-09-24 00:00:00 | Weblog

・・・・・・
日中関係改善が第1の外交課題

 「当面の外交の優先課題としては、日中関係をどこまで進められるかが第1。北朝鮮からの拉致被害者などの再調査報告を受けての対応が第2。対ロシア関係をどうするかが第3といったところだ。日韓関係は相手の出方次第で焦るつもりはない」。外務省幹部は今後の対処方針をこう明かす。

 最大の焦点となるのが中国との関係改善だ。安倍政権は11月北京で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APECの際に中国との首脳会談の実現を目指している。

 両国間の水面下の折衝・綱引きは始まっている。福田康夫元首相が7月末に中国の習近平国家主席と秘密裏に会談。先にミャンマーで開いた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムでは中国と第2次政権発足後初めて、外相会談が実現した。

 さらに、安倍首相は終戦の日にあたる8月15日靖国神社参拝を見送り、中国側に一定の配慮を示した。中国は安倍内閣の閣僚が靖国神社に参拝し、安倍首相が玉串料を奉納したことに反発したものの、木寺昌人駐中国大使を呼んで抗議した昨年とは異なり、中国外務省から日本大使館幹部への電話での抗議にとどまった。

 関係改善への機運が出てきたかのような流れだが、外務省幹部は「首脳会談の実現に向けては難航必至だ」と指摘する。最大のハードルは「靖国」と「尖閣諸島」を巡る両国の溝が相変わらず深いことだ。

 中国側はこれまで、首脳会談実現の条件として、安倍首相が今後も靖国神社に参拝しないことや尖閣諸島を巡る領土問題が存在することを認めるよう求めている。

 関係者によると、福田氏は事前に安倍首相と打ち合わせたうえで、習氏に対し「APECで首脳会談が実現すれば靖国参拝はしない決意だ」との安倍首相の意向を伝達。これに対し、習氏は「日本との関係は重要視している。ただ歴史問題に加え領土問題も重要。この問題で日本側に誠意ある対応を求めたい」という趣旨の発言で応じたという。


「靖国」「領土」の対応主張する習主席

 要は、靖国神社に安倍首相が今後参拝せず、尖閣諸島問題に関しては日中双方がお互いの立場や主張を認め、尊重することが首脳会談実現の条件だと念を押した格好なのだ。

 一方で、安倍政権内は悲観論一色というわけでもない。

 「習主席はAPECホスト国という大役にもかかわらず日本との首脳会談が見送りになるのはさすがにまずい、とみているはず。これから条件闘争が本格化するだろう」。政府関係者はこう話す。

 政府・与党内では外務省ルートとは別の「政治ルート」で打開を図る動きも進んでいる。自民党関係者によると、福田氏の訪中には政府関係者も同行。ほかの共産党幹部らとのやり取りを通じ、以前より前向きの感触を得ているという。

 だが、日中双方の首脳同士が納得できるような“秘策”や落としどころをどう探るのか。外務省幹部は「安倍首相周辺が根拠薄弱な期待を持つのは危うい」と慎重な見方を崩していない。・・・



とてもじゃないが、先の2つの条件なんぞは誰だって認めるわけはない。この二つを認める事は、日本は中国の属国になった、と言うことに等しい。絶対に認めるわけにはいかないのだ。


安倍晋三は、福田康夫を通じて、「APECで首脳会談が実現すれば靖国参拝はしない決意だ」と伝えたようだが、安倍も立派だと思っていたが、意外と馬鹿かもしれない。こんなことは、わざわざ伝えるものではない。「靖国神社へは今後とも参拝する。」とか「参拝するかしないかは言わない。適切に対処する。」などと、言っておけばよいのである。

靖国参拝はしない決意だ」などと、言ったかどうかは定かではないが、それほど日中首脳会談が重要なものだとは思わないほうが良い。したくなければしなくても良い、と嘯いていればよいのである。日中首脳会談が出来なかったとしても、安倍晋三の価値が廃れると言うものでもないし、日本の国益が削がれるというものでも無い。

「靖国参拝はしない決意だ」などと言うほうが、みっともない。こんな事を言ったとなれば安倍晋三の価値は、限りなくゼロに近づく。だから締(し)めたとばかりに、李小林なんぞを日本に派遣してくるのであろう。

