生き残った土皇帝や土覇王
こうした人々は1949年に中華人民共和国が成立した後の改革によって根絶やしにされたはずだった。しかしながら、新中国になっても“土皇帝”や“土覇王”は生き残り、今や堂々と復活を遂げ、“蒼蠅”は“老虎”に変身するご時世なのである。彼らは小役人の地位を活用して莫大な富を蓄積し、その富をばらまくことで上位の役人たちを籠絡し、あたかも独立王国のごとき様相を呈している者さえもある。そうした者たちの中で、習近平の重大演説を踏まえて脚光を浴びたのは、中国で最も悪質な“土皇帝”と称される“範士国”である。
北京市に隣接する河北省廊坊市の管轄下にある三河市の“泃陽鎮”は三河市人民政府の所在地である。“泃陽鎮”の人口は2011年末で5.24万人、このうち都市部に居住するのは6570人で、都市化率は12.5%にすぎない純然たる農村地帯である。“泃陽鎮”には48の村落があるが、範士国はそのうちの“大閻各庄村”(人口3000人)の“村主任(村民委員会のトップ)”である。範士国は2000年に就任してから現在まで13年間にわたって村主任の地位にあり、その地位を利用して私腹を肥やし、絶大な権力を欲しいままにしている。このため人々は範士国を“土皇帝”、“地下市委書記(裏の市党委員会書記)”、あるいは“三河市老二(三河市党委員会書記に次ぐ2番手)”と呼んでいるのである。
大閻各庄村の人々は長年にわたって範士国の専制的な振る舞いに我慢に我慢を重ねていたが、遂に忍耐の限度を超えたとして、2011年7月に6人の農民が立ち上がり、範士国を職権濫用による土地の転売や公金横領などで告発したのだった。その後も彼らはネットの掲示板に範士国に対する告発文を掲載すると同時に、ネットメディアを通じて告発の動画を流すなどの運動を展開しているが、告発を始めてから1年半が経過した現在も範士国は依然として安泰で、その“土皇帝”の身分には何の変化もない。だからこそ、人々は“老虎”と“蒼蠅”を一挙に打倒するという習近平の重要演説による変化に一縷の望みを託しているのである。
彼らが範士国を“土皇帝”として告発した理由のうち代表的なものを挙げると以下の通りである。
【1】大閻各庄村には約3000畝(約2平方キロ)以上の“基本農田(食糧確保のために国家によって開発が厳しく制限されている耕作地)”があったが、範士国はそれを私物化し、1000畝を転売して数十億元(約400億~500億円)を懐にした。また、村有企業である耐火レンガ工場を私物化し、レンガ原料の粘土を採るために耕作地の土を地下数十メートルまで削り取り、1000畝もの基本農田を完全に破壊した。さらに1000畝の基本農田に塀を巡らせて私物化し、値上がりを待って転売しようとしている。これらすべては『基本農田保護条例』の重大な違反行為である。
【2】大閻各庄村の南にある50畝(約3.3万平方メートル)の基本農田を“風水宝地(風水が良い土地)”であるという理由で私物化して豪邸を建設した。豪邸の規模は驚くべきもので、食堂だけ見ても、その広さは縦70メートル以上、横30メートル以上で、一度に3000人が食事をすることができるほどである。
【3】その豪邸の北側にある30畝(約2万平方メートル)の基本農田には3棟が連結した豪華な別荘が建設された。これを地元の人間は“範氏皇宮(範氏の宮殿)”と呼ぶが、その建物は豪華絢爛で、内部の壁面は純金の箔で装飾されて光り輝き、床にはクリスタルガラスが敷かれている。宮殿に対する範士国の熱の入れようは相当なもので、家具の搬入時には汗かきな作業員には立ち入りを許さなかったほどであった。
【4】範士国は“悍馬(ハマー)”、“奔馳(ベンツ)”、“宝馬(BMW)”、“陸虎(ランドローバー)”といった高級車を数十台も所有しており、その総額は数千万元(約4億~5億円)にも上っている。
【5】2000年に河北省唐山市と通県を結ぶ国道上に駐車場、車輌検査場、貨物の積み下ろし場を設置し、国道を往来する貨物車輌から保護費を徴収している。保護費を支払わない車輌に対しては過積載などの名目で罰金を強制的に徴収しており、その収入は1日当たり20万元(約270万円)にも上っている。一方、保護費を支払った車輌が過積載などの理由で交通警察官によって運行が阻止されると、手下のならず者を差し向けて交通警察官を打ちのめすので、交通警察も範士国には手出しできなくなっている。