もう一つ李小林に関する話題を載せる。一寸古いが是非熟読願う。



習近平の密使・李小林が来日―福田康夫、鳩山由紀夫元首相らを操縦か
(http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2082.html)
2013/04/02/Tue

■受け容れることのできない習近平の日中対話要求    

尖閣問題を巡って悪化する日中関係を打開しようと訪中した公明党の山口那津男代表が、習近平総書記に「謁見」(恭しく頭を垂れながらの会見だった)したのは一月二十五日。

これを受け、毎日新聞は社説で「山口氏は習氏に安倍首相からの親書を手渡した。事実上の首相特使といっていい。首脳会談の実現は安倍氏の希望とも合致する」とし、「トップ同士が早期に対話に乗り出し、尖閣諸島をめぐる対立の緩和につなげたい」などと、安倍晋三首相に圧力をかけたが、問題は習近平氏がその時、この「首相特使」に対して次のような話したことだ。

習近平総書記に安倍首相の親書を恭しく「奉呈」する山口代表。この首相特使に対して習氏が述べた無理難題とは

「釣魚島問題に対する中国の立場は一貫し、明確なもので、日本は歴史と現実を直視し、実際行動をとり、中国とともに努力し、対話と協議を通じ、問題を適切に制御、解決する有効な方法を見つけなければならない」

「歴史を鑑としてはじめて未来に目を向けることができる。日本は中国人民の民族感情を尊重し、歴史問題を正しく処理しなければならない」

要するに「日本は尖閣諸島が中国領土であるという歴史事実を認め、中国国民の感情を重んじながら、同諸島を今後どうするかを中国と共に話し合って決めるべきだ」と訴えているのである。毎日新聞はそれを知った上で「対話に乗り出せ」と主張したのか。

安倍首相は「対話のドアは常に開かれている。同世代の指導者として、いろんなことを話す機会があればいい」(二月二十二日、米ワシントンでの記者会見)と明言している。従って「対話に乗り出せ」との訴えは習近平氏に対して行うべきなのだが、それをやらないところが媚中メディアと呼ばれる所以だ。
(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(34)

2014-09-23 00:00:00 | Weblog

同協会の章程には「本会は民間外交のための組織で、中国人民を代表し、国際社会、世界各国と広く深く友人として交わり、中国と世界各国との友好関係の社会的基礎を築き、中国の特色ある社会主義事業のため、広範な国際的支持を勝ち取る」とある。このように各国の人々を籠絡して中国シンパを繁殖させ、中国翼賛の海外ネットワークを構築するのがこの機関の任務なのだ。中国が盛んに推進す「民間外交」「民間交流」とは、「以民促官」「以民逼官」、つまり相手国の民間をコントロールしてその国の政府に影響力を及ぼすという「硝煙なき戦争」の一環なのである。

五月十五日に人民大会堂で開催された対外友協設立六十周年記念大会では、習近平氏が演説を行い、こう述べた。

対外友協設立60周年記念大会で演説する習近平主席。自国の覇権主義を否定した

「中国は中華民族の偉大な復興の実現過程において、世界各国と共に各国人民のそれぞれの夢の更に良い実現を推進して行く」

「中華民族は平和を熱愛する民族であり、一貫して平和、和睦、調和という確固たる理念を追及、伝承してきた。中華民族の血液に他者を侵略して世界に覇を唱えるという遺伝子はない。中国人民には『国が強ければ必ず覇を唱える』との論理を受け容れない」

これを見ても明らかなように、「中華民族の偉大なる復興」に対する各国の翼賛を求めることが、この組織の目的なのだ。

自国の露骨な覇権主義を平然と否定しているが、これは「中華民族の偉大なる復興」の障害である世界各国の「中国脅威論」を否定せよと、世界の中国シンパへに指令を下したようなものだ。会場には鳩山由紀夫元首相や江田五月元参院議長らもいたが、これらシンパはどう受け止めたか。


スピーチする鳩山由紀夫元首相。見事に籠絡された日本人の代表だ

スピーチに立った鳩山氏は「紛争を根本的に解決するには、心を開くことから始めるべきだ」と、中国の脅威にも「心を開く」相変わらずの「友愛」論を展開。中国にはこうした人物こそ「偉大なる復興」に欠かせない翼賛者と映ることだろう。

李小林氏は二十七日、海外向けの国営通信、中国新聞社のインタビューで日中関係について聞かれ、「主な問題は日本の側にある。私たちは更に多くの日本人を親中派、友中派に変えたい。中日民間交流は今でも間断なくつづている」と語っている。「習氏とじかに話ができる」ことを餌に対中関係の改善で焦る日本の政界を取込み、安倍政権を牽制、包囲、打倒しようとの魂胆だ。

こうした中国側の謀略攻勢を見て、あろうことか「日中関係の風向きが少しだけ変わってきた」などと無防備に喜ぶ日経なども、すでに中国翼賛ネットワークに組み込まれているということではないだろうか。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-2360.html


日中首脳会談は、本当に必要か?

こんな調子であるから、2014.11.10~11に北京で開催されるAPECでの日中首脳会談なんぞは実施されるはずが無い。以前このブログの2014.8.12、NO.4では中華民族の偉大な復興を成し遂げるためには、科学技術の発展が必要となり、それを日本から盗もうと近づいてくるのではないか、などと述べたものであるが、本音としては日本に近づきたいのは山々ではあるが、こんな国内事情があれば習近平も迂闊に日中首脳会談なんぞをやっている訳には、まだまだいかないのであろう、それほど権力が確立していないと言う事かも知れない。だから日本侵攻を煽っている劉亜洲・中国空軍上将の奥方である李小林なんぞを、日本に派遣してくるのであろう。

習近平は日中首脳会談を実現させる為の条件として、次の二つを日本に突きつけていると言う。

一つ、靖国神社には、今後絶対に参拝しない事。
二つ、尖閣諸島は中国の領土である事を認める事。

尖閣諸島には領土問題が存在する事を認める事、と言う事は尖閣諸島は中国の領土である、と言うことを暗に認めたことになる。尖閣諸島はあくまでも日本固有の領土であるから、こんな事は認める訳にはいかない。

この件については、


日中首脳会談、実現に大きな壁
懸案相次ぐ安倍外交、解散戦略に影響も

(http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140820/270108/?n_cid=nbpnbo_mlt&rt=nocnt)
なども参照願う。一部抜粋を次に載せる。
(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(33)

2014-09-22 00:00:00 | Weblog

尖閣諸島の国有化に関する記述もあるが、それを小生なりに解説すると次のようになる。

2011.3.11の14時46分18秒に、東北地方太平洋沖地震が発生した。いわゆる東日本大震災だ。その一年半後、2012.9.11に、尖閣諸島の地権者である栗原國起氏は、石原都知事に売却する約束を反故にして、所有する尖閣諸島を日本政府(民主党野田佳彦政権)に20億5千万円で売却してしまった。この売却された尖閣諸島とは、魚釣島・北小島・南小島の3島である。詳しくは小生のブログ「尖閣諸島問題その2」(2012.9.21~)などを参照願う。

だから東日本大震災と言う巨大な自然災害があったために、日本政府は尖閣諸島を国有化して中国との武力行使のきっかけを作っているのだ、と言った論理なのでしょう。全く馬鹿馬鹿しいにも程がある。自然災害なんぞがあれば、対外的な武力行使をやっている暇なんぞは、これっきし無いものだ。反対にこれをチャンスとして大震災に忙殺されている日本へ、中国共産党は侵攻を企てるのではないのかな。

だから尖閣諸島の国有化を理由に、自然災害に疲弊している事をこれ幸いとして、劉亜洲・空軍上将なる人物は日本への侵攻を共産党政府にけしかけている文言なのである。中国空軍のSU27戦闘機が盛んに自衛隊機や米軍機に幅寄せしてくるのは、きっとこいつの仕業なのであろう。(2014.8.11や9.3のNO.3やNO.20などを参照)

またこいつの妻と言う人物も共産党の幹部らしくて、近々日本に来ると言う。一体何しに来ると言うのだ。何か悪さの種を蒔きに来るのであろうよ。きっと日本から何らかの譲歩を引き出そうと言う魂胆なのであろう。日本政府は、こんなものにのってはいけない。



中国要人の今秋訪日で調整、首脳会談の実現探る
2014/8/26 0:06  ニュースソース   日本経済新聞 電子版

 【北京=島田学】中国の民間友好団体、中国人民対外友好協会李小林会長が、11月に北京で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)前に訪日する方向で調整していることが25日分かった。李氏は習近平国家主席に近いとされる。APECでの日中首脳会談の実現可能性を探る狙いもありそうだ。