【6】範士国の娘が結婚した際には、結婚式の手伝いに出向いた人々に合計で数十万元(約400万~500万円)の心付けを配ったし、その後に息子が結婚した際には心付けの合計は百万元(約1400万円)にまで膨れ上がった。
鼻薬を効かせて有力者をコントロール
上記のような範士国の無法がまかり通っている理由は、範士国から利益の分け前をもらう人々が範士国を擁護しているからである。三河市の交通局長や司法局副局長、さらには“三河市人民法院(裁判所)”の副院長などは範士国から土地の便宜を図ってもらい住宅を建設したし、三河市の“防暴大隊(機動大隊)”の大隊長は範士国に土地を融通してもらって自身が経営する運輸会社の建屋を建設した。
そればかりではない。三河市を管轄する廊坊市政府の運輸関連部門の“処長(部長)が三河市の運輸行政を検査した際に、範士国が国道で徴収する保護費に問題を提起した。これに怒った範士国は暴力を振るって同処長の脚を骨折させたが、後に同処長に慰謝料を支払っただけで事件を収拾させた。三河市を管轄する廊坊市政府の処長と三河市に属する村落の村主任ではその地位は大きく異なるが、下位の範士国が上位の処長を負傷させたにも関わらず、何のお咎めもなく、慰謝料の支払いだけで幕引きとすることができた背景には、範士国が廊坊市の指導幹部にも鼻薬を効かせていることが容易に想像できる。
範士国によって基本農田を失った村人たちは農業という生活手段を失い、出稼ぎにでるか小さな商売をすることで生計を維持するしかなくなっている。肥え太るのは範士国とその分け前を受けている輩だけであり、村人たちはやせ細るのみ。こうした状況を打開するには範士国の無法ぶりを大閻各庄村が属する泃陽鎮政府およびその上部機関である三河市政府に訴えるしか方策はないと、鎮政府と市政府に問題を提起したが、門前払いで取り上げてもらえていない。そこで6人の村人が範士国を中国社会に告発する挙に出たのだが、現状のところは三河市を管轄する廊坊市政府からも何の反応もないのが現状である。
中国メディアによれば、(2013)1月22日に習近平の重大演説が行われた後に、記者が三河市党委員会書記の“張金波”、泃陽鎮党委員会書記の“金景輝”および泃陽鎮紀律検査委員会書記の“劉士従”にそれぞれ電話を入れたが、彼らの携帯電話はつながらなかったという。
1月22日に著名なブロガーの“胡顕達”が自身のブログ“論道書斎”に掲載した「習総書記 “老虎”と“蒼蠅”を一緒に打倒するにはどんな深い意味が隠されているのか」と題する記事によれば、中国の反腐敗闘争は従来の“老虎”退治から“蒼蠅”駆除にその焦点を移してゆくことになるだろうと述べている。庶民にとって最も疎ましいものは身近で起こり、自分たちが直接に影響を受ける“蒼蠅”による腐敗であって、“老虎による腐敗ではない。その“蒼蠅”たちが駆除される可能性が少ないことで増長し、庶民が損害を被(こうむ)る事件が頻発しているのが中国の現状であり、それが庶民の不満をますます増大させているのだという。
社会安定にとってハエ駆除が不可欠に
ネット時代の到来により、庶民はネットを通じて不満を広く社会に訴えることが可能となり、問題を容易に告発できるようになった。そうした時代の変化に対応して庶民の不満の根源である“蒼蠅”を駆除することは社会の安定にとって不可欠なものとなったのである。
昨年11月15日に総書記に選出された“習近平”は、(2012)11月17日に開催された18期中央政治局第1回集団学習会で演説を行い、深刻化する幹部の腐敗に触れて「物が腐れば、後に虫が湧く」と述べて、腐敗問題がより深刻化すれば「最終的には必ず党と国が滅ぶ」と危機感をあらわにした。
習近平が1月22日の重大演説で提起した“老虎”退治と“蒼蠅”駆除の同時進行は、彼の反腐敗闘争に向けての決意表明と評価できる。ただし、問題はそれを実際に貫徹して、反腐敗闘争を勝利に導くことができるかであり、それができなければ自身が提起した「党と国家の存亡の危機」は現実のものとなりかねないのである。
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20130129/242995/