 李氏は10月上旬に東京で開く日中友好をテーマにした舞台劇公演に出席する見通しだ。これに先立ち9月下旬にも大阪で開く日中友好関連の会議への出席を検討している。

 李氏は李先念・元国家主席の娘で、共産党老幹部の子弟ら「太子党」の一人だ。元副首相を父に持ち太子党の代表格である習氏とは、幼なじみとして知られる。李氏の夫劉亜洲・中国空軍上将も習氏のブレーンの一人とみられている。李氏は5月に訪中した高村正彦自民党副総裁と関係改善策を話し合った。

 日中関係を巡っては、今月9日に岸田文雄外相と中国の王毅外相が訪問先のミャンマーで非公式に会談するなど、双方に関係改善を探る動きが出てきている。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE25007_V20C14A8PP8000/


この中国人民対外友好協会も曰くつきの中国諜報機関の一種なのである。夫も夫なら、妻も妻である。劉亜洲・中国空軍上将中国人民対外友好協会李小林会長と言う名前には、一寸気をつけなければならないと言う事である。先の民主党政権は、彼らに散々もてあそばれたようだ。


日本の政界惑わす謀略機関「中国人民対外友好協会」の李小林会長
2014/05/28/Wed
五月十四日の日本経済新聞(電子版)の時事解説欄「真相深層」は「日中関係の風向きが少しだけ変わってきた」と期待を込める。

それによると、

―――当はよりを戻したいけれど、相手の考えがわからない。そんなすれ違いが、冷えきった日中関係の改善を阻んできた。途切れたパイプのつなぎ役はいないのか。日本側が期待を寄せるのが、中国の高級幹部の子弟である「太子党」だ。

―――(五月)5日午前、北京の天安門広場にほど近い中国人民対外友好協会。日中友好議員連盟のメンバーを率いてここを訪れた自民党高村正彦副総裁は、鮮やかな赤の服を着て現れた同協会の李小林会長と向き合った。

―――「李会長は習近平国家主席と幼なじみだそうで、私たちが李会長にものを言えば、必ずそれが習主席の耳にも入るとうかがっています」

―――李氏は1980年代に国家主席を務めた李先念氏の娘。副首相だった習仲勲氏を父にもつ習氏とは、同じ太子党の仲間として親交を深めてきた。

―――その日の午後、高村氏は共産党のなかで習氏、李克強首相に次ぐ序列3位張徳江全国人民代表大会委員長(国会議長に相当)と会った。昨年12月に安倍晋三首相が靖国神社を参拝してから、日本の国会議員が共産党の最高指導部である政治局常務委員会のメンバーと会談したのは初めてだ。「あれだけ高位の人が出てくるとは予想していなかった」。自民党幹部は中国側の手厚いもてなしの背後に、李氏から習氏への働きかけがあったと感じている。

李小林氏のように「習氏とじかに話ができる太子党とのパイプを太くしたい」との思いが日本側にある。そのため「日中首脳会談が実現するまでの道のりはなお遠い。それでも、お互いに本音を伝え合うための手だてを探りはじめたとすれば一歩前進だ」と評価するのがこの記事なのだが、とても感心できる内容ではない

なぜなら中国人民対外友好協会(対外友協)とは中国の危険な対外謀略機関だからである。


自民党の高村正彦副総裁(右5)は対外友協の李小林会長(右4)に期待を寄せたが
(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(32)

2014-09-19 00:00:00 | Weblog

以上のことの理解を助けるために、念のため7月26日付けの「東洋経済オンライン」を次に紹介する。


中国で沸騰、「なぜ日清戦争に負けたのか?」
120年前を起点に語られる民族復興のストーリー
西村 豪太:週刊東洋経済記者 2014年7月26日

1895年、日清戦争の勝利を記念し東京・日比谷に造られた凱旋門(提供:MeijiShowa.com/アフロ)

120年前の7月25日、日清両国の海軍が仁川の沖合で激突した。いわゆる豊島沖海戦である。これによって日清戦争(中国では”甲午戦争”)の火蓋が切られた。両国が正式に宣戦を布告したのは8月1日だが、中国では7月25日が日清戦争が始まった日として認識されている。そのため、25日には中国の主要メディアがこぞって日清戦争敗北の意味を振り返る特集記事論説を掲げた。