(続く)
こうした人々は1949年に中華人民共和国が成立した後の改革によって根絶やしにされたはずだった。しかしながら、新中国になっても“土皇帝”や“土覇王”は生き残り、今や堂々と復活を遂げ、“蒼蠅”は“老虎”に変身するご時世なのである。彼らは小役人の地位を活用して莫大な富を蓄積し、その富をばらまくことで上位の役人たちを籠絡し、あたかも独立王国のごとき様相を呈している者さえもある。そうした者たちの中で、習近平の重大演説を踏まえて脚光を浴びたのは、中国で最も悪質な“土皇帝”と称される“範士国”である。
北京市に隣接する河北省廊坊市の管轄下にある三河市の“泃陽鎮”は三河市人民政府の所在地である。“泃陽鎮”の人口は2011年末で5.24万人、このうち都市部に居住するのは6570人で、都市化率は12.5%にすぎない純然たる農村地帯である。“泃陽鎮”には48の村落があるが、範士国はそのうちの“大閻各庄村”(人口3000人)の“村主任(村民委員会のトップ)”である。範士国は2000年に就任してから現在まで13年間にわたって村主任の地位にあり、その地位を利用して私腹を肥やし、絶大な権力を欲しいままにしている。このため人々は範士国を“土皇帝”、“地下市委書記(裏の市党委員会書記)”、あるいは“三河市老二(三河市党委員会書記に次ぐ2番手)”と呼んでいるのである。
大閻各庄村の人々は長年にわたって範士国の専制的な振る舞いに我慢に我慢を重ねていたが、遂に忍耐の限度を超えたとして、2011年7月に6人の農民が立ち上がり、範士国を職権濫用による土地の転売や公金横領などで告発したのだった。その後も彼らはネットの掲示板に範士国に対する告発文を掲載すると同時に、ネットメディアを通じて告発の動画を流すなどの運動を展開しているが、告発を始めてから1年半が経過した現在も範士国は依然として安泰で、その“土皇帝”の身分には何の変化もない。だからこそ、人々は“老虎”と“蒼蠅”を一挙に打倒するという習近平の重要演説による変化に一縷の望みを託しているのである。
彼らが範士国を“土皇帝”として告発した理由のうち代表的なものを挙げると以下の通りである。
【1】大閻各庄村には約3000畝(約2平方キロ)以上の“基本農田(食糧確保のために国家によって開発が厳しく制限されている耕作地)”があったが、範士国はそれを私物化し、1000畝を転売して数十億元(約400億~500億円)を懐にした。また、村有企業である耐火レンガ工場を私物化し、レンガ原料の粘土を採るために耕作地の土を地下数十メートルまで削り取り、1000畝もの基本農田を完全に破壊した。さらに1000畝の基本農田に塀を巡らせて私物化し、値上がりを待って転売しようとしている。これらすべては『基本農田保護条例』の重大な違反行為である。
【2】大閻各庄村の南にある50畝(約3.3万平方メートル)の基本農田を“風水宝地(風水が良い土地)”であるという理由で私物化して豪邸を建設した。豪邸の規模は驚くべきもので、食堂だけ見ても、その広さは縦70メートル以上、横30メートル以上で、一度に3000人が食事をすることができるほどである。
【3】その豪邸の北側にある30畝(約2万平方メートル)の基本農田には3棟が連結した豪華な別荘が建設された。これを地元の人間は“範氏皇宮(範氏の宮殿)”と呼ぶが、その建物は豪華絢爛で、内部の壁面は純金の箔で装飾されて光り輝き、床にはクリスタルガラスが敷かれている。宮殿に対する範士国の熱の入れようは相当なもので、家具の搬入時には汗かきな作業員には立ち入りを許さなかったほどであった。
【4】範士国は“悍馬(ハマー)”、“奔馳(ベンツ)”、“宝馬(BMW)”、“陸虎(ランドローバー)”といった高級車を数十台も所有しており、その総額は数千万元(約4億~5億円)にも上っている。
【5】2000年に河北省唐山市と通県を結ぶ国道上に駐車場、車輌検査場、貨物の積み下ろし場を設置し、国道を往来する貨物車輌から保護費を徴収している。保護費を支払わない車輌に対しては過積載などの名目で罰金を強制的に徴収しており、その収入は1日当たり20万元(約270万円)にも上っている。一方、保護費を支払った車輌が過積載などの理由で交通警察官によって運行が阻止されると、手下のならず者を差し向けて交通警察官を打ちのめすので、交通警察も範士国には手出しできなくなっている。