「中華民族の偉大な復興」という目標

日本ではほとんど知られていないが、中国では今年に入ってから、さまざまなメディアが「甲午戦争」を振り返るキャンペーンを張ってきた。

習近平国家主席も、「甲午」の意味合いを強調している。6月9日には中国科学界の重鎮を集めた演説で「今年は甲午の年だ。このことは中国人民と中華民族にとって特別な意味を持つ。我が国近代史上においても特別な意味がある。……そしていま、われわれは中華民族の偉大な復興という目標にかつてなく近づいている」と述べた。ここでの主要なメッセージはイノベーションの重要性を訴えることにあるのだが、そのインパクトを増すために「甲午」が使われているのだ。

「中華民族の偉大な復興」は習政権のキーワードだが、その原点には「甲午」の敗北があった。中国人にとって清朝崩壊のきっかけとなった「甲午戦争」は決定的に重要なのだ。それだけに、メディアで取り上げられるさいにも屈辱の歴史を振り返り、国民に気合いを入れるような論調が多い。

そのなかで出色なのが、国営通信社・新華社による劉亜洲・空軍上将(上将は将官の最高位)へのインタビューだ。国防大学の政治委員である劉将軍は、対外強硬派としての派手な言論活動で知られる。戦略論から小説の執筆までこなす異色の軍人だ。

夫人は李先念・元国家主席の娘である李小林氏で、劉将軍はいわゆる「太子党」(共産党幹部の子弟グループ)の人脈に連なる。中国人民対外友好協会の会長を務める李氏は習主席の幼馴染みとされ、政権中枢に直結するキーパーソンとして日本政府もマークしている。そうした背景を持つ人物の日本観は、習主席を取り巻く人々の発想を探る上で興味深い。

劉将軍によれば、日清戦争は近代史上において中国軍と外国軍の武器、装備の差が最も小さかった戦争だった。にもかかわらず惨敗した理由は、両国の近代化への取り組みの違いにあるという。日本はすでに国民国家になっていたのに、清国は西洋のモノは取り入れても、意識は前近代のままだったというのだ。これは、別に珍しい考えではない。

3.11があったから尖閣を国有化?

彼は一歩踏みこんで、大事なのは「国家戦略」だという。「中国には何世代にもわたる長期的な大戦略や、それを実行しようという意思が欠けている」。一方、日本には大陸を征服するという明確な戦略があったという見立てだ。劉将軍は「歴史上、日本には2つの特徴がある。一つは強い政権が成立すれば朝鮮半島の征服を目指すということ。もう一つは、大きな自然災害のあとには外国への武力行使を求める声が高まるということだ」と主張する。尖閣国有化もそうした日本の伝統的な行動様式に沿っているとの解説つきだが、このあたりは日本人としては首を捻りたくなるところだ。よく日本では「中国には長期戦略があるが、日本にはない」といった論評があるが、先方からは逆に見えるらしい。


1894年7月29日、安城の渡しの戦い。ラッパ手の木口小平が被弾、死んでも口からラッパを離さなかった物語は、長く教科書に載った。なお日清戦争は朝鮮支配を巡る激突であり、戦場のほとんどは朝鮮半島だった(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)

「甲午戦争」の惨敗によって、中国人は覚醒した。開戦後の1894年11月に興中会を旗揚げした孫文は、1911年の辛亥革命によって清朝を打倒。その10年後には中国共産党が結成される。1893年生まれの毛沢東、1904年生まれの小平たちは甲午戦争の敗北が引き起こした中国社会の激動のなかで青年期を過ごし、救国への意識を強めた。

そうしたインパクトを中国に与えたという点で「われわれは日本に感謝しなければならない……中国は日本の最も古い先生で、日本は中国の最も新しい先生だ。甲午戦争がなかったら、中国はあとどれだけ眠っていたことか」と劉将軍は語る。

日本との戦いは甲午戦争から始まった

彼は、日本軍の強さの根底には武士道があったという認識のもとに清国軍の腰抜けぶりを慨嘆してやまない。その中国人に、再び「中華民族」としての精神のよりどころを与えたのが中国共産党だという。中国において日本を語ることは、すなわち自国を語ることだということがよくわかる。中国において共産党の正統性を強調するためには、甲午戦争から始まる日本との戦いというストーリーが欠かせないのだ。

中国が日本に「歴史問題」を提起するときは満州事変以降の日中戦争だけを対象にしているわけではない。東アジア地域秩序はリセットすべきだという発想が根底にある。韓国と歴史問題で共闘したり、日本領とすることが日清戦争のさなかに閣議決定された尖閣諸島を自国のものだと主張するベースにも、こういう考えがあるのだ。
日本の敗戦から70年めとなる来年夏に向け、中国は「歴史問題」を繰り返し提起してくるだろう。その根っこに日清戦争があることを日本人はもっと認識しておく必要がある。
http://toyokeizai.net/articles/-/43760
(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(31)

2014-09-18 00:00:00 | Weblog

そんな事もあろうかと、仔細にこの日清戦争の原因を、当ブログで探っていたのである。明らかに日清戦争は中国に非がある。これは当時の国際社会も認めていた事である。(豊島沖海戦や 高陞号事件など)


今日の視点(http://mkitajima.blog.ocn.ne.jp/blog/)
伊皿子坂 社会経済研究所
2014/08/01
中国の近代化と日清戦争


引き続き、日中間の歴史的関係、なかんずく19世紀末に起こった「日清戦争」に関する話題です。

今から120年前の7月25日、現在の韓国北部、仁川の沖合で日本と清国の海軍が海戦の火ぶたを切り、主に朝鮮半島を舞台に、開国間もない東洋の島国日本と「眠れる獅子」と呼ばれたアジアの大国清国との間で日清戦争(中国では「甲午戦争」)が勃発しました。

中国国内ではこの7月25日が日清戦争の開戦記念日として広く認識されており、今年も同日には、中国の主要メディアがこぞって日清戦争敗北の意味を振り返る特集記事や論説を掲げたということです。

7月26日付けの「東洋経済オンライン」では、我が国では19世紀の終わり頃に起こった「歴史(の教科書)上のできごと」ととして認識されることの多いこの日清戦争の現代中国における位置づけ(とその意味)について興味深い論評を掲載しているので、備忘のために整理、採録しておきたいと思います。

日本国内ではあまり知られていませんが、記事によれば中国では今年に入ってからというもの、国家レベルの様々なメディアが「甲午戦争」を振り返るキャンペーンを張っているということです。

 6月9日に習近平国家主席が行った演説でも、「今年は甲午の年だ。このことは中国人民と中華民族にとって特別な意味を持つ。」として、習政権の重要なキーワードの一つである「中華民族の偉大な復興」の原点には清朝崩壊のきっかけとなった「甲午戦争」での日本への敗北があることを強調したとされています。

記事によれば、中でも国営・新華社通信では劉亜洲・空軍上将へのインタビューを掲載し、日清戦争における清朝の敗北を新生中国の「覚醒の時」と位置付け、その歴史的な意味を改めて定義づけしたということです。

劉将軍は、日清戦争で清軍が惨敗した理由を清国が西洋の軍備は取り入れても意識が「前近代」のままであったことに求め、「中国には何世代にもわたる長期的な大戦略や、それを実行しようという意思が欠けていた」ことを指摘。一方、日本には大陸を征服するという明確な戦略があったと論じているそうです。そして、日本の歴史的な特徴として、強い政権が成立すれば朝鮮半島の征服を目指すこと、大きな自然災害のあとには外国への武力行使を求める声が高まること、の2点を示唆したと記事はしています。

将軍の認識の妥当性はともかくとして、実際、「甲午戦争」の惨敗によって、1894年11月に興中会を旗揚げした孫文は1911年辛亥革命によって清朝を打倒し、その10年後には中国共産党が結成されています。1893年生まれの毛沢東や1898年生まれの周恩来らは甲午戦争の敗北が引き起こした中国社会の激動のなかで青年期を過ごし、救国への意識を強めたというのは事実と言えるでしょう。

そうしたインパクトを中国に与えたという点で、「われわれは日本に感謝しなければならない…中国は日本の最も古い先生で、日本は中国の最も新しい先生だ。甲午戦争がなかったら、中国はあとどれだけ眠っていたことか」と、劉将軍もこのインタビューで語っているということです。

このように、中国において日本を語ることは、すなわち自国の近代化の道のりを語ることだと記事はしています。中国において共産党の正統性を強調するためには、甲午戦争から始まる「日本との戦い」というストーリーが欠かせない。日本における日中関係の「歴史認識」は基本的に満州事変以降の日中戦争における日本の侵略行為への認識を指す言葉ですが、中国が提起する「歴史問題」は常に日清戦争にまで遡り、東アジアの地域秩序はリセットすべきだという発想が根底にあると記事は指摘しています。