【6】範士国の娘が結婚した際には、結婚式の手伝いに出向いた人々に合計で数十万元(約400万~500万円)の心付けを配ったし、その後に息子が結婚した際には心付けの合計は百万元(約1400万円)にまで膨れ上がった。
鼻薬を効かせて有力者をコントロール
上記のような範士国の無法がまかり通っている理由は、範士国から利益の分け前をもらう人々が範士国を擁護しているからである。三河市の交通局長や司法局副局長、さらには“三河市人民法院(裁判所)”の副院長などは範士国から土地の便宜を図ってもらい住宅を建設したし、三河市の“防暴大隊(機動大隊)”の大隊長は範士国に土地を融通してもらって自身が経営する運輸会社の建屋を建設した。
そればかりではない。三河市を管轄する廊坊市政府の運輸関連部門の“処長(部長)が三河市の運輸行政を検査した際に、範士国が国道で徴収する保護費に問題を提起した。これに怒った範士国は暴力を振るって同処長の脚を骨折させたが、後に同処長に慰謝料を支払っただけで事件を収拾させた。三河市を管轄する廊坊市政府の処長と三河市に属する村落の村主任ではその地位は大きく異なるが、下位の範士国が上位の処長を負傷させたにも関わらず、何のお咎めもなく、慰謝料の支払いだけで幕引きとすることができた背景には、範士国が廊坊市の指導幹部にも鼻薬を効かせていることが容易に想像できる。
範士国によって基本農田を失った村人たちは農業という生活手段を失い、出稼ぎにでるか小さな商売をすることで生計を維持するしかなくなっている。肥え太るのは範士国とその分け前を受けている輩だけであり、村人たちはやせ細るのみ。こうした状況を打開するには範士国の無法ぶりを大閻各庄村が属する泃陽鎮政府およびその上部機関である三河市政府に訴えるしか方策はないと、鎮政府と市政府に問題を提起したが、門前払いで取り上げてもらえていない。そこで6人の村人が範士国を中国社会に告発する挙に出たのだが、現状のところは三河市を管轄する廊坊市政府からも何の反応もないのが現状である。
中国メディアによれば、(2013)1月22日に習近平の重大演説が行われた後に、記者が三河市党委員会書記の“張金波”、泃陽鎮党委員会書記の“金景輝”および泃陽鎮紀律検査委員会書記の“劉士従”にそれぞれ電話を入れたが、彼らの携帯電話はつながらなかったという。
1月22日に著名なブロガーの“胡顕達”が自身のブログ“論道書斎”に掲載した「習総書記 “老虎”と“蒼蠅”を一緒に打倒するにはどんな深い意味が隠されているのか」と題する記事によれば、中国の反腐敗闘争は従来の“老虎”退治から“蒼蠅”駆除にその焦点を移してゆくことになるだろうと述べている。庶民にとって最も疎ましいものは身近で起こり、自分たちが直接に影響を受ける“蒼蠅”による腐敗であって、“老虎による腐敗ではない。その“蒼蠅”たちが駆除される可能性が少ないことで増長し、庶民が損害を被(こうむ)る事件が頻発しているのが中国の現状であり、それが庶民の不満をますます増大させているのだという。
社会安定にとってハエ駆除が不可欠に
ネット時代の到来により、庶民はネットを通じて不満を広く社会に訴えることが可能となり、問題を容易に告発できるようになった。そうした時代の変化に対応して庶民の不満の根源である“蒼蠅”を駆除することは社会の安定にとって不可欠なものとなったのである。
昨年11月15日に総書記に選出された“習近平”は、(2012)11月17日に開催された18期中央政治局第1回集団学習会で演説を行い、深刻化する幹部の腐敗に触れて「物が腐れば、後に虫が湧く」と述べて、腐敗問題がより深刻化すれば「最終的には必ず党と国が滅ぶ」と危機感をあらわにした。
習近平が1月22日の重大演説で提起した“老虎”退治と“蒼蠅”駆除の同時進行は、彼の反腐敗闘争に向けての決意表明と評価できる。ただし、問題はそれを実際に貫徹して、反腐敗闘争を勝利に導くことができるかであり、それができなければ自身が提起した「党と国家の存亡の危機」は現実のものとなりかねないのである。
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20130129/242995/
(続く)