当然、韓国と歴史問題で共闘したり、日清戦争のさなかに日本領とすることが閣議決定された尖閣諸島を自国のものだと主張するベースにも、この認識が確固として存在すると記事は述べています。日本の敗戦から70年めとなる来年の夏に向け、中国は「歴史問題」を繰り返し提起してくると思われる。そしてその根っこには、さらにその50年前の日清戦争があることを日本人はもっと認識しておく必要があるとする「東洋経済」誌の指摘を、今回改めて興味深く読んだ次第です。
http://mkitajima.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/08/post_d597.html


手っ取り早く言ってしまえば、この人民開放軍の空軍上将の劉亜洲なる人物は、「この日清戦争は日本の大陸征服を意図した侵略であり、当時の清国がだらしなかったために負けてしまった。しかしその後中国では共産党が中国を立て直して、立派な国とした。いまや中国は実力もあり大儀も持っている。だから日本の清国(中国大陸)への侵略は、共産党の力でリセットさせなければならない。」と言っているのだ。

これを中国は「歴史問題」だと、盛んに言い触らしている。誠にこの論理は不埒極まりない。

今まで詳細に見てきたように、この日清戦争は、中国が天津条約に反して朝鮮に軍隊を送り込んで、朝鮮を我が物にしようと企らみ日本の権利を侵略しようとした事から始まったのである。

満州事変もこれと全く同じ構図であるのだが、全く劉亜洲なる人物の言っていることは、史実と正反対なのである。これが中国の歴史認識なのである。この中国の間違った「歴史認識」を叩きなおさなければ、この軋轢は未来永劫続く事になる。

だから、日本は早急に核武装を含む自主防衛体制を確立する必要がある、と言うものである。

(続く)
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日清戦争開始120年に考える。(30)

2014-09-17 00:00:00 | Weblog

日本は朝鮮への兵員や物資の輸送のため制海権の確保に躍起となっていた。と言うのも清国の北洋艦隊は持久戦を狙い戦力の温存をはかって、なかなか威海衛から黄海へ出てこなかったからだ。

威海衛は山東半島の先端に位置し、渤海海峡に面しており、丁汝昌率いる北洋艦隊の母港である。1898年にはイギリスの租借地と成るが、イギリスの東洋艦隊の基地としての不適切(湾口が広すぎる、後背地がない)なために重要視されなかった。

しかし平壌の戦いの翌日1894年9月16日の夜中1時頃、陸兵4000人の輸送船団を護衛して、北洋艦隊が朝鮮平壌に向かった。9月17日任務を終え鴨緑江河口付近にいた北洋艦隊と、索敵中の連合艦隊は夫々の煙でお互いを発見する。北洋艦隊横列陣をとり、連合艦隊単縦陣で激突する。北洋艦隊は船首に設けた衝角(しょうかく、船首を敵の船腹にぶつけて突き刺すもの)を、日本艦の横腹にぶつける戦法を取った。しかし日本連合艦隊は速力に勝り、しかもより速い巡洋艦4隻、「吉野」、「浪速」、「高千穂」、「秋津島」の第一遊撃隊(坪井航三司令長官)が先行し、伊藤すけゆき連合艦隊司令長官の本体6隻(「松島」「厳島」「橋立」「扶桑」「千代田」「比叡」)が続き、速力が勝ったため接近戦とはならず、完全な艦隊同士の砲撃戦となった。このほかに赤城(623t)西京丸(木造船4100t)が通報艦として参加した。連合艦隊では三景艦4278tが最大の艦であった。

これに対して清国北洋艦隊は、戦艦2隻「定遠」「鎮遠」7335t)、「来遠」「経遠」(2900t)、「靖遠」「致遠」「済遠」(2300t)、「平遠」(2100t)、「超勇」「揚威」「広甲」「広丙」(1350t~1000t)のお互い12隻の軍艦が接近していった。そして距離5,800mで定遠の30cm砲が火を噴いた。ここに「黄海開戦」の火蓋が斬って落とされた。

日本艦隊は遊撃隊と本隊とに分かれ、高速を利用して北洋艦隊を挟み込む戦法を取り、北洋艦隊を追い詰めていった。そして戦闘開始30分で「超勇」「揚威」が沈没し、「済遠」が旅順に遁走してしまった。そして「致遠」も沈没する。日本本隊の旗艦「松島」も戦艦「定遠」「鎮遠」2隻に集中砲火を浴び、速射砲の大半が破壊された。そのうちに「経遠」が炎上、沈没そして「広丙」も沈没し、「定遠」「鎮遠」も多数の被弾を受けその戦闘能力を奪われていた。そして日没にまぎれて北洋艦隊は旅順港に逃げ込み黄海海戦は終了する。日本連合艦隊は、旗艦巡洋艦「松島」、巡洋艦「比叡」、仮想巡洋艦「西京丸」砲艦「赤城」の4隻が大破している。

黄海開戦鴨緑江海戦とも言う)はかろうじて日本軍の勝利に終わるも、日本連合艦隊の旗艦「松島」が大破したため追撃戦を断念している。「松島」の3等水兵の三浦虎次郎が「鎮遠」の砲撃に重症を負うも、「いまだ沈まずや定遠は」と戦況を心配したという。これは軍歌『勇敢なる水兵』に一節である。そして明治天皇御自ら『黄河の大捷』という詞を残している。

大捷とは大勝利のこと、大勝のことである。

日清戦争黄海海戦
http://ww1.m78.com/topix-2/battle%20of%20yalu.html
によれば、旅順港に逃げ込んだ北洋艦隊は陸上から包囲されて威海衛に逃げ帰った。そして日本海軍の水雷艇攻撃と地上からの攻撃により全面降伏させた。

ちなみに定遠は1895年(M28年)2月5日、日本水雷艇の夜襲により雷撃を受け擱座し、砲台として戦闘を継続していたため、9日日本軍は陸上から攻撃した。そのため捕獲を避けるため10日自沈した。自沈した定遠は翌年引き上げられ、福岡県太宰府市には定遠の艦材を使った「定遠館」と言う記念館が出来ている。そして鎮遠は日本海軍に鹵獲(ろかく、敵の物を分捕る)され日本海軍に編入される。日露戦争の黄海海戦、旅順港攻略戦、日本海海戦にも参加し、1911(M44年)に除籍、解体されている。以上Wikipediaを引用している。

日清戦争 概説2
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-nissin2.html
によれば、清国北洋艦隊は5隻が沈没、6隻が大中破、死傷者1,000名となっている。これに対して日本連合艦隊は、大中破4隻(松島、比叡、赤城、他)、死傷者240名と言う結果だった。

この結果、黄海をはじめ朝鮮近海の制海権日本側が掌中に入れ、日本から朝鮮への戦力の輸送をはじめ我が陸海軍の作戦は極めて有利に進むこととなった。



幸いにも日清戦争は、このような経過をたどりながら日本の勝利となったものの、もしも日本が負けていたとしたらどんなことになっていたであろうか。南西諸島や場合によっては鹿児島県などは、清国に割譲されていたかもしれない。尖閣諸島どころの問題ではない。

そして朝鮮は完全に中国のものとなり、搾取され続けていた事であろう。だから朝鮮の近代化は、ずっと遅れていた事であろう、否、近代化はされなかったことであろう。

しかし清国の落ちぶれた状況を鑑(かんが)みると、朝鮮はロシアに取られていたであろう。だからどちらにしても朝鮮と言う国は無くなっていた筈だ。中国もどうなっていたかわかったものではない。

現代の中国は、明らかにならず者振りを強めている。もともと馬賊・匪賊の国柄であるから、南シナ海の状況が落ちついてきたので、今度は東シナ海への侵略を強めてくる事であろう。

その中国の「日清戦争開戦記念日」では、盛んに甲午戦争を振り返るキャンペーンを張っている。

このことはすでにこのブログでも述べているので今更という感もあるが、中国の内部では、この日清戦争(甲午戦争)の敗北の原因は、どちらかと言うと日本の大陸征服と言う明確な戦略にあった、などと自分勝手な屁理屈をつけており、だから「中華民族の偉大な復興」の原点はこの甲午戦争での敗北だなどと、人民に強調している。
しかも東日本大震災や直近の広島での土砂崩れなどの災害のあとには、日本は好戦的になりやすいなどと、盛んに日本への侵攻を示唆している。

(続く)
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